第21話 攻防

 ミリエルとリトが小屋に戻った頃には真夜中を過ぎていた。

 小屋の前の急拵きゅうごしらえのベンチにはユラとノルが座っていた。


「おかえり」

 ユラが微笑みながら静かに言った。

 ノルは片手に持ったジョッキを軽く挙げた。


「ただいま戻りました」

 いつもなら元気よく答えるリトも、今夜は控えめだった。

「ただいま……」

 ミリエルも消え入りそうな声だ。


「リビさん達は中で寝ているわ。ノルが簡単なベッドを作ってくれたから、あなた達も休みなさい」

 ユラが言った。

「「……はい」」

 ミリエルもリトも、何があったのかと聞かれるのではないかと心中穏やかではなかった。

 だが、ユラとノルの普段通りの調子に、二人ともやや拍子抜けた調子の答えになってしまった。


(きっと、わざわざ聞かなくても分かっているのだろう……)

 ユラ達なら今夜のミリエルとリトとのことも承知していて当然だろうと思うミリエルだったが、そうは言ってもやはり恥ずかしさで頬が赤くなる思いだった。


「ユラ様とノル様は休まなくても良いのですか?」

 ミリエルが聞いた。

「儂らは大丈夫じゃよ。そもそも休む必要は無いからの」

「ええ、気持ちを落ち着けたい時にベッドに入ることはあるけれど、私達に休息は必要ないのよ」

 と、ノルとユラが答えた。


「そうなんですね!」

 リトが驚いて言った。

「ええ。私達が【裂け目】が開く予兆がないか見張っているから、あなた達はしっかり休みなさい」

 ユラが言うとノルが「うんうん」と頷いた。


 そうして、ミリエルとリトはユラとノルに挨拶をして小屋に入っていった。

 小屋の入り口を入ってすぐ脇の小さなテーブルに燭台が置いてあり、ロウソクには火が灯してあった。

 リトがその燭台を手にして食堂の奥の廊下を照らした。

 廊下の左右に一つずつ部屋があり、左側の部屋の扉が開いていた。右側の扉は閉まっているので、そちらの部屋でリビとシエルが休んでいるのだろう。

 空いている扉は一つ、今のところ他には部屋は無い。


(……ということは)

 ミリエルはそう思い隣のリトを見ると、彼もミリエルを見ていた。

 同じ部屋で休むことが不自然ではない仲になったとはいえ、こうもあからさまだとやはり気まずいものだ。

 その辺はリトも同じようで、ろうそくの灯り越しでも顔を赤らめているのがミリエルにも分かった。


「あの左側の部屋かな……?」

 リトが小さな声で言った。

「……そのようだな」

 ミリエルも囁くように言った。


(もし、ベッドが一つだけだったら……)

 と思うと、ミリエルの鼓動が俄かに速くなった。


 二人は扉が開いている左の部屋の前で立ち止まり、リトがロウソクの灯りで部屋の中を照らした。

 部屋の中にはベットが2つ並んで置いてあった。


「「……ほっ……」」

 ミリエルとリトが同時にホッとしたように息を吐いた。

(リトも同じことを心配してたのか……)

 そう思いながらミリエルがリトを見ると、彼もミリエルを見た。

 そして二人は思わず声を殺してクスクスと笑いあった。


「なんか……あれだな……」

 リトが頭を掻きながら言う。

「そう……だな……」

 ミリエルもリトの言わんとするところがわかるような気がした。


(ホッとしたような……でも少しだけ残念なような……)

 そんな複雑な気持ちだ、とミリエルは思った。

 恐らくリトもそうなのであろう。


「じゃあ、休むか」

 リトが言い、

「ああ、そうしよう」

 と、ミリエルが答える。


 こうして二人はそれぞれベッドに入った。

 そして、やはり疲れていたのであろう、ミリエルもリトもあっという間に眠りについた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……!」

