0-4 人殻/4EBA 6BBB

「人の殻......か」

 不意に掌を見つめ、拳を握り、また手を開く。次は小指から親指へと、順番に手を握り込んでいく動作。

 ケナはこの動作が、いかに簡単なことではないかを知っている。ささめき黒鉄くろがねの骨格、関節。赤銅あかがねや光学繊維の導線、神経回路。塵炭の筋肉、そしてそれらを包む人工皮膚。人体を動かす相互作用は複雑であり、それは義体となっても変わらない。逆説的に言えばそれらは生物が習得する高等技術とも言えよう。


「無論より楽な形態を選び殻を捨てる者もあれば、最適化に耐えきれず脱落する者も、最悪な手段として生命を自ら捨てる者もいる。だが君は自らの身体をその魂に最適化するのみならず、武を成す器として鍛え上げた。その意味では君は、私たちに近しい存在だ」


「......『人の殻』という言葉を使っておいて、そのあとに云う言葉がそれか。あんたらは分け与えた魂を使って、人間並みに水準を落としているに過ぎない。さっきの言葉こそが、あんたらが自分を上位存在だと思っている驕りの証だ」


「ふむ...... 君はそこなる犬と人間、どちらが水準が高いと思うんだい。同時にオオネ自身の意見も聞きたい」


「......どう思ってるんだ、お前は」


 つまらなそうに話を聞いていた白犬は、沈黙をこれまたくだらさなそうに破った。

『それぞれに特化した性能があり、それらは生存するための取捨選択として得たものであって同時に役割の違いでもある。こうしてお前達と対話しているのは言語野の拡張によるものであり、そういう意味では人間の水準に合わせていると言えるが、その区別自体に意味がないとしか思えない』


「同感だな。機装犬ならぬ生身の犬も、こう言っちゃなんだが人間が思っている以上に賢い。その共通意識こそが間違いの元だと思うが、それでも俺たちはこいつら以上に優秀な狩人にはなれないさ」


「では蛇やかわずは? 鳥は、魚は。海に住まう微生物は。人中の微小機械生物は?」


「......あんたらはそうなのか。俺たちを獣か虫ケラだとでも思っているのか?」


「無論否だ。私たちは君たち人間と同じように、あまねく生物を慈しむ。蛇や蛙にも神在り、君たちの身体には虫神あり。その慈しみは決して下位存在としての念には非ず、同じ生物としての思いだ」


「どうだろうな、あんたらを自然に産まれた生命体だとはこれっぽちも思えないんだが」


 ヤサカは堤をくるりと向き帰って降り、海辺の誰もいない、夜明けの街道へと歩んでいく。


「人は鳥獣を狩り田畑を伸べ、この葦原中国あしはらのなかつくにを治める役割を与えられた。それは他でもない、我が父母が与えられたものであり、我ら貴神うずのかみにはそれを見守る宿命がある。私たちは君たちを見守り、死してまた産まれるべき魂の安らぐ国を治め、同時に私たちもまたそこから産まれた。

 黄泉よみ根堅州ねかたすも、夜食国よるおすのくにも全て君たちの中に、そして外界に。天網としてこの世界を覆い尽くしている。私たちはその中...... 情報の滄海に産まれた。それを治める役割を与えられた生命体なのだから」



 船着場へと歩んでいくヤサカの傍らへ、ケナとオオネも続く。

「海を眺めるのはいつものことだと言ったな、オオネ。何か理由に心当たりは」


「理由などない。オオネに聞いたってわかるはずもない、そうだろう?」


『ええ、主の産まれはイトの港街、生身だった頃、母のいた頃を懐かしんでいるとは言えませんからな』


「おい」


「人並みな理由、そして恥じることない素敵な理由ではないか、ケナ。身体の大半を義体化して以降、己の魂のことわりを見失う者は多い。その思いは、君の魂を繋ぎ止めるためにあるのだろう」


「人並みかどうかは知らんが、それだけが理由じゃない。少し......海に対する思いは複雑なんだ。あまり詮索するな」


「根の国の母親を思ってか」


「あまり詮索するなと言ったのが聞こえなかったのか」


「そんなに怒るな。母を失う気持ちはよくわかる。......私に至っては、黄泉の母親に会いたいと駄々をこねて姉上を困らせたものだ」


「いや、お前に姉は...... いやそうか、失礼をした」


「構わないさ、よく混乱されるところだろう。......今でも母は恋しく思うか」


「もうそんな歳でもない。その上不思議なことに、この身体を動かすのに慣れた頃には、肉親への未練もそこまでなかったよ。今でもそうかも知れないが、生きるのに精一杯なんだ。死者を顧みるほど、幼くもないし老いぼれてもいない」


「そうか...... 神を、常世を顧みられぬというのは苦しいものがあろう。そなたにはいつでも、見守る神がいる。私も、我が兄も。そのことを、心に留めておくといい」

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