第三章 エゴティズムの論理

 貧困というものは全てを台無しにする呪いだ。私たちはずいぶん苦しめられた。ママはパパのせいだと言った。パパは自分以外の誰も責める事は無かった。パパはいつも貧乏だった訳では無い。パパは商売人では無かったのだ。悪天候と馬鹿げた投資で親から受け継いだ牧場を失った。ママは、パパがグールグールの代表として国会議員選挙に出馬した事が最大の間違いだったと思っていた。選挙費用がかさんでいたところに、留守の間に仲間にお金を盗まれたのだ。パパにはこの植民地を政治を通して良くしていこうという大望があった。そして失敗した。ママが私の様子を警戒するのはそのためだ。私は幼すぎて、パパの議員時代を覚えていない。ママが当時の事についていつも言うのは、男は自分の声が大好きだ、という事。そうね、私もパパの声は好きだけれど、それはけして私を責める事が無いからだ。


 パパは背が高くて身が引き締まって痩せていて、海水を吸った砂浜のように日に焼けた肌をしている。そして詩を嗜む。好きな詩人はバイロン。バイロンであればどのページにどの詩があるか誦じて言える。


  狂気は感染する

  征服者や王侯貴族、

  宗教や社会の創始者に加え、

  詭弁家、吟遊詩人、政治家、

  全てのうるさいやつら。

* * *

  人より優れ、あるいは人を従える人は

  下々の人への嫌悪を蔑むべし*1


 このような詩節はスラスラと口から出てきた。ママは、男というものは何を好み称えるかで自分自身を裏切るのだ、という。それは女にも当てはまるかしらと聞いてみたら、必ずしもそうではないとママは言った。女性は男性をよろこばせるために、様々な事を好きなふりをしなくてはいけないからだ。


 ママが好きなのはワッツ博士だ。バイロンに比べると単調で、面白味が無い。


  取るに足らない存在の私に

  人より多く神は下さる

  飢える人や物乞いする人のいる中で

  私には食べるものがある*2


 それは単に神の意地悪いえこひいきを示しているに過ぎないと思う。それから素敵なデザートを食べられる人の善人ぶった自惚れだ。


 「魔王サタンはいつも暇人によからぬ仕事を見つけてくる」という詩は私をカンカンに激昂させた。考え始めると、帆船が風を捉えるように思考が膨らんでイライラした。


 ワッツ博士はママの軽めの方の趣味で、大のシェイクスピア好きでもあった。シェイクスピアは私も好きだ。でもミルトン*3までいくと高尚すぎた。ママは私がミルトンの長い切れ端を習って自制心を身に付け、思想を高めるべきだと主張した。


  喜びの永遠に棲む所、恐れよ来たれ。来たれ、

  地獄の世界。そして地獄の底よ。

  新たな主を迎えよ。時や場所に

  左右されぬ心を持つ主を。

  心はそれ自らの主。その内側では

  地獄も天国に、天国も地獄に変えられる。*4


 ママの親戚の女性の口にする言葉で、一番汚いののしりは「爆ぜろ」だった。それが最も下品で許されない言葉だという事になっていたけど、実際のところ、圧倒的な憤りの前には、大叔母ジェーンですら「爆ぜろミルトン」と口にしていたのを小耳に挟んだ。私は何度も独りごちたものだ。「こんなものを暗唱しないといけないなら、それは楽園も失われる*3というものでしょう」


 失楽園で一番面白い文章は、「見よ、ウィリアム・ヨップ、アン・ヨップ」だ。金縁のがっしり分厚い本の中で、笑ってしまう部分だった。どうしてそんな面白い名前なんだろう? その本には、ミルトン夫人が「P.L.(失楽園)」詩集全十二巻を売って8パウンドを受け取った、という付記もあったけど、あまり儲けの良い商売だとは思えない。でもそれは300年以上前の事だから、今とは違うのだろう。