 何かを感じてミリエルは眠りから覚めた。

 パッと身を起こすと、すぐ後にリトも目覚めて身を起こした。

「リト……」

 緊迫感がある声でミリエルが言った。

「ああ……」

 リトの声も緊迫した気持ちが感じられる。


 コンコン……。


 ノックの音がして、

「二人とも起きてる?」

 ユラが呼びかける声が聞こえた。

「「はい……」」

 二人は返事をし、リトがベッドを立って扉を開けた。


 扉の外に厳しい表情のユラが立っていた。

「あなた達も気がついたかしら?」

「「……はい」」

 ユラの言葉に二人は緊張した表情で頷いた。

 二人を見てユラは無言で頷き、身を翻した。


 ミリエルとリトが部屋を出ると、ユラのノックに応えて向かい側の部屋からリビとシエルも出てきた。

「ミリエルさん……」

 真剣な表情でリビが言った。

「リビさん……」

 リビの呼びかけに頷きながらミリエルが答えた。


 小屋の外に出ると、ノルが谷の中空を縦に走る光の筋のようなものを見上げていた。

 時間は日の出から一時間ほどといっところだろうか。

 谷を囲む山々の縁に朝の太陽がほぼ全て顔を出していた。


「おお、来たな」

 ノルが首をひねって後ろのミリエル達を見ながら無表情で言った。

 普段の陽気に笑っているノルを見慣れているミリエル達からすると、その彼の無表情がことの深刻さを物語っているようで、より一層緊張感が増していった。


「思ったていたよりも早かったわね」

 ユラがノルに言った。

「そうじゃな」

 ノルが答える。


 ユラはミリエル達を振り返って言った。

「もう、いつ来てもおかしくなさそうだわ。準備しておいてもらえる?」

「「「「はい」」」」

 ミリエルとリト、リビとシエルが頷きながら答えた。


「シエルちゃんは、私と一緒にいてね」

 ユラが言うと、

「……はい」

 と答えたシエルだったが、他の三人の力になれないことを気にしてか、心持ち寂しげな表情で答えた。


「ユラ様、シエルをお願いします」

 リビが真剣な表情で言った。

「ええ、任せて頂戴」

 ユラが笑顔で答える。

 それに笑顔で答え、リビはシエルに歩み寄り無言で抱きしめた。


「お師匠様……」

 リビに抱きしめられて戸惑った様子のシエルであったが、やがてその目をジワリと潤ませて言った。

「お師匠様……どうか無理をなさらないように……」

「ええ、あなたも……ユラ様の側を離れないようにね、シエル……」

「……はい」


 リビはそっとシエルを身体から離し、リビとシエルのやり取りを見ていたミリエルとリトがいるところへやってきた。

 ミリエルとリトが軽く頷くとシエルも応えて頷き、三人はノルが立っているところに歩いていった。


 ユラはシエルに寄り添って軽く肩を抱いて引き寄せると、柔らかく微笑みかけた。

 シエルは心持ち顔を赤らめてユラに微笑みを返した。


 そうしてしばらくの間、中空の光の筋を監視していたが、今のところ最初に現れた時と比べて目に見えて大きな変化はなかった。


「朝に感じた時のままだな……」

 リトが小さな声でいった。

「そうだな……でも……」

(昨日のような衝撃がいきなりきたら……)

 とも思ったミリエルだったが、言葉にするとそれが起こってしまいそうで、怖くて口にできなかった。


 そして、2時間ほど経った頃だろうか。

 リトがハッとしたように中空の光の筋を睨みつけて言った。

「じいちゃん、来る!」

「じゃな!」

 ノルが短く答える。


 ミリエルには変化の兆しが感じられなかった。

 リビを見ると彼女も感じてはいないようで、軽く首を左右に振った。


「ミリエル、魔法の準備をしてくれ!リビさん、精霊さんに呼びかけてください!」

 リトの指示が飛んできた。

「わ……分かった!」

 戸惑いながらもミリエルは周囲から力を集め、風を起こす準備を始めた。


「は……はい」

 リビも一瞬の戸惑いからすぐに回復し、両手を組み瞑想をして精霊に呼びかけた。

「精霊の皆さん――――――」


「儂はここまでだ。すまんな坊主、後は頼んだ」

 ノルの顔には、立派に育った息子を送り出す親の誇らしい気持ちと、その息子を助けてやれない自分を不甲斐なく思う気持ちが同居したような、なんとも言えない複雑な表情が浮かんでいた。


