第27話 選挙参謀の虚像と実像に迫る

 ここまでしゃべって、私は、飲みかけのコーヒーを飲みきり、お代わりをお願いした。


 米河さん、修身は確かにね、あなたがおっしゃったように、江戸っ子ではないけど、宵越しの金は持たないという気風を、確かに持ち合わせていた。どこでそのような気風が醸成されたのかは私にはわからないが、哲郎から聞いたと思うけど、私の東京の店に取材に来た時があってね、そのとき彼といろいろ話していたら、どうも早稲田大に合格して東京に出て来て、マージャンを覚えた頃から、そんな調子の生活になじんでしまったようだ。もっとも、そういうものになじむ兆候は、以前からあったようだが。彼はマージャン、確かに強かったようでね、実際、週刊誌の記者をしながら、その給料にはほとんど手つけず、マージャンで得た金で生活費と飲み代を賄っていた時期があった。ただ、実家の本屋を継ぐために岡山市に戻ってからは、わからないけどね。あのまま東京で暮らしていたら、それなりの立場まで至ったかもしれないが、逆に、危ない橋を渡って「消えて」しまったかもしれない。そこは、何とも言えないがね。あなたもわかるだろうけど、大体、ギャンブルなんてやっていたら、勝っているときは周りにこれだけ勝ってどれだけ金がたまったとかいうのが、負けが込んだら、ピタッと黙ってしまうものでしょ、それがあるからねぇ・・・、そもそも東京から戻ったときも、同じような何かがあったのかもしれない。まあ、真相は、私たちが今更知ってどうなるものでも、ないだろうけど・・・。


 西沢さんが、感慨深そうに若いころの永野さんとの再会を述べる。

「岡山県営球場で会っていた子どもの頃から、あの子には確かに、賢さは感じられた。哲郎から、修身が早稲田大に合格したと聞かされた時も、それほどびっくりはしなかった。週刊誌の記者になって再会したときは、賢さには確かに磨きがかかったように思えた半面、いささか、危険な要素もそれに比例して持合せてきたなという感じもした。だから、哲郎からかねて聞かされていた晩年の話を聞いても、私は、それほど意外には思わなかった。いやむしろ、よくその程度で食い止められているな、とさえ思ったほどだよ」


 ここで、滝沢さんが話し始めた。


 ちょっと話の時期がずれますけど、いいですか?

 修身君が高校生の頃、私が2歳下で中学生でしたけど、彼、文系科目はものすごく得意だったこともあって、高校入試の時は国語や英語を教えてもらいました。数学や理科は、勉強してないから無理だ、卓司にも負けるなんて言っていましたけどね。そういえばその頃、目の前で突如、漢詩を作って見せたこともありました。なんで漢詩なんか作るのかって聞いてみたら、今度、数学のテストで一つ答案の裏に披露してみようと思っている、なんて言っていて、まさかそんなことをするとは思っていませんでしたけど、あとで聞いたら、本当にしたというので、びっくりしましたよ。

 私、高校は岡山県立の北商業に行きましたが、そこの国語の先生にその漢詩を見せたら、これ本当に宇野高校の生徒が作ったのか、って聞くから、そうですよ、って答えた。そしたら、その先生、確かに大した漢詩を作っているが、韻を踏んでいないな、って、言われました。実際答案に書いた漢詩は、あとで修身君が持ってきてくれた答案用紙と見比べてみても、確かに、私の前で作ったのと同じものでした。その日は、韻を踏むように修正したつもりが、ついうっかり、うちの旅館に遊びに来た時に作った漢詩のそのままを書いてしまった、惜しいことをした、なんて、後日岡山市に出てきてうちの旅館に寄ったとき、そんなことを言っていましたよ。


「その話も聞いたが、まったく、あの子らしいな」

と、おやっさん。西沢さんも、同感の意を表する。

「今時、数学のテストでなくてもいいですけど、問題を一切解かずに漢詩なんか書いて出したら、点をもらえるどころか、呼出しものですよね」

と、たまきさん。

「それを言っちゃあ、身もふたもないでしょう。この話、先日津山市の岡山県立作州中高一貫校の生徒に言ったら、間違いなく、うちなら即呼出しです、って、言われましたよ」

と答えたのは、私。


 コーヒーのお代わりが来た。ブラックのまま一口だけ飲み、口直しに横に置かれていたグラスの水を一口入れてゆすぐように飲み込んで、話を再開した。ふと、マスターの座っているテーブルを見た。オリーブオイルを入れた皿には、パンが置かれたままだ。