 ママは、私が何か手に職を付ける気が無いのだったら、パパの仕事を手伝ってできる事をしなさいと言った。パパに人を雇うほどの余裕は無かった。それで私は再び、猟鳥の巣穴の上にいくらでも空間が広がっているような人生を考え始めた。世間から隔絶された貧しい少女にはそれしか無かったのだ。ママは私が現実的にできる事を整理して、ばかげた妄想は捨ててしまいなさいと言った。この可能性の棚卸しはママが手伝ってくれた。私には特技も才能も無い事をじっくりと説き、そうした自分の面白く無い現実から目を逸らしたり、滅入ったりするのでは無くて、その現実に直面して強くならなければいけません、と言う。神の思し召しを、泣き言を言わずに受け入れるのです。私みたいに思い通りにならない娘を持つのは、それは大変に辛い事だろうと思う。でもそんな失敗作の娘にとっても、こんなに素晴らしい母を持つのは同じぐらい辛い事なのだ。どちらの方がきつい試練か、私には分からなかったけれど、ママには分かっていた。ママの境遇こそが試練で、私のは単にママの遺伝を有効に使えていないだけの事なのだ。ともあれ、人生は続く。


 その日は議会選挙があった。自由貿易か保護貿易かが争点だった。パパはうちの選挙区の候補者の応援に呼ばれていた。


 ポッサム・ガリーはにわかに盛り上がった。うちで集会をする時もあったし、パパが選挙区を回る時には私も同行した。私と政治の意見を戦わせる熱意のある青年たちはどこにでもいた。私は女性たちがうつけや子どもと同じ分類に入れられている事に大いに苛立った。もちろん投票するには21歳まで待たないといけない。でも私は髪をおさげに編んでスカートをくるぶしの上に上げていたこの幼い時、国会議員になりたいと強く願った。まずは州首相の仕事を狙おうと闘志を燃やした。青年たちは皆、私が立候補したら私に投票すると言った。私たちの候補者は女性参政権の拡大を訴える人だったから、私は彼が大好きだったし、私たちはとても良い友人だった。彼は、私は指折りの優秀な選挙運動員だと言ってくれた。


 飼い慣らされためんどりの嗜みを毛嫌いしつつ、人を一夜にして有名にする芸術やスポーツ、発明の才能も神から与えられなかった私は、もっと普通の栄光を検討するようになった。老運動家たちに私は父親にそっくりだと言われると、パパはとても誇らしげだった。パパは女性参政権拡張にそれはそれは熱心だった。ママはパパが私を連れ回す事に反対で、そんな事を続ければ我が家はすぐにボロボロの屋根すら失ってしまうでしょうと言う。祖母が私の噂を耳にして、ママを責める手紙を書き送って来た。次に大叔母ジェーンがうちに泊まりにやって来た時、大叔母は私を救うべくできる限りの事をした。


「おまえはこのままではとんでもない女扇動者になりますよ。男たちが憎み嫌う頭のおかしな女に。気をつけなければ男性嫌悪者だと知れ渡るようになってしまいますよ」


「この男性嫌悪ナントカというものは、神さまの定めた女性の運命と同じぐらいには偏っているように思えるけど。男を崇拝しない女を糾弾する訳でしょう。愛すべき生き物たちを嫌うという間違いを犯していると言うけど、その生き物はあらゆる意味で嫌いになる要素に溢れているじゃない。でももし女の子が男好きだったら、それも不名誉になる訳でしょう。論理的でも公平でも無いわ」


「論理と公平さは支持されるべきね」とママが口を挟んだ。「でもあちら側に極端に傾くのはやめるべきよ」


「意味が分からない。男たちが、私を嫌っているような態度を取った事なんて無いもの。うんと歳上の人も若い男の子も、どこに行っても私と普通に、仲良くしてくれるわ」


「若い先進的な女性を、男たちはちやほやするものです。でもけして尊敬したり、結婚したりはしないでしょう」と大叔母ジェーン。


「どんなに結婚したくても、一度にひとりしか結婚できませんよ」とパパが言った。「この子にはこれからたくさんの時間がありますから」


 パパと一緒に選挙区を回っていた時に、パパは人生というもの、について私に語って、州首相になる考えはあまり素晴らしくない、と言った。女性の政治参加はもはや避けようが無い訳だし、自由でいた方がこの世界で好きな事ができる。


