1-12 裁量/88C1 91CF


 そしてトキへ向かうのは宵越し、未だ明けぬ頃となった。朝朧あさぼらけの中、官用の五座席自走車を駆けるは今日ヤマテラス、葉巻を咥えて眠たげに操縦環を握り、そしてアラヤはまたいつかのように儀表板に足掛け眠っている。


「イヨは眠れたようだな」


「少しは。わたし『は』とそう聞く割にはあまり眠たそうに見えないけれど」


 固定された扉の、柔らかな皮張りの緩衝材に肩を預けたスクネは、見てくれでわかるほど憔悴してきている。それでも身に起きたことを整理して、気を張ってここに立っているのだ。


「取るに足らん思いに悩んでるだけだよ。お前は人は死ねばどこへいくと思う」


「高天原、神の国へと向かう。わたしたちの御魂は神々の分け御霊、だから祓戸はらへどを経たのち純なる分霊となった魂は、ふたたび神のみもとへ向かうと倣いそう信じています。......ただそれは百禽のはなし。あなたの国では違うでしょう」


「神様のもとへ向かうってんなら、同じだな。根堅洲国、俺たちの理想郷は海の向こうか、海の最中さなかにある、そう教えられてきたさ。善く生き、幸せに終えた時根の国に向かい、悪しく生き辛苦に満ちて終われば、中つ国を漂い祓い清められ、長きのちに根の国へと辿り着くと言われている。......ふとあいつの魂は、今どこを漂っているだろうと思えば、考えれば考えるほどわからなくなってよ」


「間違いなく、須佐之男命すさのおのみことのもとにあるでしょう。兄ならばこそ、そう信じなくてどうするの」


「信じる信じないの話じゃねえ。あいつが浮かばれているか浮かばれてねえかの話。それは......俺が今どうしてるかで決めれない。現にあいつの生は終わってしまっているのだから。もしおめえの話が本真なら、もうあいつの魂は人のものではなくなっているかもしれないのだから」


「でも幸せに憩いてあれと願うことぐらいは許されるでしょう? ねえ、アラヤ。......アラヤ」


「何人も彼女の幸せを願うことこそできれど、そうであったと決めつけることはできない。彼の言う通りじゃないのか」

 ヤマテラスが、眠り耳を傾けぬアラヤに代わり言葉を掛ける。


「ならばあの石室に連れてこられる人を不幸であったとも思わないのですか。あそこの人たちは皆、非業の元に送られてくるのでは?」


「私は今までこの部を請け負い、その身を不幸だと思ったことはないな」


「?」


「いつだって人間は自らの幸不幸を基準に他者の境遇を判断するものだ。その結果、他者の幸福の尺度は彼の霊魂の、固有たる意思の裁量に委ねられる、という事実を軽視しがちだ。

 イヨ、君が彼に同情しているのは、そうでないと彼や君自身が幸福であるとは言えないからであって、彼自身がコウを浮かばれないと思うのは、寧ろそうさせた己を罰して欲しいとも思うからだ」


「じゃあ、ヤマテラス...... 死者を根の国へ葬送するあなたは何のためにいるのですか。あなたが自らは祝福されていると思わなければ、幸せであれと願わなければどうするのですか」


「検視官の仕事は、君のようにそんな高尚なものじゃないんだ、お姫様」

 後部座席へ向くでもなくヤマテラスは、冷たく言い放った。

「私が知りたいのは、下手人げしにんが如何なる事を彼に行ったかのみ。あとは人が、神が、その罪の重みを裁定する。死者に祝福あれとは思えど、自分が祝福される部業にあるとは、思った事がない」


「まあ...... おめえらがそう言ってくれるなら、妹は幸せだったかもしれないとオレは思うんだがな。あくまでオレ自身は」


「さあね。君が果たして、親身にそう願える資格のある人間であったか......」


「ヤマテラス。お前も......それが知りたいのか」

 アラヤ、いつのまに起きたのか。

 そして含みげに話す二人に、スクネはやはり憤りを向ける。

「どういうことだ、説明しやがれよ」


「まあ、俺たちが探ろうとしているヤマは、それほどとんでもないってことは言えるな。後のことは......まだ言えそうにない」


「巫山戯るな、何だってんだ」

 そうしてスクネはまた、尻尾そっぽを向いていじけるように車窓を見つめ始めた。


 薄青く、明るくなってゆく窓の向こうに、丁度海が見えてきそうだった。




>記: 毛野乃伝


『嘆かわしいことだ 東国は物怪もののけ蝦夷えみしの脅威に晒されながら 真なる撃滅のための力をこの国は使わずに来た 民草や物部もののふの平安よりも神々は、絶対なる悪の保護を選んだのだ』


