その14 招待講演の会場で

「どこに座ろうかな・・・」

 参加手続きなどを済ませた恭太は、Plenary lectureの会場に一人でいた。研究室のメンバーはおろか、普段学会で顔を合わせる人たちも参加していない、完全にアウェイの学会であるため、一緒に座る仲間もいない。前の方の列に、まだあまり人がいないエリアがあったため、恭太はそそくさと、その中の一つの席に座った。


「初めての国際学会でいきなり小川先生の講演なんてワクワクするなー」

 しばらくすると、日本人の集団が会場に入り、恭太と同じ列を陣取った。恭太の隣に座ったのは、国際学会が初めての、修士課程の学生のようであった。

「こらこら、こんな場所で騒ぐなよ。ちゃんと小川研究室の学生として品よく行動しなよ」

 恭太の隣の学生をさとしたのは、空港でTakemasa Ogawa教授と一緒にいた男であった。そう、恭太の隣に座った集団は、Ogawa、いや小川 猛正たけまさ教授の研究室のメンバーであった。どうやらその人は、小川研究室のじゅん教授をしている毛利という者であるようであった。


「どうしようかな・・・。せっかくだしネットワークを兼ねて声をかけてみようかな」

 恭太は、一人で心細かったのと、有名(であろう)研究室のメンバーとつながりたいという思いから、タイミングを見計らって声をかけようと考えていた。


「それにしても、この会場大きいですし、参加者も多そうですね」

 隣に座っている学生が目を輝かせながら話すと、毛利は少し面倒くさそうに答えた。

「ああ、そうなんだよ。いつも、小川先生の講演をされると、いろいろな研究者が聞きに来るからね。いつも講演の前後には、私のところにもいろいろな人が挨拶に来て列ができるんだよなあ」

「へえ、すごいですね。そうやってネットワークが広がるのですね」

 学生が一層目を輝かせる一方で、毛利はさらに怪訝そうな顔をして、軽く舌打ちをした。

「何がすごいものか。挨拶に来るのが有名な研究者ばかりだったら良いけど、中には研究とも呼べないようなくだらないことしかしていない研究者まで挨拶に来るんだよ。あれが、学会期間中で一番無駄な時間なんだよね」

 その言葉を聞いて、恭太の背筋は少し凍った。

「この人たちに挨拶するのはやめよう・・・」

 そう思うと、プログラムを取り出して、Plenary lectureの要旨を読み始めた。


「やっぱり小川先生はすごい先生なのだな」

 専門分野の違う恭太にとって、小川教授の研究内容を把握するのは難しかったが、すごい研究をしていることを理解するのには十分な要旨であった。引用している自身の論文の多くは、NatureやScienceなどの超一流雑誌に投稿されたものであった。

「結構昔の論文も引用しているなあ」

 引用している論文のほとんどは直近5年に出版されたものであったが、一つだけ23年も前に発表されたものが引用されていた。どうやら、この論文が、小川先生を世界的な研究者とするきっかけとなった論文のようである。


「T. Oagawa, A. Sakurada, ・・・」

 恭太は何となく23年前の論文の著者をながめていた。筆頭著者が小川教授ということは、第二著者がその研究に深くかかわった学生というところであろうか。

 第二著者の苗字が恭太と同じであることに気が付いたが、特に深くは考えなった。桜田という苗字はすごく多いわけでもないが、別に珍しい苗字というわけでもない。中学の頃くらいまでは、同じ苗字の人に出会うとテンションもあがったが、大学に入ってからは、わざわざ同じ苗字であると話すことすら億劫おっくうになっていた。


「Ladies and Gentlemen...」

 Plenary lecctureの座長を務めるアメリカの大学の教授が話し始めた。いよいよ小川教授の講演が始まる。空港では車いすであったが、講演も車いすのまま行われるのだろうか。70代後半になっても、国際学会で精力的に発表する小川教授の姿に、恭太は感銘を受けると同時に、心が高ぶってきていた。


 すると、小川教授が座長の目の前の席から立ち上がり、登壇とうだんした。車いすに乗っていないどころか、階段を上る足取りもしっかりしていた。

「え、若々しい・・・」

 一礼をして挨拶を始める小川教授の姿は、とても70代後半には見えないくらい若々しく、にこやかであった。還暦手前といっても納得する人がいるのではないかとすら、恭太には思えた。


「小川先生、めっちゃ若々しいですね」

 隣の席の学生が、准教授の毛利にボソッと言った。

「研究者たるもの、人前で研究について話すときは、何歳になっても好奇心旺盛な少年に戻るものだと、小川先生はよく言っているからねえ」

 そう返事する毛利の表情は、尊敬の眼差しというよりも、どこか呆れているような表情に見えた。


「First of all, ...」

 座長へのお礼の言葉などを述べた小川教授は、タイトルスライドから次のスライドへと切り替えて、いよいよ研究について話し始めようとしていた。

 その時、教授の表情が一瞬だけにこやかな表情から鋭い眼差しに切り替わった。恭太はとてもドキッとした。

「やっぱり、この表情見覚えある・・・!」

 これから、この教授によってとんでもない世界を見せられてしまうのではないか、恭太は楽しみなのか恐怖なのか自分でもわからないながらも、心臓の鼓動こどうが高まるのを感じていた。

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末は『博士』は失敗か? マチュピチュ 剣之助 @kiio_askym

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