 女性の投票権と言ったら、どんな悪さも非道も正す事ができる魔法のお守りのようだった。女性はもう性的魅力を使って男性におもねる必要は無いし、本来の自分でないもののをする事も無いのだ。自分自身として芽を出し、花開いていい。素晴らしい日々だった。パパは、立候補できる歳になるまでに、よく勉強をして、議員になるだけの素質が自分にあるか見極めなさい、と言った。まずは歴史と、偉人の人生を学び、どのように生きたかを学ぶのが良いだろう。このために、この愛すべき人は、またもや新しいスーツを買うのを後回しにして、ママがこのままではカカシに間違えられかねないから絶対に必要だと言っていたのに、自伝を含めた腕いっぱいの本を私に買って来てくれたのだった。


 これがそもそもの発端だった。


 歴史の勉強は後回しにした。歴史上の人物というのは死んでからたいそう長い時間が経っていて、大概は王様や王妃様や将軍とか政治家とかの殺人者で、オーストラリアの私が知っているような普通の人とは何の関わりも無いものだ。私たちの生きている時代に近い実在の人物の伝記、中でもその人たちが自ら自分の事を語る自伝は、読んでいて心が躍った。


 ママがいつも私のやる事や目的や動機を曲解する事や、ママや大叔母ジェーンが他の人がどう私の事を言ったり考えたりするかについて語る事を鑑みるに、自伝というのは個人的な事実を伝令では無く、走る馬本人の口から語らせ広める、良い仕組みであるように思われた。


 私は熱心に、いや、猛烈に、と言った方が適切だろう。本当にやりたい事に突進していく時の態度を表現するには。グレース・ダーリンやシャーロット・ブロンテ、ジャンヌ・ダルク、フライ夫人はつまりもしない老教授たちによる論評だけ読んだ。彼女たちは亡くなって久しい。私の生きる時代に近い人々の方に興味が惹かれた……少なくとも、読み始めるまでは。自伝をいくつか読んで学んだ事は、どうすれば偉大になれるかよりも、むしろ偉人の矮小さだった。現実としてまかり通るフィクションであれ、フィクションという名の飾り立てられた現実であれ、全部一つ残らず、台無しにしていたのは、自伝の作者の虚飾の態度だ。


 さて、私たちはいつだって、エゴティズムとはいわゆる罪と呼ばれるものよりもよほど許されざる、評判を落とすものだと警告されている。でも実際には、人は誰しもがエゴティズムの巨大なかたまりだ。個人として立ち続けるためには避けられない事だ。のちにヘンリー・ビーチャムが語ってくれた言葉を借りると、少年ジミー・ドリッピンにとってはジミー・ドリッピンという人間の方がウェールズプリンス・オブ・ウェールズよりもよほど重要なのである。そうでなければ、ヘンリーによれば、少年ジミー・ドリッピンはすぐに沼に足を取られてしまう。ひとりひとりの自尊心こそが人生の歩みを支えるものだ。そうだとすると、どうしてエゴティズムについてこうも罪深く騒ぎ立てるのだろう?


 ママはエゴティズムを嫌った。それはママにはそんなものは存在せず、偶然によって完璧に生まれたからだ。パパと私はいくらかの鞭を持って生まれたようだけど、間違った種類の鞭だった。一番良くて商売になるのはカバの皮製のものだ。別名、獣皮ハイド。そう、つまり、隠蔽ハイドだ。自分のばかげていたり罪深かったりする行動は問題無くて、他人のそれは全部間違っている、という風にはたらく。パパによれば、そういった類のエゴティズムは世間的な成功のためにとても有効な破城槌*5だけど、ユーモア精神や客観性を持って生まれてしまうと持つ事はできない。私は、ユーモアの精神というものは持ち主よりも他人に利をもたらすものなのじゃなかろうかと思い始めていた。


