本当の間違いは

 唯一の家族……。

 それならわたくしとマインラートは、コンラートにとって何なのだ。わたくしは今でも、コンラートが生まれた時のこと、小さかった頃に過ごした思い出を大切にしている。


 だ。


 わたくしは今のコンラートを知らない。この子がこんなことを考えていたなんて思ってもみなかった。わたくしがずっと見ようと、知ろうとしなかったからだ。


 そこでユーリがコンラートを止めようとした。ユーリはわたくしの本心を知っているからだろう。コンラートと向き合うために力になると言ってくれていた。


「コンラート、やめて! お義母様は……!」

「ユーリ!」


 もう、いい。わたくしはユーリを制止して、首を振る。自分の罪を棚に上げて傷つくわたくしが間違っている。わたくしは自分の罪を認めて、コンラートに謝ることしかできなかった。


「……わたくしが関心を持たなかったからあなたが責任を負わなければならなかったこと、本当に申し訳なく思うわ。クライスラー男爵夫人にも謝って済むことではないけれど、わたくしにできることは何でもすると伝えて。わたくしの顔なんて見たくないでしょうから……」


 そんなわたくしをコンラートは鼻で笑う。


「何を今更。あなたは何もわかっていない。それは子爵夫人としての義務からですか? それとも人として贖罪をしたいからですか? 結局はあなた自身が楽になりたいからではないのですか?」


 図星を指されて、わたくしは息を呑んだ。

 赦されたかったわけではない。それでも、こうして謝罪を形にすることで、罪を認めて楽になろうとしていた。


 何も言えないわたくしをユーリが庇おうと口を挟む。


「コンラート、もうやめて! お義母様をそれ以上、追い詰めないで。あなたにわかるの? 夫に顧みられることのない妻の気持ちが。私は今回のことでお義母様の気持ちがよくわかったわ。私はあなたを信じたかったけど、あなたが何を考えているのかわからなくて辛かった。そんな私を、お義母様が支えてくださっていたのよ」

「ユーリ……」


 庇ってくれるのは嬉しいけれど、もういい。最初に全てを諦めて手を伸ばそうとしなかったのはわたくしだ。


 マインラートやコンラートに愛されるはずがないと思い込んで、現実から目を逸らして心を閉ざして被害者ぶって。


 本当の被害者は誰だったのか。


 こうして現実を突きつけられて初めて気づいた。こうなるまで気づかなかった愚かな自分。


 わたくしを庇うユーリをコンラートは寂しそうに見る。


「……それなら君は誰にも顧みられなかった子どもの気持ちがわかるのかい?」


 それはわたくしにもよくわかる。お前は無価値だ、役立たずと言われ、嫁いで困っていても実家の家族は助けてくれなかった。自分はいてもいなくても変わらない存在だと痛感した。


「……僕は早いうちから後継に相応しくあれと教育されてきたよ。父上は叱責するだけで褒めてくれたことはない。それどころか、母上はそのことに触れることすらなかった。忙しいから、あっちに行って、そんなことばかり言われていたよ。そんな僕の味方は乳母だけだった」


 マインラートはこの家をどうやって守ろうか苦心していた。自分は家のために泥を被ることしかできなかったから、コンラートにはそうなって欲しくなかったのだと思う。


 だから敢えて厳しく接することしかできなかった。不器用な人なのだ。悲しいほどに──。


 わたくしはマインラートの方針に意を唱えることはできなかった。マインラートに従うのが美徳だと思っていたし、そんなマインラートの親心がわかるのと、最低の母親のわたくしには口出しする権利なんてなかったからだ。


 そして、コンラートは庭にある生垣の迷路の話をした。幼い頃にコンラートが強請って作ったものだ。あの子が辛いことがあるたびに隠れていたのは気づいていた。


 だけど、わたくしは一度も探しに行ったことはなかった。一度振り払った手を再び差し出すことなんてできるわけがない。だからわたくしは乳母に探しに行って欲しいとお願いしていた。それを誰にも言わないようにと。


 マインラートが乳母を辞めさせて教育係を雇った時に、これからは探しに行く人がいないことに気づいていた。だけど、わたくしは何もしなかった。


 更にコンラートはわたくしが庭に出てきた時の話をした。自分を探して出てきてくれたのだと喜んだのも束の間、わたくしが庭師に近づいて愛を囁き始めたと。


 子どもの口から弱くて汚い自分の姿を語られるのは惨めだった。


「……あなたがあそこにいるとは思わなかった」


 当時わかっていれば、そんなことはしなかった。見られたくなかった。そんなことは言い訳だ。今は全てがどうでもよくなってコンラートの前でもお構い無しでしているというのに。


 コンラートも同じことを思ったようで激昂した。


「あそこにいたから何ですか! あなたにとって僕はいてもいなくても一緒でしょう? いつもお構い無しに逢瀬を重ねていたではありませんか!」

「……確かにそうね。わたくしは何も見ようとせず、考えようともしなかった……その結果がこの始末。わたくしの人生って本当に何だったのかしら……」


 一体どこで間違えたのだろうか。

 一つ一つの出来事を辿るように思い出していた。


 わたくしの幸せは何だったのだろうと考えて、コンラートとマインラート二人の姿が浮かぶ。


 二人に愛されることだったのだろうか、それとも二人が幸せになってくれることだったのだろうか。


 マインラートはきっとレーネ様を愛していたのだと思う。だけど、わたくしがいたから結婚できずに別れてしまい、レーネ様は身籠って子どもの存在をおおやけにすることができなかった。


 コンラートはわたくしが目を背けていたからこうしてシュトラウスの不祥事を隠すために奔走し、その結果大切にしたい存在であるはずのユーリを蔑ろにしてしまった。愛情の示し方を知らない子になってしまったから。


 ──全ての元凶はわたくしだった。


 わたくしがいなければ二人は幸せになれたのだ。そう気づいたわたくしは自分の存在意義を見失った。


 実家でも言われていたではないか、お前は無価値だと。初めからわたくしはいらなかったのだ。


 誰からも必要とされない人生。それならばわたくし自身の手で終わりにしよう。


 わずかに残っていた生きる希望はついえてしまった。


 そうしてわたくしは自分で自分の存在を抹消するために、考えることを放棄し、底なし沼のような意識の底に深く沈んでいった──。

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