第26話 選挙参謀になったきっかけ

 先日、4年前の岡山県議選宇野市選挙区で出馬された元宇野市議会議員の谷橋純子さんという方がおられまして、永野修身さんは、この選挙で谷橋陣営の選挙参謀をされました。この選挙区で出馬されたのは、民自党公認で創明党推薦の現職・近藤浩候補と、勤労党系の労組から出ているこれまた現職の住友秀久候補、それから、谷橋純子さんで、この人は民自党の推薦と、創明党の支持を取り付けていました。これに、県議選では独自候補を立てない協産党が、表向きは何も言いませんでしたが、内々では谷橋支持で動いていました。というのも、協産党にしてみれば、民自系の近藤候補を推すわけにもいかないし、勤労党系の住友さんとは過去の行きがかり上支持できないしこりが残っているので、ここも推せない。折角なので、女性候補でもある谷橋さんを、という、これはまあ、消極的な支持ですけどね。ただ、宇野市での協産党は基礎票がせいぜい3000票あるかどうかで、この程度では残念ながらキャスティングボードたりえません。しかも全党挙げての支持でもないので、住友候補にという支持者もいるほどでした。そこに来ると創明党は基礎票だけで6000票強、協産党の倍を幾分上回る力を持っています。永野さんは、この選挙には投票日の半年前から関わっておられました。その話に入る前に、前置きとして、少し長くなるかもしれませんけれども、それまでの経緯をお話しておきます。


 ではなぜその時、永野さんが谷橋さんの選挙参謀に就任されたかといいますと、それをさかのぼること12年前、まだ30代前半だった谷橋さんが最初に宇野市議選に出馬されたときに、ある人の紹介で選挙参謀を引き受けることになったのがきっかけでした。

 その人というのは、元宇野市長の藤田勝巳さんという方で、永野さんが子どもの頃から可愛がってもらっていたという方でした。そういう恩人のような方ではありましたが、昭和の終り頃だったと思いますが、その人とは別の恩人筋の人から、宇野市のためにならんことを藤田市長はしているから、批判の街宣を当分の間市役所前でやってくれと言われて、心を鬼にして、2週間ほど「市長糾弾演説」をしたことがありました。さすがに藤田さん、市長室から出てきて、永野さんに「勘弁してくれ」と言ったそうです。

 結局、藤田さんはその件で再選を阻止されました。

 それで人間関係が壊れたかというと、一時的には疎遠になったものの、数年後には回復していたようで、その藤田さんから、


 おまえどうせ金がないだろう。まとまった金をつくれるから、ぜひやってやれ。

 ついでに、これで糾弾演説の借りは返したことにしてやるから。


とかなんとか言いくるめられて、そんな流れで谷橋さんの初選挙をプロデュースすることになったそうです。

 もともと永野さんの一家は岡山市と宇野市で祖父の代から書店を経営していました。祖父が亡くなり、親も高齢化してきたため、昭和50年代の半ばに、結婚を機に岡山市に戻ってきて、書店を継ぎました。しばらくはよかったのですが、平成になって間もないころ、それこそ、バブルが崩壊しかけたころですか、そのころから経営が思わしくなくなってきて、イチかバチかと、永野さんは学生時代に腕を鳴らした麻雀で何とか起死回生を図ろうと思われたようです。谷橋さんの話では、賭けマージャンで結局のところ永野さんは大借金を抱え、奥さんを実家に戻し、夜逃げ同然に祖父の代からある宇野市の書店をたたんで、学生時代からのコネがあった東京の書店の編集部に勤めていました。岡山市に戻ってくる前と、その書店の編集部にいた時期とがあったから、年金がそれなりの金額になっていたのは、晩年の永野さんにとっては不幸中の幸いでした。ついでに言えば、企業年金も年間30万近くあったようでしてね。宇野市のほうは夜逃げ同然ということでしたが、それなりに売上のあった岡山市の書店は、その借金のかたで、知人に譲られました。

 だけどもう、閉店しているようですね。

 書店はどこも、今は経営が厳しいですから。


 賭けマージャン事件のホトボリも冷めた数年後、選挙もあるからということで、永野さんは岡山市に戻ってこられて、いくつかの選挙の参謀などをしつつ、糊口をしのいでいました。まだ50代前後で、年頃の娘さんもおられましたから、いくばくかの選挙で得た金を、奥さんへと渡していました。確かに最初の頃は、それで何年か暮らせるぐらいの金を渡せていました。そのため娘さんたちも、それぞれ無事に、国立大学を卒業できました。ただ、ご本人の普段の状況はといいますと、選挙などの「あぶく銭」以外のところは、御両親と父の姉にあたる伯母の年金で生活をしているような状況だったようです。その割には、普段から岡山市内や宇野市の市街地周辺でたびたび酒を飲みに出られていましたし、煙草も吸う、気前よく人にはおごるし、面倒なら岡山市内中心部のホテルに泊まって帰る。まさに、江戸っ子の宵越しの金は持たないを地で行くような暮らしをされていました。それでも、選挙などにそれなりの引手があった時期はいいですが、いかんせん、そんな調子で、昼間からも缶ビールや缶酎ハイを飲んでいるような生活をされていまして、それで街中をぶらぶらされるものですから、書店をされていた頃から付合いのあった橋田龍一郎元首相の宇野市後援会の関係者の皆さんも、やがては、いくら選挙の腕がよくてもあの調子ではなぁ、ということになってきました。谷橋さんの最初の選挙の時はまだよかったですが、その頃から徐々に、橋田さんの後援会関係者から距離を置かれるようになりました。


 谷橋さんも、最初の市議選の時は、確かにお世話になったし、ものすごく勉強になったことは間違いないので、そこについては感謝しておられます。演説の原稿作りから、候補者の姿格好、立ち振舞い、あいさつの仕方、後援会や支持者の対応、演説でのしゃべり方、さらには、選挙前、それに選挙後の事務処理、何より、事務所に出入される人たち、スタッフの皆さんへの気配り、その他かれこれ、選挙に勝つために必要なことをすべて教え込まれたそうです。その頃の永野さんは、選挙の前後だけでなく、世話をした議員さんの政策立案にも携わっていたために、選挙がない期間でもいくらかはお金が入って来ていて、気前もずいぶんよかった。さらに選挙前後になろうものなら、それこそ数百万単位のお金が動きますから、金回りも気前もますます良くなるわけです。これは永野さんと晩年お付合いのあった北林信哉さんという方がおっしゃっていましたが、永野さんはもともと、大金を得ても自分の懐に取込んでしまおうという人じゃなく、むしろ、そこで得た金を次につなげるべく、さらに使っていくところがあって、それが晩年の困窮の原因の一つになっていた、とのことでした。ですが、娘さんが大学を出て就職され、結婚されるようになってきたころから、そうですね、おおむね永野さんが60歳になるかどうかの頃から、永野さんの酒の量も増え、それに反比例して、選挙がらみの仕事も減ってきました。

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