第22話「愛する天使、堕したるは悪魔か」

 セダンタイプのファミリーカーが、見た目を裏切る馬力を爆発させた。超電導リニアモーターの加速が、トラクションを四輪に伝えて大地を蹴り上げる。

 揺れる車内でチユリは、しっかりとマッケイに支えられていた。

 微動だにしない彼の胸板で、包まれるように守られている。

 メリアのやわらかな抱擁とは別種のときめきに、顔が熱くなるのを感じた。

 まだ動揺しているが、徐々にチユリは平静さを取り戻す。


「ね、ねえ、マッケイ君」

「ん? なんだい、チユリ」

「この人、君の言ってた博士?」

「ああ、そうだよ。ストーカーじゃないから、まずはそれだけ覚えててくれ」


 マッケイは終始落ち着いていて、その上に下手へたなジョークでユーモアを交えてくる。

 この二人は先日から、ずっとチユリをマークしていたのだ。

 もしかしたら、駅での出会いもそうだったかもしれない。

 運命ではなく、想定された必然だったのだ。

 少なくともマッケイにとってはそうだろうと思うと、少し意気消沈してしまう。それに、今はなによりメリアが心配だ。彼女は嫉妬しっと羞恥しゅうちといった感情を暴走させたまま、必死で自分を抑え込もうとしてた。

 そんなメリアが、チユリに危害を加えるはずがない。

 そう信じたいが、どうやらマッケイたちはそう思ってくれないらしい。


「ところで……博士、って呼べばいい? あたし、そろそろ色々説明してほしいんだけど」


 車が周囲の流れに溶け込んだタイミングで、静かになる。排気も騒音もない、本来の穏やかさを取り戻した車内で、チユリは言葉をわずかにとがらせた。

 その問に、バックミラーの中で老人はうなずく。

 鋭い目つきだ。

 まるでわしたか猛禽類もうきんるいのような厳しい眼差しである。

 だが、博士と呼ばれている人物は運転をオートに切り替えると、身を乗り出して振り返った。

 瞬間、思わずチユリは「あっ!」と声をあげてしまう。


「手荒な真似まねをしてすまなかった、お嬢さん。ワシの名は――」

鉢須賀ハチスカダンゾウ博士、だよね」

「フム、いかにも。やれやれ、ワシの名を記憶する人間がまだいるとはな」


 ――

 戦前に名を馳せた偉大な科学者である。アンドロイドやロボットの発展に尽力し、今ある基礎理論や技術の大半にたずさわっていた。

 チユリは、深いしわの刻まれた顔をまじまじと凝視する。

 どこかで会ったような気がするし、ソウジの家でサクラが語った人物像に近い印象があった。そして、あの悲惨な大戦のあとに忽然こつぜんと姿を消してしまったとも言われている。

 だが、チユリが真っ先に問いただしたのは、やはりメリアのことだった。


「博士、教えて! メリアになにがあったの? アーキタイプって? もしかして、博士があれを……? なら、あたしっ!」

「まあまあ、落ち着き給えよ。質問は一つずつだ」

「……メリアのことを教えて。洗いざらい全部!」

「よかろう」


 ダンゾウは深い溜め息を一つついて、手で顔をつるりと撫でた。

 そして、先程にもまして鋭い視線をチユリに投じてくる。

 負けじとチユリも、半ばにらみ返すように意気込んだ。


「あれは……アーキタイプは、ワシが造り上げた。メーカーの生産ラインをハッキングし、密かに工程のいくつかに本来とは別のパーツを忍ばせたのじゃ」


 これが、メーカー側で調べてもわからなかったメリアの正体だ。

 今の時代、様々な工業製品が自動化された生産ラインで生み出されている。人間の職人が関わるものも少なくないが、大半の労働者はラインそのものの保守点検などに従事することが多かった。

 今という時代になっても、人間とアンドロイド、そしてロボットの労働環境、その分担と待遇には大きな問題が眠っている。先日も、そのあおりを受けた男に街で絡まれたばかりだ。

