200L未満

 これが一番楽だと思った。煙のようにすり抜けては何処にも留まらない先輩を、自分が独占にするにはこれが一番、だと。


 バチバチと音を立てて炎を上げるドラム缶に、近くのスーパーで買ってきていた焼肉のタレをどんどん足していく。

 元はBBQをしようと思って買い出しをしていたから、食材やタレは山のようにあった。適当に買った豚肉や鶏肉、先輩が来るからと奮発したステーキ肉も放り込んでいく。

 肉と野菜とタレの匂い、それにプラスチックが燃える臭いも混ざった潮風が、マスクをすり抜けて鼻腔へとつき刺さる。少しでも臭いを防ぎたくてマスクを僅かに上へとずらしたが、ここまで燃えていれば効果は殆ど変わらないなと諦めた。

 周りの酸素を消費して勢いを増していく炎から視線が外せない。ただぼんやり眺めながら、思考は深く沈んでいった。

 選択肢は他にもあったはずだった。キャンプに誘うとか、クルーザーにでも乗って釣りに行くだとか。しかしキャンプに行くなら大量の石灰を怪しまれずに持っていかなければならないし、時間がかかればそれだけリスクも大きくなる。かと言って、クルーザーで釣りにしてしまうと手元に置いておけくなってしまう。それでは本末転倒もいい所だ。

 そもそも、クルーザーなんて持っていないし、借りるお金もない。だが、先輩を手に入れたい。それは、今まで漠然と生きてきた中でどうしようもないくらい強く、はっきりと感じた気持ちだった。

 思えば、これは初恋だったのかもしれない。

 先輩とは週に一度の講義が同じだった。初めて見た時、美味しそうな人だと思ってしまった。胸の奥深くから湧き上がってくる「先輩を食べてしまいたい」「自分の一部になってほしい」という感情に、始めは酷く狼狽えたものだったが、一ヶ月もすれば平静を装うのにも慣れてしまった。そのあとの行動は、早かった。

 あくまで表面上は後輩として、先輩に近付いた。同じサークルに入れば、優しい先輩はよく気を使ってくれた。先輩のことをもっと知りたくて、授業の合間や昼休みを費やして観察した。

 のらりくらりとしていて、掴みどころがない。だけど、誰からも好かれている。人に一定以上踏み込ませないくせに自分はするりと懐に入り込む。まるで猫みたいな先輩は、特別な関係をつくることを避けていた。

 先輩は誰のものにもならない。

 その事実は安堵をもたらすと共に、小さな苛立ちも募らせた。

 先輩は、ある日を境にパッタリと部室に来なくなった。

 講義には出ていたから、就活でも忙しくなったのだろうと考えていた。そろそろ夏休みが近いからBBQにでも誘って、息抜きになればいいな、なんて計画を立てて。

 あとは誘うだけという段階で、噂を聞いた。正確には噂ではなく、本当の話だったけれども。

 先輩はこれまでの人との距離感をすっかり忘れたかのように、恋人を作っていた。人は、脳のキャパシティが限界を超えると冷静になるのだと初めて知った。

 BBQに誘うと、先輩はサークルのメンバーも来るならと喜んでいた。以前なら二人でも誘えば来てくれた。

 他のメンバーは現地集合だと言いくるめれば、先輩は素直に車に乗った。前は移動中の会話が面倒臭いと、車に乗るなら三人以上でなければ乗らなかった。

 助手席の先輩は、あろうことか居眠りしていた。よく人の家を転々としているくせに、眠る姿を見たことがある人間は誰一人としていなかったというのに。

 先輩は変わってしまった。

 本当の先輩を手に入れたかった。

 鋸があんなに重労働だなんて知らなかった。血があんなに噴き出すことも知らなかった。先輩といると、初めて知ることばかりで嬉しい。

 間違いなく、人生で一番幸せだと言える時間だった。

 先輩の肉片も荷物も何もかもをドラム缶に入れて着火剤と火種を投げ込む。何かの映画で見たように、燃やしながら焼肉のタレを入れるのも忘れなかった。人の気配など全く感じられない砂浜でただ燃えていく先輩に、この炎の美しさを伝えるにはどうすれば良いのだろうと本気で考えた。

 気がつくと炎は殆ど消えかかっていて、終わりはすぐそこに近づいていた。

 それにしても、ドラム缶は失敗だったなと思う。重たい上に底が深いから、先輩を集めるのが大変だった。肉や野菜が燃えた灰の中から先輩の骨の欠片を探さなければならない。

 そうだ、食材を入れたのだって失敗だった。人に見つかった時の言い訳の為にと思って入れていたが、こんな夜中にわざわざ海に来る物好きなんていない。少し考えればわかる事だった。

 確かに証拠隠滅をするのには一番楽な方法だったかもしれない。ただ燃やせばいいだけだ。だが、一番良い方法ではなかった。

 その証拠に先輩の骨は、少し甘辛い、食欲をそそる匂いをしていた。

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