第一章 風の唄「エルフィン・バラッド」その4

 翌朝早くから、出発の準備は行われた。

「姫様、本当によろしいのですか?」

「ええ、これで外を出歩くには人目を引いてしまうもの」

 イザベルとて自身の髪を切り落としてしまうのを名残惜しく思っていた。しかし、カンパーナ王国の外ではエルフは珍しく、目立って魔王の信奉者たちに見つかる事態になるのは避けたい。

「では御髪、失礼いたします」

 レディーメイドはためらいがちにイザベルの髪にハサミを入れた。彼女が毎朝ブラシで整え結い上げていた姫の長い金髪の暈が減っていく。女で髪を短くするのは騎士か尼僧か、自分の髪を売らざるを得ないほど貧しい者しかいない。エルフ特有の長い耳を隠せる量を残しつつ、イザベルの髪は短く切り揃えられた。たった一度しか会ったことのない仮初めの婚約者に対面する為、髪を染める訳にはいかなかった。

「あの、お衣装こちらでよろしかったでしょうか?」

 用意された旅装束は丈が膝の下まである、無地の灰色のローブだった。サイズが合う服を着ているということはオーダーメイドできる経済状況であるということであり、やや大きい上に地味な色合いだった。レディーメイドが手伝おうとしたが、「これから一人で出来るようにならなきゃいけないもの」とイザベルは断った。

 着方は簡単でローブを頭からかぶって袖と頭を通し、腰回りと袖口を紐で締める仕組みとなっていた。さらに顔を隠せるように黒いフード付きマントを羽織った。母から託された指輪は小さな袋に入れて首から下げている。

「これで誰も私を姫と思わないでしょう」

 今まできらびやかな衣装しか着たことのない少女はみすぼらしい衣装に身を包んでいたものの、可憐な顔立ちだけは変わらなかった。それがメイドたちに没落して物乞いとなった令嬢を連想させ、「おいたわしや」と嘆く者もいた。イザベルの姿をしっかり目に留めておこうとじっくり見つめていた一人のレディーメイドが、彼女の小さな手に細かな傷がいくつもできているのに気付いた。

「姫様、これはいかがなさったのですか?」

「これはね、昨夜ちょっとね」

 昨日の涙で赤く腫れた目をこすりつつ、イザベルは「銀の杖」を見やった。それはいくつもの植物の蔓が巻き付かれ、元の輝きを覆い隠していた。先端の球体部分は目立たないように筒部分には大きなチレリアの花が2、3飾られていた。



 荒れた城内の修復と警備の為に兵士を残さねばならない為、イザベル姫の旅にはごく少人数しか連れて行けなかった。姫に恋い焦がれるトマスは勿論お共すると申し出たが、教育係のレオナルドも立候補した。その他に二名の兵士がイザベル姫の護衛につくこととなった。

 イザベル姫の不在は表向き「父王の崩御により病で伏せっている」ということにして、彼女とわずかな共はフェルディナンド王の葬儀が行われる前に出立することにした。

「姉様、本当に行ってしまわれるの?」

 出発当日、未亡人となった母セシリャと弟リカルドを筆頭に、わずかな者たちが城の裏門から王女一行の出発を見送りに来た。

「リカルド、あなたもしかして行きたかったの?」

 姉の問いに、英雄アルトゥロに憧れていた彼は涙を浮かべながら大きくうなずいた。

「おとぎ話に出てくるような冒険じゃないの。お父様のようないえ、それ以上に惨い目に遭うかも知れないのよ?」

 それでも彼は首を横に振った。

「お父様がいなくなられたのに姉様まで出てっちゃうのはヤダよ!」

「母様に寂しい思いをさせないで。辛いのは皆一緒よ」

 イザベルはしゃがみこんで、弟の両肩に手を置いた。

「あなたも私も、お父様の遺言を守らなければならないの。お父様亡き後のこの国の民を導かなければならないのよ。あなたはこの国になくてはならない存在なの」

「でも僕、どうしたら」

 王妃セシリャは息子を抱きしめた。

「私がいるわ、リカルド。陛下亡き今、大臣も兵も一丸となって貴方を支えるわ」

 皮肉にも権力闘争に明け暮れていた貴族たちは、フェルディナンド王の崩御によって実に下らないことをしていたのだと悟ったのだ。デクスターが起こした事件は彼らが机上で論争していたことがいかにちっぽけかを思い知らせ、自分たちの利益よりも国内の防衛を優先させるべきと認識させた。

