宇宙人にされた男 十五


 通信機を巧みに操り地上に交信を試みた。何度も繰り返すうち、スピーカーにザーというノイズが走った。元々通信機は広瀬曹長が船内に持ち込んだものだった。

 マイクに向かい、すぐに声を出したかったが俺はそこで凍りついてしまった。俺には声がないんだ。せいぜい出せても、ウーッぐらいしか言葉は喋れない。


 俺の会話はテレパシーに限られる。となれば言葉を使う通信機は役に立たない。宇宙人はどうやって自分の星と交信していたんだ、たぶんテレパシーを増幅して電波にでも乗せたんだろう……。 

 でも俺にはそんな芸当はできない。曹長がいれば船内の装置でそれが出来ただろうが、俺には出来そうになかった。


「応答せよ、応答せよ。そちらの船名と状況を報告してほしい。応答せよ、繰り返す応答せよ…」


 スピーカーからの声を聞いて、俺は飛び上がるほど嬉しかったが、ただ黙ってそれを聞くより他はなかった。なんとも歯がゆい気持ちだった。

 でもまあ通信が行われた以上、地上ではこの宇宙船を認識できたはずだ。レーダーがある以上たとえ通信が出来なったにせよ、地上ではこの船の存在を確認できたはずだ。俺はそう考えた。なにも絶望しなくたっていい。

 

 俺は手動で地球に着陸する準備に入った。あの星から無我夢中で離陸できたんだ。その反対をすればいいんだ。俺はそう自分に言い聞かせていた……。

 

 地表が目前に迫ってきた時、俺は操縦を誤ったのかと思い、焦ってちびりそうになった。しかし宇宙船は大気圏に突入した時はさすがに強烈なGに晒されたものの、難なく直陸に成功していた。着陸地点はあの時の自衛隊の秘密基地付近だった。船がこの場所をおぼえていたのだろう。


 俺は広瀬曹長に一言「地球に着きましたよ」テレパシーして宇宙船のハッチを開け放った。


 船から出ると、とても新鮮でなつかしい地球の匂いがした……。


 鬱蒼とした樹海を抜け、雑木林の中を記憶と頼りに進んでゆくとごつごつした岩のある場所に出た。この辺に洞窟があり、そこは人工の洞窟で、秘密基地へと続く……。


 しかしそこは何度歩き回っても、同じような風景が続き、果てしなく続き、迷路のようで俺は迷った。時々野鳥が小枝の上から興味深そうに俺を見物していた。ニホンリスがすばしこく木から木へ渡り歩いていた。

 俺は段々足元が重くなり、焦燥感で胸が一杯になって来た。このままだとまずいことになると思った。俺はここに自殺しに来たんじゃない。


 ――前田博士に会うんだ。人間に戻してもらうんだ。


 俺は気力を振り絞るようにして、基地の入り口を探した。その時人の話し声が聞こえてきた。俺はそれをテレパシーとして捉えたのだ。

 俺はその声の方向を必死で探し、その声に集中した。


「なにか動いたな、この辺りだ。かなり大型の動物だぞ、熊みたいな」


 男の声が頭の中ではっきりとそう言った。


「どの辺だ、しかし熊という事はないだろう。野犬かもしれない」


 俺はその人間達が自衛隊の隊員に違いないと思った。それで俺はありったけのテレパシーをその人間達に向けて放った。


「自分は、飯塚健人であります。自衛隊の隊員であります。敵の星より任務を果たして只今帰還致しました!」


 俺はそう言って彼らの前に躍り出た。予想どおりだった。彼らは自衛隊の制服を着た男二人だった。一人は背が高くがっしりとした体躯をしており、もう一人は小太りで浅黒い顔をしていた。

 彼らは俺を見て驚愕した。言葉を失ったようで一瞬凍りついたような顔をしたが、背の高い方がすぐに自動小銃を俺に向けて発砲させたのだ。俺の鼻の前を弾が掠めた。俺は気が狂わんばかりの大声(といってもテレパシーだが)を上げて叫んだ。


「やめてくれーっ! 俺は宇宙人じゃない。中身は人間なんだ。訳があって宇宙人に改造されたんだ」


 二人が顔を見合わせた。眼をぱちくりさせている。どうやらテレパシーが通じたのか……。


「なんか、おまえ言ったか?」


「いやお前こそ何か言ったか…」


「……」


「ちがう、言ったのはこの自分です! 自分は宇宙人じゃない!」


 二人の顔が険しくなった。


「この怪物が… 人間をなめるなよ」


 小太りの男がそう言って俺を鋭い眼をして睨みつけた。俺は震えだしていた。恐怖と興奮が入り混じったような複雑な心境ってやつだった……。


 俺の顔を絵にしたらたぶんムンクの『叫び』を超えていただろう。

 この人たちにはテレパシーは通じないと俺は思った。いや、通じたところで信じてはくれないと思った。そうだ、よく考えれば地球を飛び立ってからかなり経っているのだ。俺の存在などとうに忘れられていて当然だろう。


