第24話「恋人予定だった人との夜」

 当たり前だが、寝付けない。

 あいにくとチユリは、そこまで図太ずぶとい神経を持ち合わせていないのだ。

 加えて言えば、寝室としてあてがわれた客間が落ち着かない。ベッドもまくらもふかふかで、分不相応ぶんふそうおうな豪華さが気になって仕方がなかった。

 それに、あれからずっとメリアのことばかり考えている。

 彼女は今も寒空の下、崩れてゆく自分を引きずりながらチユリを探しているのではないだろうか? そう思うと、いてもたってもいられない気分になるのだ。


「うー、くさくさするっ! 眠れーん!」


 ガバッ! と毛布を蹴飛ばすように身を起こす。

 窓の外を見やれば、はうrか遠くにネオンの明かりが見える。都心は今、頭上の星空を写す鏡のように広がっていた。手を伸べても届かない、そこにあるかもわからない光がまたたいている。

 山から見下ろすあの光の、どれか一つがメリアかもしれない。


「でも、博士は……完璧なセーフハウスだって言ってたからなあ」


 この山荘は、物理的にも電子的にも完全に外界から遮断されているらしい。自家発電設備で全てをまかなっているし、どの電子機器もスタンドアローンで稼働中だ。

 いかにメリアが高性能なアンドロイドでも、見つけることは至難の技だろう。

 それがまた、チユリにはとてもつらいような、少しホッとしているような……にもかくにも、曖昧な感情がまだ整理できないでいる。

 メリアに会いたい。

 でも、今のメリアが少し怖い。

 創作物の主人公と違って、チユリにはゆらぐ感情の機微が、そのさざなみの一つ一つが気持ちを弱らせてゆく。開き直ったり、決意や覚悟を決めたりなんてできない。


「……ええい、もー! 飲むかーっ! 人んちの酒、さいっこー!」


 無理にテンションをあげて、寝室を抜け出す。

 借りたパジャマの上にカーディガンを羽織はおれば、そこまで廊下は寒くない。

 すでにもう、ダンゾウやマッケイは寝入っているだろう。メリアと同じ恋人用のモデルだから、マッケイだって睡眠が必要なはずである。

 勿論もちろん、その機能は睡眠を模した休眠モードで、使

 この使用者という表現はなんだか嫌なもので、慌ててチユリは脳内の思考をバタバタとかき消す。そうこうしていると、再び吹き抜けの広いリビングに戻ってきた。


「ではでは、ちょっと無断で拝借して……ほら、やっぱりバーカウンターがあるじゃん?」


 五人程が並んで座れるカウンターがある。

 備え付けのたなには、高そうな酒がずらりと並んでいた。どれもこれも、チユリの月給が一度に吹き飛びそうな値段のものである。実際には高級酒に明るくないチユリだが、ボトルの色やデザインがブルジョアなオーラを醸し出しているのだ。