 そしてメリアが、まるでそんな社会の暗部から生まれ落ちたかのように思えてしまった。


「アーキタイプ……アンドロイドが本来のあるべき姿を目指す、その最初の一歩じゃよ。彼女には、やってもらわねばならぬことが沢山ある」

「……どうして、メリアなの?」

「誰かがやらねばならんことなのじゃ。そして、ワシが成すならば協力者が必要……大局的に見て、真にアンドロイドたちが解放される道はこれしかないんじゃよ」

「そんなのっ、勝手! 詭弁きべん! ……だと、思う」


 まだ話は途中だと思い出し、僅かにチユリは言葉を引っ込める。

 だが、頭ではそう思っていても、気持ちはとっくに沸騰していた。

 ようするに、ダンゾウにはとある目的がある。崇高な使命とでもいうべきものかもしれないが、チユリには興味はない。けど、だけど……メリアを助けるヒントがあるなら、知りたい。なくても探して、手がかりにしたいのだ。

 ポンと横から肩を叩いて、マッケイが優しい声音で語りかけてくる。


「誤解しないでほしいんだ、チユリ。俺も博士も、アーキタイプは救いたい。博士は本当に、俺たちアンドロイドのためを想ってくれているんだ」

「……メリアを、助けてくれるの? なら、どうしてあの時」


 躊躇ちゅうちょする素振りを見せずに、マッケイはメリアを銃で撃った。

 勿論もちろん、この東京で銃を、それも殺傷力の高いビームガンを持ち歩くことは違法である。結果的にメリアが無事だったのは、マッケイの携行する武装を遥かに上回る違法性に身を固めていたからである。

 最後に見たメリアはもう、武器や兵器にむしばまれて飲み込まれそうになっていた。

 そんな彼女を、絶対に助けなければとチユリは意気込む。

 そして、話を促すように見つめれば、ダンゾウは言葉を選ぶように重々しく語り続けた。


「お嬢さん、ワシは……アンドロイドたちに自由を与えたいのじゃ」

「……論破するけど、いい?」

「勿論じゃ、御随意ごずいいに」

「メリアを勝手にああいう風に使って、目的のための手段、道具だから取り返そうとしているよね! それに、あのはアーキタイプなんかじゃない、あたしの好きな、大好きなメリアだっ!」


 言った。

 言ってやった。

 どうだと鼻息も荒く、世界最高峰の頭脳を完全論破した。

 つもりだった。

 間違ったことは言っていないと思うし、その確信はある。

 だが、チユリの言葉を否定もせず、ダンゾウは大きく頷いた。

 その余裕とも取れる態度が、徐々にチユリの自信をほころびさせてゆく。


「お嬢さんは、アーキタイプのことを……メリア、じゃったかな? あの娘のことを、好いてくれてるのじゃな?」


 無言で頷く。

 思考を挟む余地のない愚問に、マッハで首肯しゅこうを返した。

 だが、次の瞬間……チユリはハンマーで頭を殴られたような衝撃を受ける。


「じゃが、お嬢さん。あんたが望んだ恋人は本来、隣のマッケイだったはずじゃ」

「そ、それは……でも、彼じゃなくてメリアが来た。追い出すなんてできないし、一緒に暮らすうちに……メリアだって、あたしを! それって、彼女の自由意志でしょ!」

「なら、彼はどうする? マッケイはあんたのオーダー通りにしか生まれられず、些細なトラブルでそれを望んだあんたと結ばれなかった。それでも彼は……あんたを守りたいと言ってくれたのじゃよ」


