第二章 足枷かける環境

 とはいえ、どうすればその海原に辿り着けるかが問題だ。私は水草の繁るほんの小さな小池にいて、その水が川に流れ込む事すら稀な上、しょっちゅう倒木が起こるのだ。こうした障害は学校を卒業した途端に猛烈に膨れ上がった。


 私は役立たずの未婚者の葛藤に満ち溢れた生活に突入したのだ。女性にとって一番の重荷は無制限の出産で、ママが言うように私も今やそんな女性であるという事実は私をいっそう反抗的にした。ママは私が生まれながらにワガママでさかしらな小鬼で、私を育てるという拷問の間、私はママの最初で最後のひとり娘なのに、喜んで首を絞めそうになる事が何度もあったと言う。ママによれば、ほとんどの女の子は最初は私と同じように感じるけれど、すぐに落ち着くのだという。どんな女の子でも一度は、男に生まれたらと願うものだ、と。


 私は竜巻のように怒り狂った。それは侮辱だった。私は人生の中で一度たりとも、男に生まれたかったと思った事は無かった。そんな事を言われてむかつきで一杯になった。何に怒ったって、社会に作られた制限に対してだ。


 女に生まれた仲間たち! 私はあの弱々しく、吐き気のするような、古めかしい決まりごとの隅々にまで嵌まり込んでいるような寄生者、女らしいと持ち上げられる卑屈な偽善者ではなくて、 心意気と魂を持った女性たちに呼びかける。覚えているだろうか、私たちがあからさまな書き方をしてはいけないと教わった事柄。そうでないと真実も下品に見えてしまうからと。それから、特権階級でさえ口にする事をはばかるような微妙な問題。でもそうした事柄は実際には最も相手に影響を及ぼし、従わせる力を持っているのだ。永遠の女性らしさとは地獄の女性らしさだと学んだ時に私たちに棲みついた、あの死にそうにジメジメした憂鬱! でもママはいつも言うのだ、「慣れなさい。悪魔に取り憑かれたように振る舞っても何の意味もありませんよ」


 男は脚を切られている事に慣れるけれど、女はもっとひどい忍耐を強いられる。あるいは女性たちが生活し、働き、着飾り、そして種の繁栄に貢献している条件というものを見ていると、オオウミガラス*1と共に絶滅していてもおかしくなかったのではないかと思われるし、そうならなかった事が悔やまれるではないか。


 かつて少女だった皆さん! 覚えているだろうか、お行儀よく、従順で、ただ女らしいだけの「あるべき姿」がどれほど嫌だったか。そこには私たちの体当たりで向こう見ずな正直さ、あるいは人生や愛についてのシミひとつ無い理想が受け入れられる余地は無かった。私たちは私たち自身の、そのままの功績が人生に反映されていく事を口やかましく主張したものだ。スポーツの試合と同じように戦いたかった! たとえば打者がアウトになったとして、私たちは誰も不平を言わずに潔く受け入れたものだ。


 知恵の樹から最初に与えられた腐った果実の破裂は、我々は人間に生まれた特典を完全な形で受け取る事はできない、という事実だった。性的魅力、別名、女らしさ、が私たちに許される商売道具だと。それを受け入れない限り私たちに身を守るすべは無く、非難さえされてしまう。その役割に何の抵抗無く馴染んだずる賢い娘たちに、どれほどゾッとしたか。努力とそれによる結果で評価される学校では「並」を得る事さえ稀だったのに、今度はただ女らしさが評価の基準になると、迎合主義的知性はいつでも優秀を叩き出した。そうすると私たちは、かろうじて評価に引っかかるか、土俵にすら上がれない事もあるようになった。


 仲間たち、皆どのように対処してきましたか。


 事はママと私の間の台風に発展していた。ママはついに、「勝手になさい、どうせ私にはどうしようも無いこと。全て神さまの思し召しよ」と言った。


 神さまに憤慨できるという事はありがたかったが、直接直訴できる機会が無いという事は憤懣やるかたなかった。そうした不安定な時、「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである*2」とのたまう大叔母ジェーンと衝突した。そのような救世の仕方は、全能の主にしては全く効率が悪いように私には思われた。主はこの世界を愛するあまり、ただひとりの息子を救い主として遣わされ、そして十字架に釘打たれる事をお許しになられた。身の毛もよだつような苦悩を味わう事を! けれども歴史を見る限り、特に何も救われてはいるようには思えないではないか。