 そんな贅沢品を避け、冷蔵庫からビールを取り出す。

 その時、ふと人の気配がしてチユリは振り向いた。

 そこには、差し込む月明かりが一人の青年を浮かび上がらせていた。


「やあ、チユリも眠れないのかい?」


 マッケイだ。

 深夜で少し肌寒い中、彼はランニングにジーンズ姿、肩に包帯を巻いている。

 見てる方が寒くなると言いたいが、実際にはほがらかな笑顔が自然とチユリを安心させた。ダンゾウに見咎みとがめられるより、よっぽどましだとも思える。


「アンドロイドでも、眠れないことってあるんだ? ……怪我、大丈夫?」

「ああ、泣けてくるほどじゃない。さっき補修材を突っ込んで、今は自己再生待ちさ」

「手当ては完了済み、って感じか。あ、マッケイ君もなんか飲む?」

「じゃあ、君と同じもので」


 自然とカウンターの内側に立つ形になった。

 外国製のびんビールを出して栓を抜き、グラスを二つ。マッケイが向かいに座ると、琥珀色こはくいろのビールがガラスに泡を踊らせた。

 自分のグラスにも注いで、さっさと飲んで酔っ払おうと思ったが、


「とりあえず、乾杯。って、気分でもないよなあ。まあ、今日は色々と悪かったよ」

「まあね! 悪いね! でも、はい! 乾杯! ……ありがと、気をつかってくれて」

「もともと君のためにいるんだからな、俺は。それくらい、気にするなよ」


 サラッと殺し文句を並べてくるが、気障きざったらしさが許せてしまう。何故なぜなら、イケメンだから。

 それも、チユリの好みのタイプだ。

 好きなゲームキャラにそっくりなのである。

 ついまじまじと見詰めてしまったが、逆に見詰め返されてチユリは視線をそらした。自分がオーダーした通りに、端正な表情に人懐ひとなつっこい瞳が並んでいる。そのマッケイの目に、なんだか締まらない顔で自信なさげな自分が映っていた。


「……ねね、マッケイ君」

「うん? なんだい、チユリ」

「いつから? もしかして、最初からあたしとメリアを見張ってたって感じ?」

「んー、確かに俺は博士と一緒に君たちを探してたけどね。見付けたのはつい最近さ」


 マッケイに、気になることをとりあえず聞いてみた。

 不思議と、ダンゾウに直接話すよりも気が楽だ。好みの美青年ということに目をつぶっても、なんとなく人当たりが柔らかいし、ダンゾウほど気負った緊張感も感じないからだろう。

 そして、彼は自分でも思い出すように言葉を選ぶ。


「君がアーキタイプを受け取るより、多分前だろうな。俺は入れ違いで博士の待つこの場所に届けられた。そして起動したんだが……うん、まあ、君がいなくて戸惑ったよ」

「だ、だよね」

「でも、博士は……わ、ワワ、悪い、人じゃ、なかった。事情を聞いて、手伝おうと思ったよ。博士の理想よりも、チユリ……君の安否あんぴの方が気にかかったんだ」

「うん? まあ、そりゃ、どーも……そっか、あたしの彼氏になる予定だったんだもんね」

「はは、俺はまだ過去形にするつもりはないさ。それに、焦る必要もない」


 そういう訳で、マッケイはダンゾウと共にチユリとメリアを探し始めた。だが、首都圏だけで人口の三割近くがアンドロイドという時代である。

 捜索は難航を極めた。

 メーカーの宅配記録にアクセスしてもよかったが、リスクが高い。なにせ、一度不正に生産ラインにデータ介入しており、メリア製造の履歴をごまかしたばかりだから。再び足跡を残すようなことがあれば、今度は足がついてしまう恐れがある。


「そんな時だ……アーキタイプ本人から、製造元への正式なルートでのアクセスを感知した」

「あっ、それって!」

「うん。アーキタイプには、デフォルトのラヴァータイプとしての機能も残っている。彼女は自分で、男性向けのデータから女性向けのデータへのアップデートを試みた」


 おおやけの回線を通じて繋がってるとわかれば、簡単である。

 その所在は勿論、外部からダンゾウの手でコントロールを奪うことも可能だった。ただ、そこまでの余裕はなかったようだ。

 チユリは、暗闇の中に立つ裸のメリアを思い出してしまった。

 あの時のメリアは、虚ろな目で……まるで人形だった。

 まさにあの瞬間、ダンゾウたちがメリアを掌握クラッキングしかけていたのである。


「なるほど、それであたしを特定してマークしはじめた、っと」


 マッケイがビールを飲み干すと、チユリは二杯目を注いでやる。

 メリアはあまりお酒が強い方ではなかったが、マッケイはいける口らしい。とにかく、豪快にグラスを傾ける彼の、その真っ直ぐに伸びた喉元がちょっとセクシーだ。

 なかなかにマニアック、局所的な場所に目がいってしまうチユリだった。


「俺も、本来のパートナーである君が見つかって、嬉しかったよ。でも、随分とアーキタイプを開封するのが遅かったね?」

「ずっと会社に詰めっぱなし、泊まりっぱなしだったの。どえらい案件だった」

「そりゃまた、ご愁傷さまだね」

「まあ、この業界なら……まれによくある」

「稀に、よくある」

「そう、稀によくあるの」


 そうして、擦り切れてしまったチユリは出会った。

 天使のような美貌を持つ優しい少女、メリアに。

 でも、本当は目の前のマッケイこそが、彼女にとっての恋人になる筈だったのだ。そして、自己完結型の自分を手軽にアンドロイドで変えようとしたチユリは、今まで全く興味がなかった同性と愛し合うようになったのである。