『......それが...... 副長官そえのかみとしての...... 貴方の見解なのか』


『カラタケ 貴方は休んでいれば宜しいのでは』


『心配は不要だ 博士......』


 ケナの遥か真下、四十階に及ぶ高層の巨塔の中から、三人の男の声がする。鉄縄の巻胴を背負い、頭部顕示装置を目深に被り、それと繋げた二台の通信機を両手に引き提げて彼は屋上への階段を登る。

 暗闇の中に走査された人間の声が、光芒としてその室内を映し出している。そこには確かに物理的に、人間が三人と、机に金属製の鞄が置かれていたのだった。



「どの声がどいつだ、オオネ」


『わからない。これ以上の情報量を暗号化するのは困難であり危険だというのが向こうの見解だ』


「今の規模でも危険だ、暗号化を人工知能任せにすると禰古ねこにも鼠にも聞かれるぞ」


いけもんを電脳化する物好きは私たちの国ぐらいしかいない。と信じたいものだ』



 軽口をたたくオオネの音量を落とし、再び階下の会話に耳を傾ける。

『ところが副長官 貴方は...... 西の都へ逃げる時も後生 大事にっ...... ゲホッゲホッ ......持っていった亡国の名を冠す忘れ形見...... それを託して呉れようと言った その真意は...... 如何に在られる』


『さあな 国の名を剣神から賜ったのか その地の名を剣が冠したのか それは父祖のみぞ知ること 剣に名があることは関係なく 剣は剣であることが大事なのだ その価値のみでも この鏡を我らが譲り受けるに相応しい』


『貴方はそう云うが...... 俺たちは結局そののみを得ただけだ』


『知らんな あれを失ったのはお前たちの不始末ではないのか』


『偶然だったんだ 結局俺たちは......あれになんの価値があるかもわからないままだ 此の期に及ぼうともまだ教えてくれないのか』


『もう遅かろうな 持たぬものに教える道理などない お前の役割は既に終/——————』


《///海鴉 こちら司令所 送れ》

 兵士の無線が聴覚に割り込まれてきた。


《司令所 海鴉 送れ》


《海鴉 司令所 海雀零一は突入地点にて待機開始せよ

 海雀零二から零四は突入後零一に追従 零六は突入後地下駐車場入り口に移動

 各員状況説明時の待機地点にて逃走者到来を監視せよ

 海雀零五は安全確認次第報告し 玄関大広間を守衛せよ 以上 送れ》


《司令所 海鴉 こちら海雀零五 該当地区民避難完了 確認済み 海鴉の号令を待/———》


『///ケナ、靑鰉兵の突入準備が完了した』


「............」


『ケナ』


「聞こえている。総て」



 地上には、ナガト隊伍商団の詰所を脱出してきた装甲車を追跡してきた靑鰉兵の精鋭部隊が集結していた。彼が立っているその巨宿は、令外官の一派が血眼で追跡してきた亡命希望者のる博士シンロウ、そしてオキの海から助け出されたであろう軍人カラタケまでもが集結していたのであり、現場は徒ならぬ事態に浮足立っていた。


《全隊 こちら司令所 防電磁壁を切断せよ 全隊無線開放 突入》


《了解 海鴉より全隊 突入開始 繰り返す 突入開ssssssssssssss///!!!!!!》


 警告音が消魂けたたましく鳴り、すぐ火花と爆発音に掻き消された。

 二つの通信機と顕示装置が火を吹き、それらをすぐさま投げ捨てる。


「生きてるかオオネ。お前の耳の聞く音を聞かせろ」


『靑鰉兵ごときに囲まれたのか!? 間抜けがっ 』

『だそうだ。調整完了、司令所と現場はちょっとした騒ぎだ。それも聞きたいか?』


「必要ない、しょっぺえ形代かたしろ通信機ごときで通信士の命が助かるなんて思ってた官僚は、犠牲者の呪詛で同じように脳を焼かれればいいんだ」



『撃つなあ!! 銃を捨てて投降しろっ』

 保安通路に潜むオオネの聴覚から聞こえていた双方の銃声が、カラタケの号令によって止む。


『久しぶりだな、カラタケ』

『その声はクシマモリか...... 令外官に落ちぶれた者に逢う事になるとは......思わんかったな』


「クシマモリってやっこさんの視界をお前経由で送れるか」

『......暗号化されていないな、可能だ。だがいいのか』

「そのために彼らは回線を解放してるんだろう、多分。いいから。部屋の様子が知りたい」


 すぐさま送られてきたその光景にケナは多少驚いた。カラタケは椅子に縄で後ろ手に括られ、張り付けられていたのだ。長く海中からいたところを救出されたのか、憔悴しきっていた。