「娘だったら主は何をお許しになられたか、天のみぞ知るというものね」と私は言った。


 大叔母ジェーンはこれには寛容だった。「まあ」彼女は笑って、「おまえにも分かる日が来ますよ。夫と子どもができれば、おまえも落ち着くでしょう」


 熟練の妻たちによる母性の栄光と必然性の脅しは、ヒシヒシと魂を打ち砕くようで、獣すら飼い慣らすにあまりある。大叔母ジェーンはこの現実は自分のせいではないと私の批判を受け入れなかった。物事が正されるには来世まで待たなければいけないと言うのだ。


 私は鼻を鳴らした。「聞いた話だけど、男の天にも昇るよろこびのためにある女性が12人も子を設けるという地獄を体験させられたとして、その女性は、その子の父親と同じぐらい地獄に落とされる可能性が高いとか。それでいて、来世の喜びは男性にも開かれている、というか男性の方により開かれている、んですって。来世で報われるとかいうごたくはまるっきりゴミクズだわ」


「おまえには学ばなければならない事が山ほどありますね」と大叔母。「全く分をわきまえず、物を知らない。そのように考え続けていれば、いずれひどい目にあいますよ」


 パパが頭をかきながらそっと「ジェーン叔母さん、」と口を挟んだ。「今ひどい目にあっているのは、叔母さんの敬虔な信仰心ですよね」


 パパの言葉は舞い上がる埃に雨が優しく降り注ぐように染み込んだ。私は大叔母に良くない態度を取った事を反省した。パパと二人きりになった時にこの話題について改めて尋ねると、パパは自分に話しかけるように「神は信仰する人の想像よりも高くある事はできない」と言った。


「イギリス国教会の神の問題点は、神というものが年老いた高僧の取り繕った想像の中で作られたものだってことだ。彼らの意地悪く憶病なことと言ったら、悪魔の方が能力と一貫性のある分、よほど紳士に見えてしまうほどさ」そして目をキラリとさせて付け加えた。「しかしな、自分より思考力が弱い人間をいたずらに怒らせる事は、紳士的ではないよ。好きなだけ思考をはたらかせなさい、おれの娘。でも眠れる犬はそのまま眠らせておけばいい。起こす事でよほど良い何かを引き起こせるのでない限りはね」


 大叔母はよくうちに来て滞在する。パパは彼女が知る家庭人の中で最もすばらしい男性で、私はそんな父親を持てた事を毎晩ひざまずいて神に感謝すべきだと言う。これはママがいつも言う事とはかけ離れている。大叔母が天邪鬼だからと考えてもいいところだけど、聞き返してみると、もし自分の少女時代にこんな父親がいたら天国にいるように思ったでしょう、とのことだった。大叔母の父は無慈悲な独裁者だったのだ。彼の娘たちはネズミのようにひっそりと生きなければならなかった。私もそれぐらい支配的になれたら良かったけど、祖母と母、そして私を観察する限りでは、このご先祖の生命力は代を下るにつれ薄まっているようだ。


 思うに、理論的にはママが私の主な親で、パパはその次点でしかない。女性の解放と守るべき正義を考えると、これは理論的には決定的に明白だ。でも私のこの人間の胸から湧き上がる愛情について言えば、パパを次点に置くことなんてできない。そして私を理解してくれる、という点に関しては……それは、でも……なんだけど……ママは私にも自分の子どもができれば分かると言う。何が分かるというのだろう。


