その8 ノーお盆

「それじゃあ、今年のお盆休みは親戚の集まりに参加できないって言うの?」

 理美が少し驚いた顔で恭太の顔を見つめた。

「うん、そうだね・・・」

 恭太は申し訳なさそうに頷く。お盆休みを一週間後に控えた日曜日の夜、二人は久しぶりに一緒に家のダイニングで夜ご飯を食べ終えたところであった。


 恭太は、毎年お盆と正月の二回は親戚との集まりに顔を出していた。親戚の中には、九州に住んでいる人もいるため、皆で予定を合わせて挨拶をするのが習慣となっていた。恭太は、当然のごとく今年も参加するつもりでいた。三日前に、前田先生と話をするまでは。


「桜田君、あとちょっと結果を出せば次の論文も書けそうだね」

 恭太の進捗報告を聞いた前田先生は、満面の笑みで恭太に話しかけた。

「ありがとうございます。もう一回実験だけして、その結果が良ければ論文を書き始めたいと思います」

 恭太も、好意的な前田先生の様子を見て、少し安堵していた。

「せっかくだから、早く論文を出せるように取り掛かろうか。次の学会までに論文が公開されていたらインパクトもあるだろうし」

 予想以上に積極的に次のアクションを求める前田先生の様子を見て、恭太は嬉しい反面少しだけ嫌な予感がし始めていた。

「そ、そうですね。来週実験をして、そのあとは結果をまとめたりする必要があるので、今月末には論文の構成についてご相談させていただければと・・・」

「いや、今月末じゃ少し遅いよ。その頃には原稿も出来上がっていないと」

 前田先生の発言を聞いて、嫌な予感が的中していくのを悟った恭太は無言になってしまった。前田先生は、そのような恭太の様子を気にもせず話を進める。

「そうだな、お盆休み明け最初の朝にまたミーティングをしよう。その時に、論文の構成を見せてくれると嬉しいな。できるよね?」

「は、はい。できます」

 前田先生から有無を言わせないプレッシャーを感じた恭太は、即答してしまった。お盆休み明けすぐに論文の構成を見せるということは、お盆中も作業しなければならないということを意味していた。


「まあ、仕方ないわね・・・」

 理美は少しため息をつきながらも、いろいろ察したのかそうつぶやいた。

「いろいろ事情があるだろうから、行けないのはやむを得ないのでしょうけど、正月はなんとかしてね。あまり言いたくないけど、千葉のおじいちゃんは去年からずっと入院と退院を繰り返していて、どんどん精神的にも弱くなっちゃっているの。恭太に会えるだけでもかなり変わると思ったんだけどなあ」

 理美の話を聞いて、恭太は少し胸が痛くなった。博士に進学した忙しさで頭がいっぱいであったが、よくよく考えてみると親戚だけでなく祖父母とも今年度はまだ会っていなかったのである。それどころか、昨年までは毎月していた電話も、今年度はまだしていなかった。


「うう、ごめん。正月こそは必ず行けるようにしておく・・・」

 恭太がか細い声でそう言うのを聞いて、理美は少し慌てたような表情をした。

「あ、一番大切なのは恭太が楽しんでいることだから。おじいちゃんもおばあちゃんも、恭太の研究生活が充実しているのがわかれば、たとえ恭太と会えなくてもそれだけでも嬉しいと思うよ」

 理美はそう言うと、立ち上がってキッチンの方に向かって行った。恭太は、どんよりした気分のまま、しばらくダイニングの椅子に座っていた。

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