「ああ、任せてくれ!」

 リトは、それこそ太陽のような笑顔で答え、腰に下げた剣の柄に手をやった。


 その直後、光の筋が裂け目となり左右に少しずつ開き始めた。

「来るぞっ!」 

 リトが吠えるように叫んだ。

「風よ、壁となれ!」

 ミリエルが集めていた空気を分厚い壁にして、開き始めた裂け目に向かって放った。


 ミリエルが放った空気の壁に押されて、開きかけていた裂け目が動きを止めた。

「そのままで踏ん張ってくれ、ミリエル!」

 リトが叫ぶ。

「分かった!」

 と答えたミリエルだったが、内心は不安であった。

 風の魔法で一旦は押しとどめることはできたものの、押し返すところまではできなかった。

 しばらくは裂け目が広がるのを抑えることはできるだろうが。


(どこまでつか……)


 よく見ると、開きかけた裂け目の奥にうごめくものが見えていた。

(もっと魔法の出力自体を強くできれば……)

 そうすれば、裂け目から出て来ようとする魔族を押し返せる。


(魔族どもを押し返せれば裂け目も閉じるかもしれない……前の時のように)

 前の時は、押し返したというよりは敵が引いて裂け目が閉じた、というのが実際のところだったが。


 だが、リトの考えだと裂け目を維持する魔力の供給源になっている魔族を倒さないと、根本的な意味で裂け目を閉じることはできないということになる。


 この前の時のように、大魔一体のみが裂け目を開き維持しているのであれば、それを集中して攻撃して倒せば裂け目は閉じるかもしれないが。


(もし複数の、あるいは多数の者が魔力を供給しているとしたら……)


 そうなると持久力の勝負、という展開が予想されこちら側は不利になる。

 何と言っても相手は何万という眷属の命を懸けることをいとわないのだから。


 そうミリエルが考えているうちにも、相手が押し込んでくる力も増してきた。

「くっ……!」

 ミリエルは風の壁により多くの魔力を注ぎ込んだ。

 彼女の額に汗が滲み、呼吸も荒くなってきた。


 その時、

「精霊さん――――」

 と、リビが精霊に呼びかける声がした。

 すると、ミリエルを大小七色に輝く精霊たちが取り囲んだ。

「……!」

 魔力の追加供給でかなりの体力を使ってしまったミリエルの身体に新たな力が湧き上がってきた。


 ミリエルはハッとしてリビを見た。

「精霊さんたちも助けてくれますので」

 と、リビが笑顔で言った。

「ありがとうございます!」

 ミリエルが礼を言うと、リビが満面の笑みで応えた。

 ミリエルは再び裂け目に注意を移した。


 リビが召喚してくれた精霊の援護のおかげで、体力面の不安は大きく軽減された。

 しかし精霊の援護は、癒やしの力によってミリエル達の体力を回復してはくれるが、魔法の威力を強めてくれるものではなかった。


(このままではいずれ……)

 ミリエルがそう考えている間にも、裂け目の奥に見えた蠢くものがミリエルの風の壁を突破しようとしている。


 風の壁も完璧ではなく、どうしても場所によって密度の濃淡ができてしまう。

 その僅かな隙を巧妙に突いてくる魔族が現れ始めた。


「リト……そろそろ抜かれるかもしれない……!」

 風の壁を維持しながらミリエルは、声を振り絞ってリトに知らせた。


「任せろっ!」

 ミリエルの前で、剣に手を添えた半身の姿勢で裂け目をじっと睨み続けていたリトが答えた。

 すると、リトの声に呼応するかのように風の壁の端をすり抜けるように翼が生えた魔族が一体抜け出しきて、リトに向かって一直線に飛んできた。

 そして、その一瞬後、


 ふっ―――


 と、リトの姿が消えた、とミリエルが思った途端、


 ざんっっ!


 数歩先に、今しがた裂け目を抜け出てきた魔族を横一閃、真っ二つにするリトの姿があった。


(は……速いっ……!)


