第23話「よくある話、いくない話」

 風通しのよくオープンカーになったセダンは、徐々にスピードを上げて郊外へと走る。下町を抜けると周囲に民家がまばらになっていった。温かな街明かりが去り、周囲は暗い森が闇を広げてくる。

 チユリは肌を切るような寒さの中で、着の身着のままの自分を抱いた。

 震えているのは、こごえているからではない。

 突然の幸せが、突然奪われた。

 そして、幸せを共有していた少女が心配でたまらなかった。


「マッケイ、追跡はどうじゃ?」

「大丈夫です、博士。……チユリ、寒いだろう? これを羽織はおるといい」


 マッケイが、脱いだジャケットを貸してくれる。シャツ一枚になった彼の肩から、真っ赤な血が流れていた。正確には血ではなく、アンドロイドの体内に流れる潤滑液だ。役割は血液とほぼ同じであり、緊急時には人間への輸血も可能である。

 そして、ただ人間がそう望むから、モデルによって赤かったり青かったりだ。

 目の前の好青年は、なにもかもが人から求められた要素で構成されている。

 さらに言えば、今のマッケイはチユリがほっした姿と性格をしているのだ。


「ほら、チユリ。あれがセーフハウスさ。ちょっといいだろう?」

「……う、うん」


 山間部に向かって何度もカーブを大きく曲がって登ると、不意に視界が開けた。周囲の森がそこだけ、ぽっかりと開けている。

 そして、豪奢ごうしゃな雰囲気の山荘が月夜にそびえ立っていた。

 アニメや漫画だと、悪のラスボスがいそうな感じの隠れ家である。

 だが、今のチユリにはマッケイしか目に入らない。

 マッケイもまた、自分の傷を凝視するチユリに優しく微笑ほほえみかけた。


「ああ、大したことないさ。内部の骨格フレームには直撃していないし、ビームによる溶断だから潤滑液が吹き出すこともない」

「で、でもぉ」

「それより、アーキタイプの方が心配さ。撃った俺が言うのもなんだけど、造ったのも博士なら……通用する武器を持ってるのもまた、博士だからね」


 ダンゾウはフンと鼻を鳴らしつつ、車を山荘の敷地へ乗り入れる。

 三角屋根の二階建てで、長く大きな煙突が夜空へと伸びている。バルコニーも広くて、いかにも金持ちの別荘といった風格である。多分、まきを燃やす暖炉があって、バーカウンターがあって、お風呂はとても広いのだろう。


