その13 フランス到着~すべての始まり

「当機はまもなく着陸態勢に入ります」

 CAのアナウンスに、恭太の胸は高鳴っていった。一人で海外に行くのが初めての恭太は、フランスに行けるという喜びよりも、慣れない場所で慣れない学会に参加することの不安の方が大きかった。


 正直に言って、出国するまでに他のことが忙しすぎて、フランスへの心の準備があまりできていなかった。修士の修論や学部生の卒論の指導にずっと追われており、その後も論文執筆などを続けていた。学会が終わって日本に帰国する頃は、卒業式などが終わっているため、学部生の進と会うのは卒論の最終発表会の日が最後になった。


「桜田先輩、フランスに旅行に行けるなんて羨ましいです。まあ、これからも研究頑張ってくださいね」

 最終発表の日の打ち上げの終わりに、進はそう恭太に笑って言うと、さっさとどこかへ行ってしまった。最終発表直後に、進は前田先生にお礼の挨拶に行かなかったようで、他のメンバーの間では進の常識の無さが最後まで話題となっていたようだが、恭太にとっては正直どうでもよかった。いろいろな問題を抱えていた進が卒業し、恭太の手を離れることの安堵感の方が、恭太には強かった。


 一方で、家族などとはあまり話すことができないまま、出国することになってしまった。祖父の元太の入院する病院にも事前に行って、欲しいお土産などを聞きたかったが、残念ながらそのような時間をとることができなかった。母の理美は頻繁に元太のもとへ見舞に行っているようで、恭太がフランスに行くこと自体は知っているはずだが、どのような話をしているのか、理美に聞く余裕すら、恭太にはしばらくなかった。


 さらに、莉緒とは初詣を一緒に行ったきり、会えずじまいであった。出国直前には連絡すら疎かになることもあった。

「そういえば、莉緒はフランスの物価とか気にしていたな」とふと、恭太は思い出した。来月からフランスに転勤する莉緒は、恭太にフランスの様子を下調べして欲しいと思っていたのだ。


 家族や莉緒のことを考えると、恭太はいろいろなモヤモヤを感じた。いくら忙しいとはいえ、もう少し家族などのためにできたことがあったのではないか、と自分を腹立たしく思うようにもなった。

「まあ、フランスに行くのは一週間くらいだからな…。帰国したら、みんなに会えば良いか」と、恭太は自分に言い聞かせた。


 ゴオオオオーン

 飛行機が大きな音を立てた。どうやら、着陸したようである。しばらく待機した後、機内から降りるようにアナウンスがあった。

 恭太は周りを改めて見渡す。日本発の便であることに加え、日系の航空会社を選んだため、乗客の大半は日本人であった。恭太の周りには、卒業旅行で来ているらしき人たちがいて、本当に旅行を楽しみにしているような生き生きとした表情が見て取れた。


 入国審査などに向かう途中、学会のことらしき話をしている人たちが何人かいた。どうやら、恭太と同じ便には、同じ学会に参加する人もそれなりにいるようであった。参加者の多くは、恭太とは違って災害に関する専門分野の人たちであろうから、学会に参加する人たちは、まったくの知らない人たちばかりであった。


 恭太は一人だったため、足早に移動して、前の集団を次々と抜かしていった。ふと、最後に抜かした集団の中に、車いすに乗っている男性がいることに気が付いた。

「いやあ、先生のPlenary lecture楽しみですねえ。参加者のほとんどが一番の目当てにしていると思いますよ」

 隣にいた男性が、車いすの男性に話しかける。どうやら、その車いすに乗っているのは、恭太が事前に調べていたTakemasa Ogawaという教授であるようだ。

 恭太はこっそり顔を覗こうかとも思ったが、みっともないのでやめた。いずれ、学会のPlenary lectureは聞くことになるので、その時に顔や人柄はわかるであろう、と考えた。


「Bienvenue à Paris(パリへようこそ)」という看板が燦燦と輝いている。入国審査や預け荷物を受け取った恭太は、宿泊するホテルまで電車で向かうことにした。


「今回の学会で、何か自分の研究のブレークスルーを見いだせればいいな」

 電車の中でも、恭太は学会のことをずっと考えていた。今回の学会をいかに有効活用できるかで必死になっていた。自分の研究をよりよくしたいし、今後のキャリアにつながる有用な機会にしたいという思いももちろんあったが、恭太の心のどこかには、学会でうまくいかなかったと報告したときの前田先生の軽蔑したような目が浮かんでいた。


 しかし、この時の恭太は、今回のフランス出張が研究以外においても非常に重要なイベントになることを知らなかった。

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