赤い屋根

 そこに降り立つと、赤い屋根が目についた。

 遠くからでも目立つ、三つ並んだ尖った屋根。男は思わずここは日本かどうかを考えてしまった。しかしここに来るまでに飛行機や船に乗った記憶は無い。紛れも無く、日本であった。

 東京に近いものの都会よりも自然が占める割合が多い、とある県の中にある田舎町の一つ、唯ヶ岬町。男は、そこにたった一つだけ存在する駅に降り立ったばかりであった。 

 赤い三連の非現実的な屋根が見えるこの駅から、目的地である町役場まではバスしか出ていないというのは事前に調べていた。さらには、そのバスの本数が一時間に一本と、少ないことも調べ済みであった。

 しかし誤算というのは何処にでも付きまとうものである。

 ただでさえ少ない唯ヶ岬町のバスは、男が訪れた時期には運転手の休暇が多いため、二時間半に一本程しか走っていなかった。さらに、ツイていない時はどうやらとことんツイていないようで、その二時間半に一本のバスは、男が赤い屋根に呆気に取られているうちに既に走り去ってしまっていた。

 我に返った時には既に遅く、遠くに見えるバスの後ろ姿を恨めしげに見つめるしか無かった。しばらくして、ようやくスマホという存在を思い出した男は、まず現在時刻を確認した。午前九時二分。地図アプリによって一時間程歩けば町役場に着くという情報を得た男は、昼食までには間に合うだろう、と半ば諦めの気持ちで歩き始めた。

 男の名は弓川聡。本庁の刑事であった。弓川は、なぜ自分がこんな辺鄙な町へ来ているのか理解出来なかった。

 その理由としては勿論、上司に言い付けられたからであり、その言い付けられた元を辿れば事件が起こったからであるが、何故自分が指名されたのか。心当たりなど全くなかった。

 最初の赴任先での活躍もそこそこ、異動先である交番勤務でヘマをした記憶もなく、なにか事件が起きた時の検挙率も悪くは無かった。しかし、それは弓川の自己評価である。

 弓川の所属は捜査一課で、捜査一課というのは優秀な刑事が集められている。そこに所属して長いというだけで既に誇れる事ではあるのだが、弓川は周りからの評価には無頓着且つ自己評価は控えめであった。

 また、かなり厳つい顔が多い捜一の中では柔らかな優男風の顔をしており、本人の性格と合わさって、初対面の人に対して抜群の威力を発揮するということも、自覚していなかった。

 上司である紀之崎は弓川のそういう面を評価した上で、人が滅多に来ない田舎町の聞き込みには適任だろうと送り出したのだが、彼が知る由もない。ただこの暑さとトンチキ加減に、己の不運を呪うだけであった。

 そも、こんな辺鄙な町に来ることになった原因である事件も妙であった。

 被害者は年齢も性別もバラバラの三人で、共通点はこの町出身であるということのみ。しかし、被害者の周りの人間でその事を知っている者はいなかった。つまり、徹底して隠していたと言うことである。

 本人や同じ町出身の身内以外は知らなかったはずの共通点により結ばれた被害者達。それだけでも何か嫌な予感はしていたが、それに拍車をかけたのは、三人の被害者から同様に抜き取られた一リットル近い血液と、現場に残された写真の存在であった。

 殺害方法も時間も場所も無作為としか思えない本事件で、同一犯だと断定するに値する証拠。

 犯人は、輸血などに使用する医療器具を用意していたり、わざわざ画鋲を使用してまで被害者の顔に同じ写真を貼り付けていた。その写真に写っていたものこそ、弓川がこの町に来ることになった原因であり、駅を出た途端に目についたものであった。

 何のために作られたのか皆目見当もつかない建物を、晴れ渡る空を背景に収めた写真。この写真の出処、唯ヶ岬町のそう多くは無い住民票、怪しい人物、そして、あの建物が何なのか。これらは、町民の誰か、特に病院の人間が犯人であると睨んでいる紀之崎に聞いてこいと言われた項目である。

 しかし現場の経験が豊富な弓川はそんな単純なものだろうかという疑問が拭いきれなかった。

 紀之崎も上司としては優秀な方である。だが、彼は所詮キャリア組というもので現場経験は少ない。担当した事件も突発的故にお粗末なものが殆どで、警視庁というより警察庁向きであるというのが弓川の評価であった。

 とても素直な男であるし、個人としては応援したいところだが、刑事としては殆ど期待をよせていない。つまるところ、事件の捜査方針通りに進めるつもりはさらさらないということでもあった。

 弓川は、自己評価は低いが人から向けられる感情には機微であったため、上司からも同期からも信頼が厚いことは理解していた。それ故に、多少無理をしても厳しいお咎めはないだろうという強い確信がある。そのため紀之崎の方針に沿った捜査は、きっと別の優秀な刑事が頑張ってくれるに違いないと最終的に結論づけた。

