通学路だけの友だち

春海水亭

おそらく、今は大丈夫

私の通う南奥山小学校は、私の家から少し離れたところにあって、

しかし、一番近い小学校がそこだったので、

私はどうしても少し長い通学路を歩かなければなりませんでした。

他の子と重ならない一人ぼっちの通学路です。


「おはよう!ももちゃん!」

「あっ、おはよう、しいちゃん」


今年に入って、私と同じ通学路を歩く友だちが出来ました。

切星きるほし 詩李しいという女の子です。

小鳥が鳴くような可愛らしい声をしていて、いつも私の後にくっついて歩きます。


「ももちゃん、輝ける者、読んだ?」

「うん、読んだよ、面白かった」

「よかったー、ももちゃん、なら絶対に好きになると思ったんだー」


輝ける者というのは、男の子向けの雑誌で連載されていた人気漫画で、

私は知らなかったけれど、最近、アニメにもなっていたみたいです。

しいちゃんは色んな漫画に詳しくて、私に結構教えてくれるのです。


「いやあ、ももちゃんと趣味があって嬉しいよ、えへへ……」

しいちゃんの嬉しそうなとろけた声を聞くと、なんだか私まで嬉しくなるようです。

けれど、私はしいちゃんの好きなものをよく聞くけれど、

私がしいちゃんに好きなものを教えることはほとんどありません。


前に一度、しいちゃんに動画共有サイトユアストリーミングの、

ユアキンの話をしたことがあります。

クラスでも結構人気があって、誰でも知っているような存在です。


「……ごめん、知らないや」


しいちゃんはそう言ってしばらく沈黙すると、

また自分の好きなものの話を始めました。

その沈黙がなんだか怖くて、

それ以来、私はしいちゃんに自分の好きなものの話はしないようにしています。


いえ、それだけではありません。

例えば、しいちゃんの家であるとか、しいちゃんのクラスであるとか、

しいちゃんに関わる質問をしようとすると、やはり沈黙が返って来て、

しばらくして、漫画の話であるとか、アニメの話を始めるのです。


だから、私はしいちゃん自身に関する質問もしません。


けれど、どうしても聞いてみたい質問が一つだけあります。

もしも、それを聞いてしまったら私は、どうにかなってしまうかもしれないので、

絶対に聞こうとはしないのですが、どうしても気になることが一つだけあるのです。


「ももちゃん、ももちゃん、うふふ」

しいちゃんの笑う声が聞こえます。

私はそんな風に笑うしいちゃんにどうしても聞いてみたいです。

「ももちゃんって誰?」


私の名前にも名字にも、「もも」どころか「も」すらも付きません。

そうであったとしても、彼女は最初から私に友だちのように話しかけてきました。

明確に私を「ももちゃん」という誰かであると思って。


けれど、私はそれを聞きはしません。

沈黙以上のものが返ってきそうです。


「じゃあ、また明日ね、ももちゃん」

南奥山小学校の校門が見えて、しいちゃんの気配が消えました。

私はしいちゃんの姿を見たこともありません。

ただ、後ろに声と気配、そして足音だけがあって、

確かにいるように思えましたが、しかしいないようにも思えました。


振り返れば、わかります。

けれど、彼女に「ももちゃん」のことを尋ねないのと同じで、

振り返って、そしてもしも、しいちゃんの姿を見てしまったならば、

なにか取り返しがつかないことになるんじゃないかと思ったのです。

だって、一度も姿を見たことがないなんて、おかしいです。


階段を昇り、自分の教室へと入ります。

教室に入るのは、大体私が一番最後になります。

普段ならばいろんな会話でにぎやかな教室は異常に静かで、

プールの底に潜ったみたいな、深く沈んだ雰囲気に包まれていました。

まるで、一度だけ行ったおばあちゃんの葬式会場のようです。


私の隣の机には、花瓶が置かれていて、

それは悪い冗談とか、ひどいイジメのようなものではなく、

本当に、人が死んだのだと、先生が話す前からわかってしまいました。


四ヶ月前から、変な事故がよく起こっています。

何もぶつかっていないのにガラスが割れたり、

何もない道でクラスメイトが何人も転んだり、

そして、今日は――誰もいない車に轢かれて、隣の前田くんが死んだらしいです。


四ヶ月前――初めて、私がしいちゃんに会った時からです。


先生が、いろいろな話をするのを、私はずっと上の空で聞いていて、

気がつくと、学校は終わっていました。


今までは「不思議だね」で済んでいたことが、

前田くんの死で、どうにもそうじゃ済ませられないように思いました。


放課後になって、私は急いで、図書館に向かいました。

自分の持っているスマホは、制限がかかっていて、

インターネットの全部を利用できるわけではありません。


だから、どうしても調べたい大切なことがある場合、

図書館でパソコンを借りるのです。


私は検索欄に、文字を打ち込んでいきます。

「二十年前 事件 切星 詩李 南奥山」


彼女が紹介してくれた「輝ける者」は二十年程前の漫画で、

