その4 博士進学説明会

「本日集まってくださった皆さんは幸運としか言いようがありません。というのも、この説明会では、皆さんが知らないであろう博士進学の魅力について知ることができます」

 前田先生の挨拶から、博士進学説明会が始まる。この日は、学部四年生と修士学生を対象とした年に一度の博士進学説明会であった。恭太は、二年前の説明会の衝撃を今でも鮮明に覚えている。




 二年前の説明会の時、学部四年生だった恭太は、博士進学に少しだけ興味があったものの、進学するつもりはそこまではなかった。興味がある以上、一応参加しておこうというくらいの感覚で参加をしていた。

 正直言って、最初の方は特に面白いと思うほどの内容ではなかった。学科長の先生が、博士進学の割合とか、進学するための手続きなどを事務的に話していた。

「うーん、やっぱり修士になったら就活をしようかな」

 恭太はそんなことを考えながら話を聞いていた。

 ところが、現役の博士学生によるトークコーナーになると、恭太の気持ちは大きく変わった。各研究室の博士学生の話はとても面白かった。学術論文が受理された時の喜び、学会で受賞できたときの嬉しさ、企業と共同研究をすることの楽しさ・・・。それぞれの博士学生が違う体験談を話すのであるが、どの学生も博士に進学して良かったと話しているのが印象的であった。

「へえ、やっぱり博士ってすごいんだなあ」

 一緒に参加していた、同期の葉介も感心しているようであった。

 そのような中で、次に登壇したのが、恭太たちと同じ研究室の先輩である、落合おちあい 美菜みなであった。

「あ、美菜先輩だ!素敵!」

 同じく一緒に参加していた百合子のテンションが高くなった。美菜は、優秀なだけでなく、スポーツから音楽までいろいろな活動を積極的にしており、加えてとてもおしゃれであることから、後輩の女子たちの間ではとても有名な存在であった。ただ、恭太はあまり美菜と話したことがなかったため、博士進学についてどのようなことを話すのか想像がつかなかった。


「私が、博士に進学するのを決意したのは、介護用ロボットを開発したいと強く思ったからです」

 美菜が優しい口調で話し始めた。

「私が研究室に配属されたころから、祖父が寝たきりになってしまい、私の母親はずっと祖父の介護をしなければならない状態になりました。母親があまりにも大変そうだったので、途中から祖父を施設に入れることにしましたが、そこで介護士が足りていないという現状を知りました」

 説明会に参加していた学生たちは、美菜の話を固唾かたずをのんで聞くようになっていた。

「家族のことで少し悩んでいた時に、ちょうど前田先生が介護用ロボットの話を私にしてくれました。もちろん企業に就職して介護用ロボットを開発する方法もあるのかもしれないですが、私はそもそも学術的研究が足りていないという事実に気づきました。それで、博士課程に進んで、実用化にむけて必要な研究をしようと決意しました」

 美菜の背後にあった大きなスクリーンには、美菜の博士生活の写真が映し出された。

「博士進学を決めてからの毎日は、本当に充実していました。企業との共同研究では、ロボットを製造している工場を見学して、技術者とディスカッションをしました。実際の介護の現場を知るべく、介護士へのヒアリングもしました。それから、幸運にもイギリスの大学に半年留学もできました。修士までだったら、研究室で研究をすることで精いっぱいだったと思いますが、博士まで進学することで、研究室外でもいろいろな体験をできるようになったのです」

 恭太は美菜の話に完全に魅了されていた。研究室にいるときの美菜の姿しか知らなかったため、外で活動している美菜の写真は新鮮であった。

「そして二か月前に、ついに私たちが開発したロボットが共同研究先の企業の手によって実用化されたのです。これで、介護の現場は楽になると介護士の皆さんに泣いて喜んでいた時は胸が熱くなるものがありました」

 美菜と介護士たちが開発したロボットと一緒に写っている写真が投影された時、会場からはどよめきが起こった。

「実は私の祖父は、残念ながら一昨年亡くなってしまいました」

 会場が再び静まり返る。

「しかし、介護用ロボットに助けられているご老人の笑顔を見ると、私の祖父も天国で喜んでいるような気がしてなりません。私は、本当に博士に進学して良かったと思っています。私の話は以上です」

 美菜が一礼をすると、参加者たちは次々と拍手し始めた。葉介や百合子もその例外ではなかった。一方で、恭太は気が抜けたようにボーっとしていた。美菜の話を聞いて、心の中である気持ちが確固たるものになるように感じられた。




 運命の説明会から二年経った今も、恭太はこの時の感情を大切にしている。その翌年の説明会も、そして今目の前で開かれている説明会も、二年前のものほどの衝撃はないが、博士進学の良さを再確認するうえでは十分なものであった。恭太は、博士に進学した際には、自分も美菜のように説明会でスピーチをしたいと考えていた。

「ここで、本学科の博士課程を修了した卒業生からのビデオメッセージを紹介したいと思います。まずは昨年度修了した落合美菜さんです」

 司会の先生の声に、恭太はハッとした。なんと、今回も美菜の話を聞くことができるのだ。

「こんにちは、昨年度博士課程を修了した落合美菜です」

 スクリーンに美菜の動画が映し出される。

「私は、現在アメリカの大学で研究員をしています。ご覧ください。こんなに自然豊かなところで研究をしています。こちらの大学には、アメリカ人だけでなく、ヨーロッパ・アジア・アフリカなど世界各国からとても優秀な研究者が集まっています」

 美菜は四月からアメリカに行っていた。美菜の活躍を知った、向こうの大学の教授が必死に説得して美菜を雇ったと聞く。それほど、美菜の存在は世界中の研究者に知られている存在であった。

「こちらの大学でも企業との共同研究をたくさんしています。アメリカはとてもスケールが大きくて、私たちの研究に多額の研究費を払ってくれる企業がたくさん現れました。今は世界中に介護用ロボットを導入するための研究をしています」

 美菜の研究を語るときの目は二年前と変わっていなかった。

「それからもう一つ。こちらの企業で働く人は、博士号を持っている人が多いです。いろいろ話を聞いていると、一流の企業で働くうえでも博士号はとっても重要みたいです。アメリカから皆さんのご活躍を見守っていたいと思います。それでは!」

 美菜の動画は短めではあったが、参加者全員に強く印象を二年前と同様に残した。

「やっぱり、博士進学決めて良かった!来年度から楽しみだあ」

 この日の説明会も、恭太にとって大満足なものとなった。


 恭太は、窓の外を見た。梅雨も明けており、天気は快晴であった。


 今は七月。来月に試験を受けたら、恭太の博士進学は確定する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る