 しかし建物についてや写真の出処などについて、聞かねばならないことがあるのは確かであるため、大人しく足を前へと動かした。

 弓川が町役場についたのは、駅を出発してから一時間半ほど経ってからだった。長距離を徒歩で移動することに慣れておらず、想定よりも時間がかかってしまった。バスに乗れていれば到着していた時間は、既に一時間ほど過ぎている。

 ポケットに入れたままだったため少しシワがついたハンカチで汗を拭うと、誰もいない受付に声をかけた。

「すみません。少し聞きたいことがあるんですけど、いいですか」

 少し声を張って呼びかけると、直ぐに奥の扉から受付らしい女性が出てきた。スーツ姿で汗をかいている姿を見て一度眉をひそめたが、弓川の顔を見てそれもすぐに正した。

「はい、どうされましたか。あれですか?この町に引っ越してくるとか?だったら、私の家の近くに空いてる物件あるんですよ。オススメですよ、空気も綺麗だし陽当たりもいいし。」

 紀之崎の期待通り、弓川の風貌は初対面の人、特に女性に対しては抜群の威力を発揮していた。

「引越しではないんです。実は、捜査でここに来てまして。」

 刑事としての職務でここに来ている弓川は、上着の内ポケットから警察手帳を取り出して女性に見せ、先程の質問を誤魔化すように笑った。

「そうなんですか、残念。だけど捜査でこんな田舎町に来なきゃ行けないなんて、刑事さんも大変ですねぇ」

「はは、ありがとうございます。ところで、お嬢さんはこの町について詳しいですか?」

「いやぁだ、お嬢さんだなんて、そんな。まぁ、詳しいと思いますよ。この町から出たことはありませんし、もう三十年は住んでますからね。あ、話聞くなら人数いた方がいいかもしれないですよね。少し待っててください。今、バックヤードでお昼食べてて。」

 機嫌が良さそうにペラペラと話す受付の女性は、上の人も呼んできます、とまた奥の扉に引っ込んで行った。

 女性をお嬢さんと呼ぶのは人心掌握が上手い紀之崎からのアドバイスであったが、三十半ばの男が女性をお嬢さんと呼ぶのはかなり厳しいのでは無いかと弓川は考えていた。しかしまぁ、如何せん弓川は顔が整っているので、さほど気にならないどころかプラスにしかならないというのが真実である。

 ほどなくして、女性は数人の男女を引き連れて戻ってきた。

 話を聞くと、町役場に務めているのは自分も含めここにいる六人で全てであり、町民も今や百人いるかどうかといったところで、商店街もすっかり寂れてしまった過疎地域である事が分かった。

 本題のあの建物についても聞いてみたが、あれは観光用にと昔建てられたハリボテのような展望台で、老朽化が酷くて立ち入り禁止、写真も絵葉書として大量に刷られて在庫を抱えているという、あまり有益ではない情報しか得られなかった。その写真の在庫も、町役場の受付のすぐ側に段ボール箱に詰められて、ご自由にお取りくださいと放置されているのを見つけた。

 人も滅多に来ないこの町では防犯意識も薄れるのか、監視カメラは数年前に電源が切れたままになっていたし、昼休みは揃って奥の部屋で取る様で、誰でも簡単に、気づかれないように持って行けるだろうというのがよく理解出来た。

 また、久しぶりに町の人以外と会話をしたからか、役場の人間はよく喋った。少し行った先の角の奥さんがどうのだとか最近は人がどんどん出ていって寂しいだとか、弓川が質問していないことまで話していたが、殆どは取り留めのない内容であった。

 紀之崎が睨んでいる病院についても尋ねてみたが、年老いた医者と看護師が一人ずつの診療所程度のものがあるだけで、一応輸血道具は揃っているが大きな怪我や病気は車などですぐに大病院に運ぶのが常である、というこれまた期待外れの情報しか出てこなかった。  

 とりあえず展望台を近くで見てみるかと、役場での聞き込みを終えることにした弓川は、改めて役場の人々に向き直り丁寧に礼を述べた。

「ご協力、感謝します。また何かあれば聞きに来ます。」

「いえ、いつでもどうぞ。そうだ、この後はどこか行かれるんですか?良ければお送りしますけど。」


 弓川は、流石に車を出してもらうのは申し訳ないと断ったが、展望台までは車でも一時間ほどかかるということで、結局男性職員の一人の好意で車に乗せてもらうことになった。

 車内は職員の趣味なのか懐かしい曲が大音量で流されており、男が何か話しているようだが全く聞き取れなかった。失礼な事とは承知しているものの、無視をするよりはマシだろうと思い、適当に相槌をうっていると突然車が止まった。

 慣性の法則により思わず前のめりになった弓川は慌てて体勢を戻して辺りを見渡したが、何処かの山の入口付近に止められているのか例の展望台は小さくしか見えなかった。 

 エンジンも止まっているようで自然の音が戻ってくる。

 なにか事故でも起きたのかと職員に聞くために体の向きを変えようとした途端、男は素早く自身のシートベルトを外し、座席を倒しながら弓川を押さえつけた。

 男は先程までと同じようににこにこと笑っているが、目は笑っておらず、焦点もどこか合わなかった。

「弓川さん、でしたか。優秀な刑事さんなんでしょう。こんな所に一人で来る程ですからね。」

「えぇ、まぁ。ありがとうございます。そう思って頂いてるなら、この手、離して頂いてもいいですかね。これ以上押さえつけているようなら、こちらも公務執行妨害や暴行などで然るべき対処を取らざるを得ませんので。」