彼女が紹介する漫画やアニメは、

同じように二十年よりも前、それより後のものは一つもありませんでした。

だから、彼女が――人間ではない何かであるのならば、

二十年程前の物事が関係しているのではないかと思ったのです。


1秒ほど経って、検索結果には何も現れませんでした。

私は文字を減らします。


「切星 詩李 南奥山」


やはり、何も現れませんでした。

検索の方法を色々と試してみます。


「二十年前 事件 南奥山」

「二十年前 事件 切星 詩李」

「事件 南奥山」

「切星 詩李 もも」


わかったことは、

この南奥山で起こった事件というものはせいぜいが変質者が現れるぐらいで、

私の想像する、

例えば殺人のようなものは一つとして起こっていないということでした。


つまり、何一つとしてわからない何かが。

私の通学路に現れているということです。


「そろそろ利用時間が終わりますよ」

「あっ……はい!!」

いきなり後ろから声をかけられて、

私は驚きすぎて、天井まで飛び上がるかと思いました。

私の後ろに立っているのは、当然しいちゃん――ではなく、

図書館のスタッフの人でした。

名札に桃山と付けた三十歳ぐらいの女性です。


「あれ?」

桃山さんが検索欄を見て、目を細めました。

「切星さんと知り合い?」

「えっ?」


桃山さんが言うには、自分が小学校の頃に切星 詩李という女の子がいて、

桃山さんはお父さんの都合で転校してしまったけれど、

それまでとても仲良くしていたというのです。


「じゃあ、もしかしてももちゃんって言われてました?」

「あんまりかわいくない名前でね、可愛いあだ名で呼ばれたかったの」


私は少し考え込んで、桃山さんにすべてを話しました。

私のことをももちゃんと呼ぶ、しいちゃんのこと、

学校で起こっている事故のこと、しいちゃんの好きな漫画の話。


事故はただの事実で、しいちゃんの話は作り話のようで、

ただ、しいちゃんの好きな漫画の話があまりにも、

桃山さんがかつて聞いたのと同じだから、どうやら信じてくれたみたいです。


ただ、それで、どうにかなるというわけでもありません。

一体、どうすれば良いのでしょうか。


「私、しいちゃんと会ってみるわ」

「えっ」

「しいちゃんに何があったかはわからないけれど、多分話せばなんとかなると思う」

少し考えた後、桃山さんがそう言って、

私と一緒に通学路を歩く約束をしました。


「おはよう!ももちゃん!」

「お、おはよう、しいちゃん……」

翌日、いつもと何も変わらない様子で、

私の後ろからしいちゃんが話しかけてきます。


普段どおりの漫画やアニメの会話、いつまでも続きそうで、

しかし、今日で終わるのです。


「しいちゃん!」

私の視線の先に、桃山さんがいました。

桃山さんはゆっくりと私の方に、

更に正確に言えば私の後ろの方に向けて歩いていきます。



「しいちゃん、ちょっと年取っちゃったけど、ひさし……」

私は桃山さんが何を見たのかはわかりません。

私は決して振り返らず、ただ桃山さんだけがしいちゃんを見たのです。

今まで、しいちゃんを見た人は誰一人としていませんでした。

多分、しいちゃんをしいちゃんとして認識できる人がいなかったのでしょう。


ただ、桃山さんの顔は青ざめていて

「だれ……」

と何度も小声で呟いていました。


「お前、ももちゃんじゃないな」

私の後ろから声がします。

いつもの、小鳥の囀るような可愛い声です。


「だれ、なに、なんなの、なんで、なんで、なんで!?」

桃山さんは、怯えた表情で何度もそう言いました。

私は、私の後ろから、手がぬうっと伸びるのを見ました。

嘘みたいに長く伸びた手が、桃山さんの首を絞めました。


数十分程経って、気を失った私と死んだ桃山さんが発見されました。

私は全部、正直に話しましたが、

警察の人には、何一つとして信じてもらえませんでした。

変質者の仕業ということにされました。


数日が経って、私は登校を再開しました。

当然、しいちゃんも一緒です。

私は絶対に、振り返りません。


彼女の顔を見たくはないし、彼女に私の顔を見られたくありません。

もしも、彼女が私の顔を見て、私がももちゃんでないということがバレれば、

きっと、恐ろしいことになります。


私が卒業して、自転車で少し遠くの中学校に行くようになって、

南奥山小学校で多発した不思議な事故は起こらなくなりました。


中学校に入ってからしばらくして、

新聞記事で歌手の切星 詩李さんの記事を読みました。

内容は覚えていませんが、南奥山小学校での思い出を語る彼女は生きていました。


しいちゃんの正体は未だにわかりません。

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通学路だけの友だち 春海水亭 @teasugar3g

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