 続いて王妃セシリャはイザベルの肩を抱いて、頬にキスをした。

「ベル、貴女の旅も決して楽ではないだろうけれど、私もリカルドも無事を祈っているわ。貴女に天空神ティエ、英雄アルトゥロとマリーンの加護あらんことを」

 母の抱擁が解かれたのち、イザベルはリカルドを再び抱きしめた。

「チョピン達シジュークに手紙送ってもらうからね。私、きっと帰ってくるわ」

 リカルドは袖で涙を拭うと、「うん」と頷いた。



 イザベル姫を乗せた質素な馬車が出発した翌日、フェルディナンド王の葬儀は城内で死んだ兵士たちと合同で行われた。代理の歌姫カサンドラとアイドル達の歌う葬送曲レクイエムに後ろ髪をひかれつつ、一行は王都バルセラ郊外の森を進んでいた。

「イズンの森とは違うわね」

 イザベルは一人で城を抜け出すことはあってもイズンの森にしか来たことがなく、どこかに出られる時はいつも両親が一緒だった。

「姫様お寂しいのですか?」

 馬車の中ではトマスが積極的に話しかけてきた。

「少し違う、と思う。空気が違うから、これから知らない場所に行くんだって気がして」

 窓から見える樹も鳥も見覚えがあるが、イザベルにはイズンにあるものとは違う木の葉の擦れ合う音や鳴き声が聞こえていた。

「今夜はこの辺で野宿にいたしましょうか。明日には町に着くでしょう」

 川の近くまで来た所で陽が西に沈みかけており、レオナルドの提案で馬たちを休めることとなった。野宿と言うことは風呂も入らないまま寝るのである。

「私、匂わないかしら?」

 昨日も野宿だった。今夜の食事の準備の手伝いでキノコを摘みつつ、イザベルは籠を提げた自分の袖口を嗅いだ。香りを嗅ぎつかれて身分がバレる訳にもいかないので、石鹸も持ってきてないし香水も付けてない。当然化粧もしていない。

「俺は気になりませんよ?」

 トマスは潮風漂う漁村生まれなので匂いというものに無頓着だった。男ばかりの兵舎で生活しているので香水の瓶なぞ見たこともなく、地下大聖堂へ歌姫たちの練習を覗きに行くたびに清潔な匂いがするのはなんでだろうと思っていた。調理場を通りかかった時の香辛料によるうまそうな匂いとは明らかに違った。

「ルーリエの方々――アルベルト様にご面会頂く時に不愉快に思われないかしら?」

 そもそも見た目を変えているので気付いて貰えるのかイザベルは気がかりで、短くなった髪を撫でた。その仕草を愛らしいと思いつつ、トマスは「アルベルト」という単語に不快なものを感じた。