 それを見ながらも屋上に巻胴を固定し、鉤を腰に取り付け窓へ懸かる準備をする。

『もう二人は何処だ。何処へ消えた』


『二人、か。覗き見ていたようだが、俺も含めて四人がここで話をしていたことには気づかなかったようだな』


 屋根瓦のない箱型の塔の屋上へりからは、イヅモ官庁街の高層建築の群生が遥か彼方まで見える。八十二間もの高さのそこから、身を投げるが如くケナは飛び降りた。


『物の数はこの際どうでもいい。どこから逃げたのだと聞いている、隊員たちからは逃亡者の報告を受けていないぞ』


『探し当てられるはずも無かろう、お前たちの目は節穴のようだ、我が配下の兵士が三人減っていることにも気付いていないようだな』


「同感だな」


「「ななっっ!!??」」

 窓硝子が破れ、クシマモリの眼前に黒い影が飛び込んでくる。全身を炭素繊維の潜入服に包んだ、濡羽色の下げ鬟、よく焼けた肌は、どこか人工皮膚のような質感で、それだけのことが彼が全身義体である雰囲気を醸し出していた。

 拳銃を真っ直ぐに構えるその掌は細長く、漆黒の瞳は冷徹な暗い焔を宿し、カラタケの次にタシマモリを見据えた。


「「発発砲砲せせよよ!! 撃撃てて!!」」

 二重に反響する号令と銃声、窓硝子がさらに割れる音が煩わしく響く。冷静にケナはもう一挺の拳銃を兵士の脚や脇腹に正確に、急所を狙って撃ち込んでいくと、彼らは次々と卒倒し沈黙した。


「麻酔弾だ。今すぐ下へ降ろしてやれ」


「貴様、何者だ!こやつの部下か!?」


「あんたの視聴覚の同期を切る時間ぐらい呉れ。こんな遅延の少ない良い脳味噌つかってるんならそれを垂れ流さないことだ。......部下が攻性防壁に焼き殺されてるっていうのに無用心じゃないか」


「お前とは...... わ、私の視聴...... え?」


「やはりお前は覗き見が好きなようだな、お喋り好きの餓狼め」


「捕物の裏でそいつの暗殺指令が出てるというのは知らないで当然だが、堂々と無線を傍受され剰え脳を覗かれていることに気づかず、そして補子ホシの方が暗殺者のことを知っている...... こんな間抜けなことがあるとはと思わないか? 死に損ない」


「ククククッ、同感だよ」


「............」


「だがいいのか、俺を殺しても。何も出んぞ」


「亡命を希望した博士ととやらの身柄が確保できればお前は用済みだったんだが、そうもいかん。その金属容器に入った脳味噌だけ持ち帰るその前に問う、残り逃げたはどこへ行く気だ」


「クハハハハッ、この国のうつけ令外共に頼ってるうちは探し当てれんさ」


《海雀零六!! こちら海雀零五、状況を報告せよ! 鎧戸が開いている!! 繰り返す、状況を報告......おい!退避!退避ィ!!》


 騒がしい無線が響く一方白い影が椅子の真上から現れ、その顎と牙でゴキリと首を捥ぎ取る。胴から離れたその瞬間、ケナは炸裂弾頭を胸に四発、無感情に撃ち込んだ。破裂し、血と肉の破片が飛び散り、そして警告音が微かにカラタケの胴体から鳴った。


『起動している。安全装置がやはりあったな』


「オオネお前はとっとと生命維持装置にその生首を繋げ」

 肋骨の剥き出しになった巨大な肉片を、残った軍服の帯を掴むと左片腕で窓の外へ投げ飛ばした。間も無く外からは爆発の閃光と爆音、肉と硝煙の悪臭が届いた。


『そうまでして死体隠滅したいとはな』


「あの時お前を殺しとかなくて助かったぞ、おい? ......もう応えんか」

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