その12 しないのに忙しい最終発表

「あー、やってられないよ」

 年も明けて半月程経った日の午後10時、研究室で学部四年の進が大きなため息をついて愚痴を言っていた。

 一月の下旬から二月の上旬にかけて、研究室は学内の行事で忙しくなる。

 まず最初に、博士の最終審査が行われる。今年度は勇樹が該当しており、元々研究室に長くいる勇樹は、土日も早朝から深夜まで研究室にこもっていた。

 博士の最終審査が終わると、学部と修士の最終発表が立て続けに始まる。最終発表まで一カ月を切っている進は、卒業論文の執筆がなかなか進まず苦戦していた。


 恭太は今年度卒業しないため、この時期に何か準備をしなければいけないわけではない。同じく発表をしない修士一年の学生たちは、実際に、忙しくしている他の学生たちの裏で、就活にいそしんでいた。それなのに、恭太は発表を控える学生たちと同じかそれ以上に忙しくしていた。

「桜田先輩、ちょっといいですか」

 進が恭太のところにやってきた。

「前田先生にこの前、文献調査が足りないって何か叱られたんですけど、どうすれば良いのかわからないんですよね・・・」

 進は口をすぼめながら言う。

 確かに先週の前田先生を含めた三人のミーティングの際に、進が関連研究をまったく把握していないことを、前田先生は厳しく注意していた。

「ああ、そうだったね。この前共有したレビュー論文は読んだの?」

「いや、何か長かったし英語読むのキツイんで読んでないです。書いてある内容簡単に教えてくれませんか?」

 恭太は心の中でため息をついた。前田先生からのあたりが強くなっていることを感じている恭太は、進のことを助けてあげたい気持ちもあったが、進自身が言ったことを何も聞いていないため、親身になれない思いもあった。


「ふう・・・」

 進に論文の内容を説明して、関連する文献をさらに共有したので、恭太は自分の席に戻った。恭太のパソコンの画面には、国際災害対策学会のプログラムが映されていた。まだ、学会まで一カ月半あるが、慣れない分野であるから、早めに傾向を立てておきたいと考えたのである。

「ちゃんと、災害時のロボットに関するセッションに入っていてよかった・・・」

 恭太は、自分が発表するセッションの他の発表もじっくりと見た。

 学会自体は、災害対策に関することがメインで、恭太の専門とは大きくずれていたが、恭太の発表するセッションは、専門であるロボットに関する発表が多いことに安心したのであった。


「四日間あるから、自分の発表以外は何を聞こうかな・・・」

 恭太は他のセッションも調べた。さすが四年に一度の大きな国際学会ということもあって、世界各国から多くの研究者が参加するため、プログラムを把握するのは大変であった。その中には、日本人の発表者も多いことがわかったが、恭太とは専門が違うため、あまり聞きなじみのない研究者ばかりであった。

「あ、Plenary lectureもあるんだ・・・」

 総会講演とも訳せるPlenary lectureの存在に、恭太は気が付いた。学会のほとんどの発表は、複数のセッションが並行して開催される中で行われるのに対して、Plenary lectureは、全員が聴講することを想定しており、その時間帯に他の発表は行われない。Plenary lectureは学会会場の一番大きな部屋で行われ、通常は世界的に著名な研究者が講演することになっていた。


「Takemasa Ogawa・・・あ、日本人の研究者がPlenary lectureをするんだ!」

 恭太は少し驚いた。国際災害対策学会の中で、日本人が中心的な存在になっていることを知らなかったからである。しかし、自然災害の多い日本で、このような分野の研究が発達しているのは当然のようにも後から思えてきた。

「どのような研究者なんだろう。調べてみよう」

 恭太は「Takemasa Ogawa」と検索してみた。

「あ、もう70代後半の方なんだ・・・。それでも精力的に活動されているんだな」

 検索して出てきたのは、白髪で柔和な顔をした男性であった。生年月日もわかったので、計算すると今年で78歳になることになるが、未だに大学で大きな存在を発揮しているらしい。そのような歳で、国際学会に参加することも、恭太はとてもすごいことのように思った。


「うん、あれ・・・?」

 検索して出てきた写真の中に、昔のものだと思われるTakemasa Ogawaの写真も含まれていた。その写真を見たとき、恭太はすごく見覚えがある気がしたのだ。

「どうしてこの顔に見覚えがあるのだろう・・・」

 なぜ見覚えがあるのかまったく見当がつかなかったが、なぜか少しだけ胸がざわつくのを感じた。ただ単に、見たことがあるだけではなくて、何かこの人に昔感情を抱いていたような気がした。


「きっと、有名な先生だから、テレビとかにもよく出ていたのかな・・・」

 恭太はそう思うことにして検索画面を閉じた。モヤモヤするのは事実であるが、そのようなことを気にするほど、今は暇ではないと思いなおした。

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