 弓川は表面上は至って冷静に対処をしていたが、内心は非常に焦っていた。

 警棒や手錠は腰元に装備している為、取り出して反撃することも叶わない。それ以前に、車という狭い場所で自身よりも体格のいい男に上から体重をかけて押さえつけられている。更に、男の肩越しに見えるのは山道ばかりで人通りなどありそうもない。

 男の目的も分からない以上、下手に刺激をすれば殺される可能性があると考えた弓川は、一度抵抗をやめて力を抜いた。兎に角、男の目的が何なのかを知る必要がある。

 弓川は、役所からつけっぱなしだった名札を見て、職員の男に改めて呼びかけた。

「小高さん、」

「いやね、あの人たちが悪いんですよ。祭りの時期に帰ってこないから。実行委員長もお怒りだし、最近そういうこと多かったんですよ。毎年帰ってこいって訳じゃないし、三年に一回帰ってくるだけでいいんですよ。なのに約束守れないんですから、仕方ないんです。町民の、総意なんです。」

 男は、驚く弓川など意に介せず、堰を切ったように言葉を続けた。

「我が町には伝統的な祭りがありましてね、はい。あの塔。あれね、展望台じゃないんです。神様にお願いをする塔なんです。あそこに一人、指名された人が入って、朝まで祈るんです。いえ、朝までじゃないですね。祈りが届くまで、ずっとです。雨が降るまでとか、人が来るまでとか。叶ってきてるんです。だから中止になるの、困るんですよね。」

 男は血走った目で話しながら、片手を弓川の手首から喉元へと移動させた。グッと力が入り、じわじわと弓川の気道を押さえつけていく。

 頭に酸素が回らなくなり顔に血液が集まっていく感覚に、弓川は男の本気を感じ、再び抵抗を始めるために回らない頭を必死で回転させた。

 男は既に両手を喉元へと移しているため、両手も自由に使える。体重も上半身にかかっているため腰を浮かせる位は出来そうだった。そこまで考えた後は早かった。

 気付かれないよう浮かせた腰元から警棒を抜き、油断しきっている男の股間に膝蹴りを入れた。さらに、男が痛みに呻いた瞬間を狙って伸ばす前の警棒でこめかみ付近を思い切り殴りつける。

 横からの勢いで運転席へと転がった男は、ぐったりとしていた。弓川は慌てて怪我の具合を確認したが、幸い男に出血などは見られず、単に気絶しているだけのようだった。ほっと一息をついた弓川は、男に後ろ手で手錠をかけたあと、何とか後部座席へと転がした。

 殺されかけた恨みを若干滲ませるように少し乱暴にドアを閉めた弓川は、押さえつけられていた手首や喉元を柔く擦りながら内ポケットからスマホを取りだし、上司である紀之崎に電話をかけた。

「弓川です。紀之崎さん、例の町。はい。黒も黒の真っ黒ですね。カルトっぽいです。詳しい話は合流してから話しますので、取り敢えず応援要請させてください。町民全員がグルです。確保時間かかりますよ、これは。」

 後ろが騒がしくなった電話口からは、複雑な感情の混ざった声で「了解、」という返事と共にため息をつく音が聞こえた。

 間もなくパトカーや警察車両が来るだろう。そこがタイムリミットだと区切りをつけて、弓川はこの町の末路に思いを馳せた。

 町ぐるみのカルト宗教。それも恐らくかなり長い時間をかけて浸透している。何年も何十年も、下手すると何百年もかけてそれが当たり前だと刷り込まれ、常識となる。まだ若い子達は刺激を求め、ただ普通に、何も無い退屈な町だと信じきっているこの町を出て愕然とするのだろう。

 生まれ育った町の異常さに気が付き、帰郷する事を躊躇い、それでも染み込んだ常識からは逃れられない。愛する家族から心配の連絡がかかってくる度に怯えなければならないのは心をすり減らしたことだろう。その証拠に被害者達に抵抗した跡は見られなかった。

 殺された後に抜き取られた血液は、何の目的で抜き取られたのかすら分からない。しかし彼らには彼らなりの信仰があり、彼らなりの考えで幸せに生きていた。おそらく、一部の人間以外はそれが人間社会に反することも知らずに、だ。

 弓川は、役場で出会った人々を思い出した。彼女達は普通に生き、毎日働いて食事をし、趣味に興じては眠る。我々と同じ、普通の生活をしていただけだった。ただ、生まれた場所が悪かっただけ。

 検挙率がいいのも考えものかもな、と締めくくり左の後ろポケットを探ったが、煙草の空箱しか出てこなかった。車の中に落としたかと覗き込もうとして、昨日の夜に最後の一本を吸ったことを思い出した。彼はつくづく運が悪かった。

 空は青く、遠くに赤い三連屋根が見えた。

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