 エゴティズムの云々は現実におけるギブ・アンド・テイクによって調節されるべきで、そうでなければ全ての会話や社交というものが立ち行かないだろう。でもそれは自伝には当てはまらない。少なくとも論理とは噛み合わない。自伝のただの事実として、それ自体がエゴティズムの産物である。人が自伝の執筆なんて事をしでかすのは、純粋に自分の功績を吹聴するためだ。もしも脇道に逸れて作者を見せびらかす以外の事をし始めると、途端に自伝では無くなってしまう。こうした文書は大抵、やけに感傷的にエゴティスティックで、率直にそういう風には表明しない。だって非エゴティスティックであろうという、論理的・科学的に無理な事をしようとしているのだから。更に、自伝ではヒーローであるところの主人公は自分の長所を軽視しようとする一方で、自らを翼が生えてもおかしくないぐらいの聖人として描こうとする。そしてもしも主人公に安っぽい犯罪小説のような親がいる場合、それでもその親を、ひとりであれ両方であれ、尊敬し、敬意を表している風に描く。どんな状況においても一親等の祖先に耐え忍んだ褒美として聖書が約束するものは、長寿という疑わしい褒賞だ。(それがどういった論理で起こるものか、私は理解できたためしが無い)


 それからというもの、私は読める限りの自伝を読み漁ったけど、作者が女性であれ男性であれ、科学者であれ無学の人であれ、こうした姿勢を取らないものはひとつとして見つからなかった。偉人が自ら語る人生に偉大さをてんで感じられなかったものだから、読んだ限りの自伝のもっともらしい見せかけを引っ掻き回して虚構の自伝をでっち上げる、という考えに没頭し、いっときは自分が偉大になるという考えから気持ちが逸れてしまったぐらいだ。


 たとえば、こんな出だしの自伝を読んだ事が無い人はいるだろうか。「エゴティスティックに聞こえる覚悟で敢えて書くけれども、…」とか云々。私はこうした虚飾を虚仮にしてやると決心した。謝罪もおそれも無しに戦いを挑み、慣習の鼻面を殴りつけるような、自伝のまねごとを書いてやるのだ。


 季節は金色に長く暖かく、私は精神的にも物理的にも行動を起こしたくて狂犬さながらだった。神さまが喜んで私を配置した、この不満の現状にはその可能性の片鱗も存在しない。このような羊を犠牲にしよう神さまのお慈悲というものはどんなものなのか、疑問を呈したくなる。乗馬に加え、私は草だらけの小池でヒルや亀や時には蛇に混じって水泳を楽しんだ。でも心の糧になるものは読書の他にはパンくずほどの何も無かったのだ。私は貪欲な読書家だったけど、でも結局のところ、本というのは何か面白い事をしたくて居ても立ってもいられないような人間には退屈なものだ。ポッサム・ガリーからスプリング・ヒル、そこから更にワラルー平原まで行っても、私の年齢の、いやどんな年齢でも、本当に心を共有できる人はいなかった。他の女の子の不満は、兄弟たちよりも彼女らの人生がよほど思い通りにならない事を思いはしてもそこで止まってしまって、そしてそれが神さまの思し召しだと受け入れるのだった。世界を変えようという考えに囚われる女の子はいなかった。


 他の本を虚仮にするための本を書くという考えは私の中で育っていった。ママの豊富な人生経験によれば、私の考えは明らかに用心すべきものだった。なるものはママにとっては宗教のように強力だ。


 パパは何か考えに更けるように頭のてっぺんを擦ってから、「本当に本を書く覚悟があるなら、紙を調達して来よう」と言った。


「未熟で経験不足な娘がどうやって本なんて書けると言うんです」とママは詰問した。「まずは『キッズ・コーナー』に短い話でも投稿したらどう? 歩く前に走る事なんてできないのだから」




*1

This makes the madmen who have made men mad

By their contagion; conquerors and kings,

Founders of sects and systems, to whom add

Sophists, bards, statesmen, all unquiet things.

* * *

He who surpasses or subdues mankind

Must look down on the hate of those below.


*2

Not more than others I deserve,

Yet God has given me more,

For I have food while others starve,

Or beg from door to door.


*3 ミルトンは失楽園の作者。


*4

Where joy for ever dwells; hail, horrors; hail,

Infernal world; and thou, profoundest hell,

Receive thy new possessor; one who brings

A mind not to be changed by place or time.

The mind is its own place, and in itself

Can make a heaven of hell, a hell of heaven.


*5

破城槌で検索していただければ分かりますが、丸太のようなものでお城の扉をドーンと破る、あれです。

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私の人生、もうおしまい パロミタ @tomomiparomita

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