「こっちは身分を隠しながら危険な旅してるんだし、きっと分かってくれますよ!見た目や匂いで足元見られたらぶっ飛ばしてやりますから!」

 トマスはブン殴る仕草をして見せたが、その瞬間彼が右腕に抱えていた薪が散らばってしまった。

「何やってるんですか」

 呆れ顔でレオナルドが近付いてきて、トマスが薪を拾い集めるのを手伝った。

「姫様、ルーリエの王都までまだ距離がありますからそれまでに入浴する機会はありますよ。それよりもですね」

 彼は馬車の方を向いた。非常食や食器、寝具の他に外国語の本も荷台に積まれている。

「ルーリエ以外の国にも行くことになるのですから、外国語の勉強もして頂きますからね。言葉が通じなければどうにもなりませんから。トマスもですよ」

 イザベルは勿論、トマスもガックリ肩を落とした。いくらレオナルドが語学に富んでいるといっても、現地人との交渉を彼に任せてばかりではいられないだろう。



 就寝中は兵士たちが二人ずつ交代で寝ずの番をする。馬車の中で毛布一枚に包まれたイザベルは寝付けなかった。

「変な音がしませんか?」

 イザベルに問いかけられ、外で見張っているトマスは周りに耳を澄ませた。木の葉の擦れる音とフクロウの声がするだけだった。

「うーん、なんともないですけど」

「慣れない環境なので神経質になられてるんですよ。お父上の事とかありましたから。ここは我々にお任せください」

 もう一人の兵に言われてイザベルは何とか寝入ろうとした。羊を数える心の声に、獣か何か大きな物が離れた方へ木の葉をこする音が混じった。



「危なかった」

 イザベル一行の野営地から離れて川の下流に面した場所に出た十蔵はつぶやいた。ようやく牢屋から脱出してあのエルフ娘にリベンジできるかと思ったのに、返り討ちに遭う所だった。

 吹雪の魔法で気絶した彼が意識を取り戻した時、他のデクスター傘下の生き残りと共に牢屋にぶち込まれていた。彼らが言うにはイザベルの歌を聞いた城の兵士たちが急に強くなったが、逆に敵対者は彼女の歌によって吹き飛ばされたり見えない空気の刃に切りつけられたりしたとのこと。どういうことだ。俺は異世界転生したんだから無双できるはずじゃないのか。

 まあ逆境に追い込まれるのも悪くない。こうして脱獄できたのだからあのエルフ姫にリベンジする機会はあるはずだ。大体の異世界転生系作品の主人公はどんなに辛い状況になってもこちらに危害を加えた奴に復讐できるはずなんだ。イザベルと言う姫もひれ伏させ、言いなりにさせることもできるはずだ。エルフなだけあって非常に可愛らしい彼女はもしかしたらヒロインかもしれない。

 十蔵は頭巾を取り、川面に自らの顔を晒した。この世界基準じゃ小柄な方だが、なかなかのイケメンに生まれ変われたじゃないかとニヤリと笑った。本人は白い歯をきらめかせたつもりだが、実際は反っ歯なだけである。

 意気込んだ十蔵は巻物を取り出して筆の先を舐め、さらさらと書きこんだ。



「異世界転生して無双できると思ったら、エルフ姫に序盤でやられるカマセでした」



 もしこれがゲームかライトノベルの中だとしたら、タイトルはこんな感じだろう。十蔵はとにかく自分が主人公なのだと固く信じ、巻物に書いた文字を掲げて月に透かして見た。悪くない。

 しかしこの世界は十蔵が生前読んだことのあるどの漫画にもラノベにも心当たりがない気がする。どの国にも異なる言語があるのに(十蔵には)通じるのはよくあるからいい。しかし人間とエルフの間に生まれたハーフエルフは大概迫害される側なのに、カンパーナと言うハーフエルフが支配する国がある。魔王と言う存在があってそれを倒した勇者の伝説はあるのに、その時彼が使った武器は伝承もろとも残されていない。

 何よりエルフ姫にも使われたあのスタンド付きマイク、あれが一番この世界で浮いている。あれは十蔵の前世でよく見られた機械だ。電子機器なんてあったらおかしな世界観なのに動力源は何だろう?電池はまずない、この世界のエネルギー源は植物や鉱物などの自然物から生じる魔力らしい。大体何故マイクから音楽が流れるのか?あれはどうやってこの世界に来たのか、それともこの世界で作られたのか?

 いずれにせよ十蔵はイザベル姫もろとも手に入れるつもりでいた。

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金の鈴・銀の杖~エルフ姫が窮地に手にした家宝は異世界転移物でした~ 貫木椿 @tubakicco

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