その8 末は博士か大臣か

「末は博士か大臣か」

 恭太が小さい頃、周りの人からよく言われていた言葉である。


 父親がいない中、仕事と家事を一人でこなす理美の姿を見て、恭太は幼い頃から自分が頑張らなければと思っていた。理美を困らせることは絶対にしないと決めていたし、洗い物や掃除など家事の一部も保育園の頃から手伝っていた。


 そのような姿を見ていた、近所のおじさんおばさんはいつもニコニコしながら恭太に声をかけてくれていた。恭太も、周りの人に満面の笑顔で答えていた。近所のおじさんおばさんに挨拶をして、保育園であったことを毎日のように話していた。そんな恭太の話を聞くと、近所のおじさんおばさんはいつもこう言ってくれていたのだった。

「まあ、恭太ちゃんは本当にお利口さんなのねえ。末は博士か大臣かしら」

 当時恭太は四歳くらいであったため、最初にその言葉を聞いたときは意味が分からなかった。意味が気になった恭太は、祖父母の元太と詩乃にある時聞いてみた。


「ねえ、おじいちゃんおばあちゃん。ってどういう意味?」

「ほほお、元太はもうそんな難しい言葉を聞いたことがあるのか」

 元太は驚いたような顔をして喜んでいた。

「あのね、恭ちゃん。それは、すごく優秀な子供に対していう言葉で、将来はすごくお偉いさんになるかもねっていう意味よ」

 詩乃が笑顔で優しく教えてくれた。

「そうなんだ!僕は褒められていたんだね!!」

 恭太はとても嬉しくなった。博士が何かも大臣が何かもあまり分かっていなかったが、「末は博士か大臣か」というのが、この世で最高の誉め言葉のように感じられていた。



 それから、一年後くらいのことであろうか。休日であったため、いつものように恭太は家で過ごしていたら、理美が声をかけてきた。

「恭太、あのね。今日お客さんがお家にくるの。だからいつもみたいにお利口にしていてね」

「お客さん!?誰がくるの!?」

 来客があるなんてことは今までなかったため、恭太はワクワクして、そう聞いた。

「そうねえ、お母さんの友達といったとこかしら」

 はしゃぐ恭太の様子を見て、理美は微笑みながらそう言う。恭太は、理美の友達に会ったことがなかったため、すごく楽しみになってきていた。


「おじゃまします」

 お昼ごはんを食べ終わった後に、ある男性が家を訪ねてきた。恭太は、お客さんが勝手に女性だと思っていたため、最初は少し驚いた。

「いらっしゃいませ、今日は遠いところからわざわざ恐縮です・・・」

 そう言って、理美が男性を迎えた。友達と聞かされていたのに、理美の表情がまったく楽しそうに見えないことを、恭太は不審に思った。

「いらっしゃいませ。恭太です。いつもお母さんがお世話になっています」

 恭太はそれでも大きな声で挨拶した。すると、男性が笑顔で恭太の方を見た。

「いやあ、君が恭太君か。元気で礼儀正しい子だねえ」

 恭太は笑顔で頷いた。

「じゃあ、お母さんたちはこれからリビングで話をするから、恭太は自分の部屋で一人で遊んでいてね」

 そう理美に言われたので、恭太は返事をして自分の部屋に戻った。



 恭太は、自分の部屋で本を読んだりしていたが、その間も終始リビングの様子が気になっていた。恭太の部屋とリビングはそこまで離れていないため、内容はわからないが、話し声自体は聞こえてくる。

「あのおじさんは、お母さんとどんなお友達なんだろう」

 恭太はそう呟いた。笑い声などが聞こえることがなく、恭太には二人が楽しい話をしているとは到底思えなかった。



「恭太、お客さん帰られるわよ」

 二時間ほどして、理美が恭太に声をかけた。恭太はお別れの挨拶をするために、玄関に向かった。

 玄関に向かうと、二人の様子は明らかに気まずそうであった。二人の顔に笑顔はなく、理美の様子は何かをこらえているようにも見えた。恭太はやはり不審に思ったが、自分が元気よく挨拶することで空気を変えようと思った。

「今日はお母さんがお世話になりました。また遊びに来てください」

 恭太はそういってペコリと挨拶した。すると、男性は恭太の頭を撫でながらこう言った。

「恭太君は、君はとっても優秀な子だねえ。こんな頭の良い子、末は博士か大臣か、だねえ」

 恭太のお気に入りの誉め言葉が出てきて、気まずそうな雰囲気であったにもかかわらず、恭太は嬉しくなった。男性はこう続けた。

「あ、恭太君の場合は、もう末は博士さんだね。立派な博士さ・・・」

「いい加減にしてください!!」

 突然理美が大声を出した。その後、理美は無言でその男性を睨みつけていた。褒められて喜んでいた恭太も、理美の様子にとても驚いてしまった。恭太の心には、その時の理美の表情が深く残っていった・・・。




 二十年近くも前の話であるのに、恭太は再び鮮明に思い出した。男性に向けられた理美の表情、あれは間違いなく先ほどの理美の表情と似ていた。偶然なのかはわからないが、あの時も「博士」という言葉が出ていたことに恭太は今気づいた。

「それにしても、あの男の人はいったい誰だったんだろう」

 記憶が蘇った恭太であったが、その時の男性の顔だけどうしても思い出せなかった。そして、その男性が理美とどのような関係であったのかは、当時も聞けなかったし、今でもわからなかった。


「うーん。お母さんの表情があの時と同じなのは偶然なのかな」

 恭太の頭の中には次々と疑問が出てきたが、解決するすべがなかった。やがて、恭太は再び眠りに落ちていった。

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