その7 親の心、子にはわからず

「それで、報告したいことって何?」

 夕食を食べ終わったタイミングで、理美が話を切り出す。

「ああ、進路についていろいろ決まったから報告しようかなって」

 この日の午前中に試験の結果発表があり、恭太の博士進学が正式に決定していた。本来は、入学試験の前に報告しようと考えていたが、タイミングを逃しており、結局事後報告となってしまっていた。

「あ、就職終わったのね。おめでとう!もう、早く教えてくれたら、今日お祝いしたのに」

 理美が笑顔になる。恭太が就活をしていると勝手に思い込んでいる理美は、就活が終わったと勘違いしているようだった。

「それで、どういう企業に就職するの?」

 理美が興味津々といった様子で聞いてくる。恭太は、すでに気まずくなっていた。

「あ、違うよ。そうじゃないよ、お母さん・・・」

 恭太はなぜ気まずく感じているのか、自分でもわからなかった。今まで自分の進路に口出しせず応援してくれていた母親なのだから、今回も受け入れてくれるだろう。そう何度も考えているのだが、どうしても何かいつもと違う感覚が恭太にはあるのだ。

「ちょっと、どういうことなの?早く教えてちょうだい」

 理美が不思議そうな顔をする。



「あのね、お母さん。僕は、就職じゃなくて、博士に進学することにしたんだ。今日合格発表があって、博士進学が正式に決定したんだよ」

 そう恭太が話した瞬間、理美の顔が一気に曇った。慌てて恭太は話を続ける。

「研究室入ってからいろいろな人の話を聞いていたんだけど、博士ってすごいんだよ。世の中の役に立つ研究をすることができるし、研究者としてだけでなく、企業にも今は求められているらしいよ。研究室にもいろいろ・・・」

「ちょっと一回黙ってくれる!?」

 理美がいきなり叫んだ。あまりにも大きな声に恭太は言葉を失った。二人の間に沈黙が流れた。



「どういうこと・・・。何でそんな決断しちゃうの・・・。私何も聞かされてなかったよ」

 しばらくして理美がようやく口を開いた。理美はうつむき加減で声も震えていた。

「今まで、僕の進路は自分で決めてきていたじゃん。今回だって同じだよ。僕にはやりたいことがあって、それを満たすために博士進学するんだよ」

「わかったような口を利くんじゃないよ!」

 再び理美が叫ぶ。理美は恭太に対して今まで怒鳴るようなことはなかったため、今まで見たことのない理美の姿に恭太はたじろいでしまう。

「お母さん、話を聞いて。ちゃんと考えがあって決めたことだし、話せばお母さんもわかってくれるよ」

「わかるわけないでしょ!そんな決断した理由なんて」

 始めは慣れない理美の様子にオドオドしていた恭太であったが、次第にすべてを否定する理美の態度に苛立つようになっていった。

「なんで、そんなに否定するの?お母さんこそ何もわかってないじゃん。博士がどんなものか知らないくせに。自分で選んだ進路だけど、お母さんにも喜んでもらえるとずっと思っていたんだよ!それなのに、何なの」

「もう、いい!一人にさせて」

 恭太の態度に動じることもなく、理美はピシャっと言い放った。恭太はバタンとドアを勢いよく閉めて自分の部屋に閉じこもった。



「なんだよ、あの態度。意味がわからない」

 部屋に戻った後も恭太は不満が募っていた。いくら親でもそこまで言われるほどの道理はないと恭太は感じていた。

「あーあ。もうお母さんが何考えているかまったくわからないよ」

 恭太はそう言うと、ふて寝した。実際に、なぜ理美があそこまで否定をするのか、恭太にはまったく見当がついていなかった。今まで進路に口出しをしたことのなかった理美が口出しをするのも初めてであったし、恭太の話をまったく聞かないのも初めてであった。恭太は興奮しており、しばらく寝付くことができなかったが、疲れていたのか、やがて眠りについた。



「うん・・・今何時だ」

 恭太が時計を見ると、まだ午前二時であった。普段夜中に目覚めることのない恭太だったが、この日は珍しく目が覚めてしまったようだ。恭太はキッチンに行って水だけ飲むことにした。

「あれ、電気がついている」

 キッチンから自分の部屋に戻るとき、理美の部屋の電気がついていることに気づいた。

「あなた、私はどうすればよいと思う・・・」

 理美は誰かに話しかけているようだった。その声は、かなり疲弊しているようだった。恭太は、改めて先ほどあった親との衝突について思い出していた。

「お母さんがあそこまで否定したのは何か理由があったのかな」

 その疑問は恭太に深く残っているが、まったく答えらしきものが思いつかない。恭太の脳裏には、先ほどの理美の剣幕を立てている様子がこびりついていた。

「本当に、あんな姿初めて見たなあ」

 そう呟いて、恭太はベッドに入った。しかし、その瞬間何かを思い出した。

「あれ、お母さんのあの表情昔見たことあったぞ」



 恭太の中に、突然20年ほど前の記憶が蘇っていった。

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