 思わずチユリは、おずおずと隣を見上げる。

 マッケイはバツが悪そうに肩をすくめたが、穏やかな笑みを浮かべていた。


「博士、それは意地が悪過ぎる言い方ですね。それに、俺はチユリとの出会いが遅れたけど、遅過ぎたなんて思ってませんよ。それと」


 ちらりとマッケイが視線を外した。

 それでチユリも、背後を見やる。

 休日の終わりへ向かう渋滞の向こうで、車列がリズミカルに鳴っていた。超圧縮カーボンの車体を、その屋根をテンポよく踏んで蹴り、反動で翔ぶ音だ。

 あっという間に、小さくメリアが見えてきた。

 彼女はさらに追跡のスピードを上げて、迫ってくる。


「博士っ! アーキタイプに光学系ビームは駄目だ! 実弾兵装を」

「やむを得んな。ほれ、これを使うといい」

「チユリ、約束する。君の恋人は決して壊さない。俺は、れた女の涙なんて見たくないからな」


 気障きざ台詞せりふだったが、チユリには浮ついた嘘には聞こえなかった。

 そして頭上で、ゴン! と軽い音が響く。

 瞬間、ダンゾウから大型の拳銃を受け取ったマッケイが叫んだ。

 それは、火薬で撃発げきはつする弾丸が放たれるのと同時だった。


「チユリッ、身を低く頭を守るんだ! 博士も!」


 見上げて見えるものではないが、マッケイはまたも容赦なく銃を歌わせる。屋根の向こうで、金切り声のような金属音が響いた。

 アンドロイドの五感は、無数のセンサーを搭載しているゆえに人間を凌駕りょうがする。

 恐らく、メリアの側からも車内が見えている筈だ。

 だが、ビームの光が照射されてチユリは思わず悲鳴を噛み殺した。

 無数に光が屹立きつりつし、その一つがチユリを抱き寄せたマッケイの肩に命中した。細く絞られた針のようなビームは、真っ直ぐマッケイを貫きシートを焦がす。


「チィ! 当ててきたな、アーキタイプッ! ……大丈夫だ、チユリ。あいつは力を加減してくれている。こっちにその余裕はないけどね」

「あ、ああ……メリアッ、駄目だよ……」


 ダンゾウが再びハンドルを握ると、車は加速し始める。行き交う車列の流れの中を、まるで縫うように疾走し始めた。その揺れの中で、さらなる激震にチユリは揺さぶれる。

 この屋根の向こうにいるのが、あの優しかったメリアなのだろうか?

 そして、身をていして自分を守ってくれたマッケイは、自分がそうあれと欲して強請ねだったからこの場所にいるのでは? スナック感覚でお手軽に恋人を望んだ、その結果が今という現実なら……チユリは、言葉にできない罪悪感に心身が重くなった。

 そして、バリバリと音を立てて屋根が引っ剥がされる。

 尋常じんじょうならざる力が振るわれ、薄暗がりに街灯の光と突風が飛び込んできた。


「チユリッ、無事ですか! 助けに、きま、した……ああ、でも……ううん、今は助けることを優先しますっ! さあ、こっちへ!」


 高速で走る車の上で、メリアが平然と立っていた。

 その背にはすでに、天使の羽根にも似た翼のようなユニットが突き出ていた。裸になっても機械の痕跡が見られない、そんなメリアの姿が変貌していたのである。

 伸べられた手は、普段の何倍も大きい。

 黒光りする鉤爪かぎづめのような五本の指が、鋭く尖っていた。


「さあ、チユリ! ……チユリ?」

「メリア、あたし……」

「だ、大丈夫ですっ! わたしが守りますからっ! さっきより少し、身体の調子がいいんです。上手く制御でき始めてて」


 さあ、とメリアが腕を伸ばす。

 文字通り、膨れ上がった左腕がキュインと鳴って伸びていた。

 まるで悪魔かバケモノのような、禍々まがまがしい手だ。

 それを見詰めたまま、チユリは動けなかった。

 そんな彼女を見て、意を決したようにメリアが前傾する。あっという間にチユリは、いかつい豪腕によって鷲掴わしづかみにされてしまった。

 鋭利な爪が食い込み、痛みに思わず顔を歪めるチユリ。

 その漏れ出た声に一瞬、メリアは停止した。

 一瞬の間隙に、再びマッケイが銃爪トリガーに力を込めて叫ぶ。


「アーキタイプッ、チユリを離せっ! 今のお前の力では、彼女を握り潰してしまうぞ!」


 ハッとした表情を見せ、メリアが手を離した。

 解放されたチユリを片腕で抱き止めつつ、マッケイが銃を連射する。

 けた空薬莢からやっきょうが弧を描き、落ちる間も待たずに銃声がつらなる。

 有質量の弾頭が直撃して、その都度メリアは大きくのけぞった。そして、ついには落下し見えなくなる。その頃にはもう、幹線道路から外れて車は小路へとスピードをあげていた。

 マッケイの腕の中で身をよじって、チユリは来た道へと視線を投じる。

 だが、そこに愛しい者の姿はなく、ヘッドライトとテールランプだけが宵闇よいやみを行き交っているだけだった。

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