 私には他にも思い煩う事が山ほどあった。何度も何度でもこの人生と称されるものへの攻撃を刷新させていた。とはいえ作られた「女らしさ」への反抗は、私の心から奔り出る想像性の翼を折るものでは無かった。このポッサム・ガリーという僻地においても、私に許された素晴らしい楽しみがひとつあって、それが私の気力を引き出すエサになっていた。乗馬だ。私は素晴らしい乗り手だった。馬が大好きで、彼らの一部になれる気さえした。地域には良い馬がたくさんいたけど、多くは独身男性が所有していた。そのひとりによれば、「愛らしく活発な女の子は、良い馬を仕上げる存在さ」。


 競技用の種馬から狩猟用の雄馬まで、あらゆる馬に私は乗る事ができたけど、いつも馬主がエスコートとして、キラキラのチョコレート箱と共に付いてきた。中には技術と注意深さを要する馬もいて、そんな時は馬主は私の弁証法的な議論から、そして私は彼らの恋愛ゲームから逃れる事ができた。ロバのようにのろく、浮かれたお喋りをする暇を与えてしまうような馬にも、その所有者にも用は無かったから、つまりそうやって私は乗馬の機会を手に入れていた。


 パパは柵を建てることを禁じた。ママは、私があの馬主たちのどれかと結婚する気があるのでないなら、独身男性と乗馬に出かけるなんて馬鹿げているし、女性としてよろしくないと言った。私は彼らの尊敬を失うだろうと。もし私が本当に結婚する気が無いのなら、何かしら商売をするか手に職を持つべきで、ママももし何かしらの技術に習熟していたら自立して、こんなふうに男の失敗の尻拭いに拘泥していることなど無かったのに、と言う。


 それで私自身の展望を考えてみたところ、特筆すべきものは何も無い事に気がついた。何でもいいから、学びたいと思った。何でも、全てのことが学べたら。大学に行けたら天にも昇るようだったけど、費用が障壁となった。教生をする手もあったけれども、私はこの教生という職業を耳にするのも嫌だった。男と同じ仕事をして少ない給料しかもらえないし、地方の学校では報酬もなしに針仕事を教えないといけない。それか料理人かハウスメイドになって、威張りちらすおばさんの下で一日中奴隷みたいに働いて社会的な奴隷になるか。それとも病院で看護婦になって、医者の二倍の仕事をして彼に比べると雀の涙ほどしかない給料と低い社会的認知を得るか。それか、この若さという有利を活かして、医者になる手もある。差別に晒され単純作業ばかりやらされて、女性のあらゆる職業に就く権利のために戦った先進的な人でさえ、「男医者の方に信頼を置く」、そういう見下される存在の女医に。それか、土地持ちの男に養われる女性の話し相手や家庭教師になるか。


 こういった運命の全てに私は反逆した。普通に期待されるのではない生き方がしたかった。世界には偉大な事を成し遂げた人がたくさんいるではないか。私もそのひとりになればいい。こうした私のたわ言にママは冷や水を浴びせた。ママはこの家の現実主義者なのだ。家庭を保つためには必要な存在だ。ママの理論は、これまで生きてきた何億人もの人が世の中を進歩させることができなかったのだから、私ひとりが思いつきで何かできる訳が無い、というものだった。さて、どう反論しよう。私にとって進歩というものは、ひどく単純なものに思えた。ただ常識と気概があれば充分なことではないか。


 パパは私の味方だった。ママは私がパパにそっくりだと言って、私が何か褒められる事をした時だけが例外だそうだ。私の一番の反抗期の時でさえ、パパは私を誇りに思ってくれていた。パパは呆れるほど心が広いのだ。


「偉大な女性だっていたでしょう、ねえパパ?」

「もちろんだ。そして今も、これからもいるだろう」パパは言う。

「だからと言って、どうしてあなたがそのひとりになるだなんて思えるの」ママが言った。

「なぜなってはいけない?」パパが呟く。

「今の時代、お金が無ければ何にもなれませんよ」

「時代はいつだって一緒さ。人々はチャンスを掴むんだ」

「この子がそんな人物だとは思えません」

「それは分からないけど」パパは言った。「思ってもいなかったところから、偉大な才能は花開いてきたものだよ」


*1乱獲により19世紀に絶滅、見た目は大きなペンギン。

*2 新訳聖書、ヘブライ人への手紙12:6 口語訳より

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