 ここでは2012年の県議補選と2013年の市議補選の話をしたが、これまでご紹介したところと重なる部分も少なからずあるため、重複部分は省略させていただきます。

 

 私が最初に永野さんにお会いしたのは、2012年の岡山県知事選と同時に実施された岡山県議補選で、中央区から出馬された元市議の丹生芳香さんの選挙事務所でした。丹生さんは市議を4期務められましたが、政令市になって最初の市議選となった2011年の一斉地方選の時に中央区から出て落選して、しばらくの間幼稚園の理事などをしておられました。

 この県議補選に誰か出られそうな人はいないかと常木が関係者と接触していて、前回の市議選で落選した丹生芳香さんを出そうということになりました。それを聞いた常木の知合いの田井幸一さんという宇野市議をされている方が、それなら、知人の永野修身さんをご紹介しますということになって、そこで初めて、常木と永野さんの面識ができたというわけです。常木のほうが1949年の早生まれで1学年上でして、どちらも岡山県内の出身で、現役で早稲田大に行っていますから、同窓生というわけです。加えて、候補者になるかそうでないかの違いはあっても政治という舞台で活躍している人には違いありませんから、どこかで接点があってもおかしくないはずでしたが、お二人とも、この時が本当に初対面でした。

 私はすでに常木とは10年以上の接触がありましたが、永野修身さんは、この時初めて知りました。岡山市内で書店を経営されていたこともお聞きしましたが、私が住んでいた学区ではなかったので、本屋こそ通りかかったことはありましたが、特に本を買うために店に入ったこともありませんでしたからね。

 晩年の永野さんは、禿げあがった部分を除いてぼさぼさに伸びまくった白髪交じりの髪で、くたびれた服を着て、杖をつきながらようやく歩いておられるような感じで、酒を飲むにしても、ビールのジョッキを持つ手が大きく震えていました。これ、典型的なアルコール中毒ですよね。人のことは言えませんけど・・・。

 でも、最初に会ったときは、確かにそのような兆候は見られましたが、杖はまだつかれていなかったし、髪も、きれいに散髪されていました。選挙事務所での仕事の指示も、非常にテキパキしていました。事務所に出入する人たち、特にボランティアで手伝いに来てくださる方々への気配りは、本当にすごかった。私も、気配りの足りなさで厳しく叱責を受けたことがありました。常木事務所でお会いする人は、皆さんいい人たちばかりで、和気あいあいとやっていまして、永野さんのような一癖も二癖もある人はおられませんでした。そういう状況に慣れた私にとっては、永野さんのような人との出会いは異質でしたが、今思えば実に貴重なものでした。

 亡くなられてなお、永野さんはあちこちで非難を受けておられるようですが、永野さんのおかげで、常木がその後大いに助かったという例もありますよ。


 確か2006年ごろだったと思いますが、ある場所で駐車指導員の手をつかんで噛みついて公務執行妨害の現行犯で逮捕された、社会保険労務士のQさんという方がいまして、それをきっかけで私が「ブラッシー先生」というあだ名をつけてあちこちで広まってしまいましたが、このブラッシーさんは以前からあちこち、勤労党や民社連系の人たちの選挙の手伝いに出て来られていて、常木の事務所にもたびたび来られていました。

 丹生さんの選挙の時も例によって来られていて、事務所内で何やらあったみたいで、結局、永野さんからお引取を願われました。常木本人の選挙でなかっただけに、それはある意味、幸いだったと思います。その選挙の時ですけど、最初のうちはブラッシーさん、永野さんといろいろな意味で合わないらしく、私のところに来てかれこれ話していて、永野さんも私に対応を丸投げしている状態でしたが、さすがにこのままではいけないということで、あることをきっかけに永野さんがブラッシーさんを「出入禁止」にされまして、それがきっかけで、ブラッシー先生、常木の事務所にも来られなくなりました。ブラッシーさんが常木の選挙に来られた時は、事務所内の雰囲気がいささか悪くなるというのもありましたから、これは常木事務所の者にとっては、確かに、後々のことを考えたら、ありがたいものがありました。ちなみにこのQさんですが、「噛みつき」の件で最高裁判所まで争いましたが、結局有罪が確定し、執行猶予、まあ言うなら、「弁当」付きの刑を食らってしまいました。さすがにブラッシー先生は、今はもう「弁当」はなくなっていますし、再度業務を開始すればよさそうなものですけど、いろいろあって、されていません。