 それまでにミリエルが見てきたリトとは明らかに動きが違っていた。

 魔族に断末魔の叫びを上げる間すら与えない早技だ。

 

(きっとすごい修練をしたんだな……)

 と、リトに尊敬の念と言ってもいい気持ちが湧き上がるミリエルだった。

 しかし、早くも次の敵が突破しようとしてきた。


「ミリエル!キツいと思ったら壁を緩めてくれ。出てくる奴らは心配するな!」

 そう言いながらリトは、次の敵も瞬時に切り裂いた。


「……わ……分かった!」

 ミリエルはそう答えて、出力よりも持続力を重視するように風の壁を調節した。

 ミリエルはここ数ヶ月の修行で、魔法の威力自体に大きな進歩はなかったものの、創造の魔法を習得したお陰で、魔力の微妙な調整が巧みになっていた。


(無理はせず……でも引きすぎず……)

 そう自分に言い聞かせながらミリエルは風の壁の維持に集中した。

 そうして、ミリエルがそれまでよりも多少障壁の力を弱めると、すかさずその隙をついて魔族が数体侵入してきた。


 だが、それを待ち構えていたリトは次々と侵入してくる魔族を斬撃で切り裂いていった。

 彼の動きは電光石火、剣の光が尾を引く様は稲妻が地を這うかのようだった。

 

「リトさんて……本当に強かったんですね!」

 ミリエルの斜め後ろにいたリビが、魔族を次々と斬り伏せるリトを見て心から驚いて言った。

「ふふ……でしょう?普段の彼からは想像つかないかもしれないけれど」

 面白そうに言うミリエル。


「あ……ごめんなさい、私、失礼なことを……」

 リビが慌てて言った。

「いえ、別にそんなことは……」

 リビの反応を不思議に思ってミリエルが言う。

「でも、リトさんは……その、ミリエルさんの……」

 リビは心持ち顔を赤らめて口籠ごもった。

「えっ……」

 リビが言わんとするところに気づいたミリエルは耳まで真っ赤にしてうつむいてしまった。


 と、その途端、風の壁に僅かな乱れが生じ、より多くの魔族が飛び出してミリエルとリビが立っている方にに向かってきたきた。


(まずい……!)

 ミリエルに一瞬の動揺が走る。

 が、

「させるかぁぁぁぁーーーーっ!」

 リトが叫びながら、超速の斬撃で魔族どもを切り刻んだ。

「大丈夫か!?」

 ミリエルたちの前に立ちふさがり、リトが肩越しに鋭く言った。

「あ……ああ、大丈夫だ……すまん」

 やや恥ずかしそうにミリエルが答えた。


「ごめんなさいごめんなさい!こんな大事なときに私が余計なことを言ったせいで!」

 リビが慌てて謝り、すぐさま精霊に祈りを捧げた。


 リビの祈りに応えて精霊が現れ、リトに切り刻まれて地面に散らばった魔族の残骸の上の空中に広がるように漂った。

 そして、浮遊している精霊から無数の光の粒が魔族の残骸に降り注いだ。

 光の粒が降り注いだ残骸は、淡く光り、形が崩れていき、やがて砂の山のようになった。


 その後も、ミリエルが風の壁を調節し、飛び出してきた魔族をリトが切り刻み、リビが呼び出した精霊が浄化をする、ということを繰り返した。


「少し攻撃が緩くなってきたようだな」

 しばらくしてリトが言った。

「そうだな」

 ミリエルもそれは感じていた。

(確信はないけれど……)

 裂け目もせばまり始めているようにミリエルには思えた。


「リト、思うんだが……」

「ん?」

「ここで少し攻勢に出てみないか?」

「攻勢に?」

「そうだ、私も魔法で攻撃して魔族を減らせば敵も裂け目を維持できなくなるのではないか?」

「そうか……うん、そうかもしれないな」

「その間、瘴気は精霊さんたちに浄化してもらいましょう」

 話を聞いていたリビも賛意を示した。


「よし、やってみるか!」

「ああ!」

「やりましょう!」

 三人はお互いの顔を見て意気込んで言った。


(勝てる……!)

 先程までは不安でいっぱいだったミリエルの心に希望が広がっていった。

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