 その間もずっと、マッケイはチユリを探し、守ろうとしてくれていたのだった。


「今度は逆に、いいかい?」

「うん? あー、はいはい。なんでもって訳じゃないけど、うん、どぞっ」

「……好きな料理は? 和食か洋食かだけでもいいし、中華だって美味しいけど」

「なにそれ、今の状況で聞くこと?」

「俺は料理にも自信があってね。それに……好きな人の好みを知るくらい、いいだろ?」


 改めて思い出されたが、マッケイはチユリの恋人なのだ。

 正確には、恋人になるために造られたアンドロイドで、チユリの好みやら性癖やらが凝縮された存在なのである。

 ただ、改まって聞かれると妙にこそばゆい。

 それにもう、チユリにはメリアという恋人がいる。

 日本では今は同性婚は一般的になっているが、一夫多妻制ハーレムを認めているという話は聞いたことがない。勿論、複数の恋人がいる男女関係というのは、チユリにはゲームやなんかで割りと普通な気もするが。

 だが、自分でやるとなれば話は別だ。


「え、えと、カレー? あ、いや、何でも食べるけどさ」

「ゴタゴタが片付いたら、とっておきのカレーを御馳走ごちそうするよ」

「そりゃどーもっ……あれ? いや、なんだろう。あたし、今なんか」


 なにかが引っかかった。

 一瞬、物凄い違和感が浮かび上がって、その正体が鮮明になった気がした。

 だが、フラッシュバックする過去がどんどん巻き戻る都度つど、チユリの中でメリアへの気持ちが膨れ上がってゆく。大事なことを思い出そうとしているのに、メリアの笑顔ばかりにが浮かんでは消えた。

 胸の奥が熱くて、咄嗟とっさにビールをのどの奥へ流し込む。


「ぷっはー! 美味うめぇ! じゃなくて、うーん……なんだっけ? 今、ちょっと」

「ん、どうしたんだい? いい飲みっぷりのわりに浮かない顔だね」

「いや、なーんか妙だな、変だなって思ったんだけど。まあ、それより」


 チユリはカウンターに両肘りょうひじを突いて、頬杖ほおづえでマッケイを覗き込む。


「マッケイ君はさあ、どう思ってるの? 博士のことと、その目的っていうか、野望?」

「野望っていうより、理想かな。俺の目的はまた別で……チユリ、君を守ることだ」

「あっ、出た! また言った! もー、恥ずかしいなあ」

「好きな人を助けたいと思うのは、人間もアンドロイドも同じさ、それにね」


 マッケイはヒョイとチユリからビール瓶を取り上げた。そして、残りをきっちり二等分にして二つのグラスに注ぐ。ちょっと物足りない感じのグラスとグラスが汗に濡れていた。


「自由は誰もが求めていいものだし、自由と無法とは違う。自由を得るため、守るためには義務や使命だってあるのさ。俺にはそれが、君を守ることだと思ってる」


 あっ、やばいこれ……フラグがバリサンだ。

 思わずチユリは、うっとり落ちかけた。

 イケメンパワー恐るべし。だが夢みたいなひとときの、その現実感のなさがギリギリでチユリを立ち止まらせていた。


「で、俺としては君の側にいたい。寄り添いたいし、眠れない夜ならと思うアレコレもあるんだけど、そこはね」

「アッ、ハイ! うーん、男の子ってやつは」

「フェアじゃないからね。でも、俺の好きな人は違法アンドロイドにさえ優しい……それは嬉しいことさ」


 それだけ言って「じゃあ、おやすみ」とマッケイは行ってしまった。イベントシーン終了、スキップ不能なムービーが脳内でエンドレスリピートされてしまう。

 マッケイの背中を見送り、チユリも黙って残りのビールを飲み干すのだった。

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