 このままでは撃たれると思った俺は瞬時に無類の跳躍をしていた。宇宙人である俺の脚力は強靭で、巨大な蚤のように跳ね上がって茂みに隠れたのだ。


 そして俺は無我夢中で走った。本気で宇宙人が走ればチーターだって簡単に煙に巻くだろう。それほど宇宙人の足は(当の本人が驚くほど)速いのだ。

 銃声が二、三発、背後で響いたが振り返る余裕さえなく俺は走った。そして俺は殆ど盲滅法に走り続けたにも関わらず、運よく宇宙船のところまで戻ってきていた。慌てて乗り込んでハッチを閉める。

 

 しかし俺の心は大海原の波のように揺れていた。このままここに居たらいつか見つかる。どしたらいいんだと思った。どうしたら……。 


 俺は身動きもしないで暫らく宇宙船の中にいたが、遠くに犬の声が複数聞こえてきた時には行動を開始せざるをえなかった。たぶん警察犬だろう、俺は追われているんだ。当たり一帯に雪が降り始めていた。

 地面が見る間に白い毛布に包まれていった。俺は衝動的に思った。家族と再会したい。亜紀に会いたい。きっと今でも家族は俺を待っていてくれている。俺を心配し、そして亜紀だって……。


 俺は冷静さを失いかけていた。いや、失っていた。宇宙船を起動させて宙に飛び上がり、そのまま低空飛行で亜紀のアパートに向かった。宇宙船が勢いよく、樹海の木々をなぎ倒した。

 彼女はもうあの三鷹のアパートには居ないかもしれない。だが俺はどうしてもそうしたかった。衝動的な行動だったに違いないけれども。

 

 俺は中央自動車道の上空を俺は滑走した。小さい車の中から首を出して宇宙船に手を振る人がいた。スマホを向ける人もいた。随分平和な人だと思った。


 俺にはそんな余裕などなかった。やがて懐かしい風景が俺を待ち構えていた。所々はさすがに違ってはいたが、それはあの三鷹の風景だった。


 ああ、街は破壊されてなんかいない。俺と曹長とで地球を救ったんだ。そう思うと嬉しくて泣けてきた。胸がキュンとなった。


 雪が舞っていた。はらはらと舞う粉雪が俺の心を切なく撫でた。俺は誰かに見つかるとか、摑まるとか、そんな事もうどうでもよくなっていた。

 俺は宇宙船を小学校の校庭に着陸させた。この辺には太宰治の墓があったっけ、不意にそんな記憶が俺の脳裏を掠めていた。


 俺はそろそろと三鷹通りを歩き始めていた。気がつくと俺の背後にギャラリーができ付いてきていた。至極当たり前の話だ。俺は宇宙人なんだぞ。宇宙人なんだ……。


 ――夕暮れの街に深々と雪が降り出していた。


 もしかして、今はクリスマスの時期なのだろうか……。しかし季節を気に出来る状況ではなかった。


「なんだあれは? 怪物だ。早く警察に知らせろ! 捕まえろ危険だぞ!」


 ギャラリーの罵声が俺の背後で騒然と渦巻いていた。俺は記憶を頼りに亜紀のアパートに向かったが、足は重く思うように動かなかった。地球に着いてから俺は栄養補給というものをしていないし、全力で樹海の中を走り回ったのだから当然の事だった。身体のあちこちに傷ができていてそれがひりひりと痛んだ。 


 やがて細い路地を曲がり、彼女のアパートの見える位置で俺は一息ついた。


 ――憶えている。はっきりと俺はその場所を憶えていた。デートの帰りに亜紀を送って別かれた場所、意外に変わっていない、まるで遠い日が昨日の事のように脳裏に蘇った。

 俺はそのアパートの階段を上った。彼女の部屋は二階の角で、出窓があってあの時は真新しい壁が今はもうだいぶ薄汚れていた。

 201号室の表札にはサトウの名があった。なんとあの時のまま、おお、あの時のままの表札。亜紀の苗字は佐藤、佐藤亜紀なのだ。


 俺はめまいを覚えながら、ためらいもせずチャイムを押した。その時の俺には亜紀を思いやる心がどこかに飛んでいた。亜紀に会いたい一心だった。

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