 このQさんも永野さんといささか共通点があって、公務員をしていた親父さんの年金でずっと暮らしていた時期がありました。ただ、永野さんのようにまとまった金が入るような仕事はされていなかったと聞いています。本業の社労士の事務所は、お客さんはいくらかはおられましたが、それほど儲かっているわけでもなかったようですし。

 今は、江本六月元参議院議員がらみで運転手などの仕事をされているようです。


 私が永野さんとともに選挙をやったのは、丹生さんと、その翌年に行われた元岡山県議で勤労党系の草津隆雄さんの岡山市議補選の中央区選挙区での選挙の2つだけですが、結果としては、1勝1敗ですね。ただこの2回の選挙に関する限り、永野さんの選挙事務所責任者としての仕事には、落度やミスはほとんどありませんでした。

 確かに酒を飲んで煙草を吸う人ではありますけど、選挙期間の選挙活動可能な時間帯から酒を飲むようなことはありませんでした。県議補選の後には衆議院議員の総選挙もあり、市議補選の前には3年ごとの参院選もありまして、永野さんは、それまで民自党系の候補者を中心に選挙参謀をされていたものの、これを機会とばかりに、勤労党や民社連系の人たちとのつながりを深めていきました。ある面から見れば保守系の知人から愛想を尽かされて、たまたま声のかかった常木との縁をベースに、野党系の人らとの付合いを広げようと思われたのかもしれません。そちらでは、「悪名」もまだ轟いてはいませんでしたから。

 もっとも、思想・信条については、最後まで保守系の人たちとほぼ同じものを持ち続けておられました。とはいえ、保守系の人たちと親和性の高い考えと完全に軌を一にしているわけでもありませんでした。私自身の話で例えを出しますとね、私は、思うところあって家制度には批判的というより否定的な考えを持っています。儒教的な発想もそうですが。

 それに関して、晩年に至るまで、2か月に1度のペースでお会いして飲んでいた「くしやわ」なる居酒屋で、永野さんとこんなやりとりがありました。

「家制度を復活させれば今の問題、例えば介護の問題とか、道徳の問題とか、そういうものが解決するとか言う保守筋のドアホがおりますけど、どんなものでしょうか?」


 永野さんの答えは、こうでした。

「無理だな。そんなものを復活させたところで、問題を拡大させるだけじゃ。多少のプラスは、ひょっとして、あるかもしれんが、マイナスの方が大きいな」

「家制度は、私には不倶戴天の敵です。このクズ思想のおかげで、私は岡山県に孤児扱いされましたからね。坊主憎けりゃ袈裟まで・・・ではありませんが、あれを叩き潰すためには、悪魔とでも手を結びますよ」

「ほう、では君は、中国や韓国、北朝鮮とでも手を結ぶのかね?」

「それはしません。手を結ぶメリットの割には、リスクがあまりに大きすぎますから。特に大陸が、そうじゃないですか。ちなみにあちらの半島の思想基盤は、儒教でしょう。長幼の列さえ整えば、生来的犯罪者も反射的利益とは言え擁護するような思想の持主は、この世から抹殺されてしかるべきです。尊属殺人罪を合憲とか抜かした裁判官などは、先日の北朝鮮の誰かみたく、ロケット砲で処刑されてしかるべき人類のクズですよ。まあ、それはともかくとしまして、半島や大陸筋と結ばなくても、私の目的は達成できますから、そこまでの必要などないってことですよ」

「わしも長年保守系の連中と付合いがあったが、保守が皆、石頭で時代遅れで不勉強の阿呆ばかりじゃねえことは、あんたもわかろう。不勉強の阿呆どものおかげで左翼に付け込まれる隙を作った保守層は、わしも認めておらん。繰り返すが、例えば協産党員がすべて賢いなんてこともなくて、あんたも言っておった通り、幹部連中の能書をありがたがっとるだけのクズが多い。自分のことしか考えられないものが多いというが、それすら買い被りでな、あの手合いには、自分のことも満足に考えられない、言うなら、人生を投げているようなのが多い。それと同じことじゃ。保守がすべて馬鹿ばかりじゃなくて、優秀な人間も多数おった。いろいろおったけど、あいつらがきちんとやってきたからこそ、日本がここまで発展できたという面もある。もちろんわしは、鉄馬やその一派を全肯定するつもりはないで。だがな、そこはきちんと、分けて考えなきゃいかん。君にはそんなこと、釈迦に説法でしかないかもしれんが・・・」

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