「あーあ、こういうとこはメリアと二人きりで来たかったなあ」


 いつもの自分を演じて、無理に笑ってみる。

 その言葉にマッケイは、なにも言わずにポンと頭を撫でてくれた。

 妙な気遣いもびもなく、さりげなさがありがたい。そして、ゲームのキャラを元にチユリが思い描いた優しさは、本当に完璧に再現されているんだと実感できた。

 だから、車を降りた博士を追ってドアを開く。


「えっと、博士! メリアをこれからどうするつもり?」

勿論もちろん、取り返す。彼女がいなければ、そもそもワシの計画は成立せんよ」

「……どうみても、合法の活動じゃないよね。犯罪行為には手を貸せないし、メリアにもそんなことさせられないっ!」

「ふむ、ではどうするのかね?」

「アンドロイドの自由と解放のため、なんでしょ? 悪いけど口出しさせてもらうから、もっと話して」


 正直、自分でも恐ろしい。

 今この瞬間、大いなる陰謀に加担しているかもしれないのだ。

 だが、なけなしの勇気を振り絞る。

 虎穴こけつに入らずんば虎子こじを得ず、だ。

 このまま善良な市民として、しかるべき場所に通報したりするのが賢い選択だろう。だが、そうなればメリアは間違いなく処罰の対象になる。

 それに、造ったダンゾウならもしかしたら、メリアを直せるかもしれない。

 そのダンゾウだが「フム」と唸って山荘の中へと消えてしまった。

 あとを追えば、自動で照明が灯され空調が動き出す。

 吹き抜けの広い広いリビングの中央で、ダンゾウは振り返った。


「マッケイ、怪我は平気かね?」

「軽傷ですが、すぐに治療をしておきましょう。なに、自分でできるレベルですよ」

「結構、では少し休んでいたまえ。さ、お嬢さんはこっちじゃ」


 室内は、どの調度品もアンティークな魅力を発散していた。

 ちょっと、ありきたりな程に整い過ぎてて、かえってチユリは落ち着かない。だが、言われるままにソファに座って、ダンゾウとテーブルを挟んで対峙する。

 ダンゾウはスーツの内ポケットからシガレットケースを取り出した。


「いいかね? 吸っても」

「あ、はい。どぞ」

「うむ。さて……なにから話したものかのう」


 テーブルの上には、高そうなクリスタルの灰皿がある。創作物ではおもに、鈍器として活躍が期待できるアイテム……装備すれば武器ってやつだ。

 ダンゾウはライターで葉巻はまきに火を付けると、静かに紫煙しえんくゆらした。

 すぐに邸内の管理システムが、チユリに煙が届かぬように小さな気流を生み出す。

 ダンゾウは一服すると、落ち着いた様子で椅子に身を沈めた。


「端的に言えば、ワシはこの世の全てのアンドロイドを……幸せにしたいと思っているのじゃ」

「目的はそれ、だよね? じゃあ、そのための手段は? やりかた、間違ってない?」

「常に正しいものばかりを選べぬのが、それが世の常じゃ」

「ベストかベターかって話をしてるんじゃないよ。あたしが言いたいのは!」

「わかっておる……じゃがな、お嬢さん」

「チユリ、タチバナチユリです。もう、お嬢さんって歳でもないし」

「これは失礼、ミズ・チユリ」


 これは、あれだ。

 あれだなと脳裏にチユリの意識がうなずく。

 世界平和のためだと言って、平気で戦争を起こすような人種だ。ステレオタイプの悪役、それも古典的なマッドサイエンティストのたぐいだと思う。

 だが、同時に妙な違和感をも感じる。

 見た目に反してアグレッシブだが、ダンゾウは自分に心酔したような雰囲気があまりない。声を荒げることもないし、チユリに必要以上の押しつけをしてこないのだ。


「いや、でも……そういうキャラが一番ヤバいってのもあるしなあ」

「ん? どうしたんじゃ、ミズ・チユリ」

「あっ、いーえっ! それより……アンドロイドって、そんなに今の環境がよくないんですか? 解放なんて言われると、人間が奴隷としてあつかってるように聞こえますけど」


 迷わずチユリは核心をついた。

 耳に心地よい理想ほど、慎重に接する必要がある。

 それに、機械大戦ファクトリーウォーの時代ならいざしらず、今はアンドロイドにも人間と同等の権利が与えられている。あくまで同等、全く同じではない。それは当然で、アンドロイドは人間になれないし、その逆もしかりだからだ。

 違うことと無理なこと、それを前提に人類とアンドロイドは歩み寄り、共にヒトとして生きているのが現代なのである。

 そんなことくらいは、ダンゾウも重々承知なのではとチユリはいぶかしむ。


「無論、現行の制度は不完全ながらも、戦争前よりも格段に進歩しておる。そして、日々進歩し続けておる」

「なら、それを温かく見守ってくとか、駄目なのかな」

「……残念ながら、ワシにはもう時間があまり残されておらんのじゃ」

「そこはそれ、後継者を立てるとか」

「その後継者である、アンドロイドたちのためにも……責任ある世代として、ワシが最低限の筋道を作ってやらねばならん」


 ダンゾウは静かに語り出した。

 彼は機械大戦以前から、アンドロイドにそれ相応の権利を求めてきた。だが、当時の世界はどこの国でも、あまりに予想を超えたアンドロイドたちの多様性に恐れおののいていたのだ。

 アンドロイドは、人間を補完してくれるツールだと思われていた。

 だが実際には、おおむね多くの点で人間を凌駕りょうがする新しい種族だったのである。


「当時の人間は皆、アンドロイドたちの扱いに戸惑っておったわい。そして……大量に消費される国家事業を動かして、その数を減らしておこうと考えたのじゃ」

「えっ? いやそれ初耳……つまり」

「機械大戦と呼ばれる一連の動乱は、社会に広がり始めたアンドロイドに『道具ゆえに消耗が許される存在』という歪んだ価値観を紐付ける意味もあったのじゃ」


 学校では習わなかったし、恐らくネットを検索してもそんな話は出てこないだろう。もし見つけても、危ない人の与太話よたばなし程度にしか思わないはずだ。

 チユリは改めて、事実は小説より奇なりという言葉を思い出していた。


「人間の血が流れないアンドロイドでの戦争は、綺麗な戦争ってやつ?」

「うむ。あくまで人間の都合が優先される社会でなければと……それは、時代の変革に直面した人間たちの、本能的な危機感だったのかもしれん」

「……じゃあ、今は?」

「よい形に落とし込んだ、と言いたいところだがのう。そもそも、今の制度設定にアンドロイドは関与しておらん。人間だけが定めた、人間の許せる権利しか与えられておらんのじゃよ」


 今のアンドロイドには例えば、選挙権はない。投票時に大量生産されては困るからだ。だが、同時にもう今の人間は知っている。それが高コスト故に実際には起こり得ないことを。そしてなにより、アンドロイドは人間の思い通りに動くロボットとは違うのだ。

 確かにアンドロイドには、まだまだ制限がある。

 そして、戦後の四十年で多くの自由を、権利を獲得してきたのも事実だ。


「まあ、わかった。ちょっと話をあとで整理するとして」

「ミズ・チユリ、おぬしは聡明な女性じゃな。アーキタイプがお主の元へ届いたのは、ある意味では不幸中の幸いじゃった」

「ま、それほどでもあるけど? って冗談はさておき、本題」


 グイとチユリは身を乗り出した。

 だが、気圧けおされる様子もなくダンゾウは真っ直ぐ見詰めてくる。


「メリアをどうするつもり? あと、あんな身体に作ってくれちゃって、どうするのよ!」


 正直、革命や解放運動には興味がない。

 それに、ダンゾウの気高い理想には矛盾が存在する。アンドロイドの自由のために、メリアの自由を奪っているのではないだろうか。

 メリアは、無数の武器を内蔵された自分に戸惑い、混乱して、そして泣いていた。

 寄り添えなかった悔しさ、自分の不甲斐なさは今もチユリの胸にくすぶっている。

 だが、チユリの眼差まなざしにダンゾウは迷いなく答えた。


「アーキタイプは、その名の通り雛形ひながた……彼女には、新しい世代の母たる使命があるのじゃ」


 思わずチユリは言葉を失った。

 そして、思った……袈裟けさの下からよろいを出したな、と。

 つまるところ、結局は予想通りというか、よくあるパターンだ。ダンゾウは古式ゆかしいマッドサイエンティストなんかではない。古式ゆかしい、本当に古いタイプのエゴイストなのだ。

 もう、メリアが人間かアンドロイドかは関係ない。

 ようするに、チユリの恋人は最初から道具としてデザインされていたのだ。

 それでチユリは、大きく溜め息をこぼしてソファに身を投げ出すのだった。

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