第4話 三人の立場

4―1 「軍師」寧二


 軍師に取り立てられた寧二ではあったものの、軍隊経験等はなかった。三国志好きの延長等で、孫子などの兵法書等を読んでみたこともあるが、正直、実戦の中でどれだけ実践しうるのか。早くも、軍師としての根本的な問題が持ち上がっていた。

 とは言うものの、功績がなければ、その地位は認められず、そのためには、戦での貢献が必要だった。貢献のためには軍師としての経験が必要であった。どうも、鶏と卵である。軍師としての助言と行動を間違えれば、小隊に大きな損害、場合によっては、全滅などということもありうるかも知れない。そうなれば、打ち首もありうるだろう。段々、現実が具体化して、寧二の前に姿を現わし始めた。科挙での落ちこぼれによる行き詰まりが現実なら、黄巣の軍内での厳しさも逃れようのない現実であった。

 寧二にとっては、今の立場をとりあえず、繋ぐしかなかった。そのための方法として、二つの手段が考えられた。


一、文字が読めることを活かして、上層部からの隊への命令を伝え、又、上層部への伝令も買って出る


二、三国志等の物語を読み聞かせ、隊内を和ませる


 しかし、後者については、既に、黄巾の乱同様の反乱の現場にいるのであり、今更、物語等を語って聞かせても意味のないことであろう。現実の方が進んでいるのである。或は、関羽や張飛のように、大活躍することを隊の兵たちに話す等である。士気を高揚することならできるかもしれない。とはいえ、食うことに精一杯であり、食えさえすれば、どちらにでも寝返るというのが兵達の現実であろう。それは、劉炎の現実にも見たことである。そこで何よりも、兵達を食わせることができれば、軍師として、認められるであろう。

 それならば、どうすべきか。村々を襲って略奪すべきか?

 しかし、それは、「唐朝の抑圧をはじめとした世の不正を糺す」という「義軍」の建前とは大きく外れてしまう。又、現実の問題として、そのような行為に及んだら、一般庶民を唐朝側に追いやる可能性もあった。今や、寧二にとって、小隊を守ることと、自分の立場を守ることは、同義語になっていた。しかし、一八というまだまだ、人生未経験の若者にとって、それは、とてつもなく大きな難題であった。

 しかし、一については、何とかなりそうである。とりあえず、この点では、厳をはじめとした小隊に貢献できそうであった。この点で貢献できれば、厳の信頼を勝ち得、仮父と仮子のような関係になれるかもしれなかった。

 仮父と仮子は一種の養父と養子である。財産の分与はなされないが、一般の人間関係よりは、強い関係で結ばれる。財産らしきものは何もないだろうが、しかし、小隊の指揮権を厳から財産として譲られる日が来るかも知れない。勿論、今すぐに若造の寧二にそんな立場が禅譲されるとは思われない。それこそ、軍師として経験を積んだ先にある未来の話であろう。厳もまた、自分の立場を自分で誰かに譲ることは容易にはできないであろう。誰もが自分のことで精一杯なのである。

 そして、このことは、炎も浩士も、立場が違えども同じことであった。


4―2 兵士


 寧二のはからいで、陣内に兵として、取り立てられた浩士と炎は、他の兵士と共にいた。相変わらず、色々な話が聴こえてくる中、ある者が、浩士と炎に話しかけて来た。彼は自らを呂と名乗った。

「お前たち、新入りか。元は何の身分だ」

浩士が答えた。

「俺は元は、農民、こいつ元は藩鎮の兵士だ」

 呂が言った。

「俺も元は、農民だった。村じゃ食えねえから、黄巣様を頼って来たのさ。重い税を

巻き上げられる生活よりは、酒に博打の楽しみもあって、この生活は悪くはないぜ」

「俺も食えねえから、この反乱に参加した。俺たちの隊は何処へ行く?朱温とかいう

大将様からは、何か言われているのか」

 浩士からの質問に、呂は答えた。

「わからん。しかし、どこに行こうと、食える限り、俺はこの隊にいようと思う。今

更、唐朝などあてにならないからな」

 炎が口を挟んだ。

「うむ、俺は、こいつが言ったように脱走兵だ。唐朝は本当にあてにならん」

 呂は驚くふうでもなく言った。

「脱走兵か、そういう奴は、この隊にも多い」

 炎は言った。

「給料は遅配、欠配だし、まともな生活じゃない。俺も今はどこへ行こうと食えりゃ

良い」

 こう答えて、藩鎮時代の上官等について話した。それは、民衆を抑圧する唐朝の態度そのものに思えた。

 呂は更に話を続けた。

「ところで、お前ら、嫁っ子はいるのか」

 今度は浩士が答えた。

「俺はまだだ。炎、お前どうだったんだ」

「俺は元から、そんな余裕はなかったさ。俺も農民の子だったが、地主の搾取や、役

人の圧迫やらで、食って行けなくなって、幼い頃、丁稚に出されたんだ。丁稚先でう

まくいかなくて、結局、藩鎮兵士になったんだ」

 呂は言った。

「そういう奴も多い。大将の朱温様も、幼い頃、預け先で、よく笞で打たれたとか」

炎は思った。笞で、か。炎自身も、丁稚先でうまくいかないことがあると、主人やその嫁にきつく当たられた。陰で涙を流しながら、こんなところに放り込んだ親を恨んだものだった。そう思うと、内心、怒りの熱湯が湧き上がった。それが表情にいつの間にか出たらしい。不審に思ったのか、呂が問うた。

「どうした?」

 問われて、炎は我に帰った。

「いや、別に。俺も色々あってな」

「まあ良い。皆、色々ありでな。飲むか」

そう言って、呂は杯を浩士と炎にあたえ、酒瓶の酒を注いだ。

「どうだ、酒はやる方か」

 呂が問うた。

「うむ、飲むほうだ」

 浩士と炎は、杯に口をつけた。強い酒らしい。舌がしびれ、胃腸が刺激され、腹が熱くなる。呂は飲みながら続けた。

「俺は、この陣営の中で出世したい。唐朝の世の中は、どうにもならないが、黄巣様の下なら、出世できるかもしれねえ。黄巣様は科挙の落第受験生だが、不思議な魅力をお持ちでな。俺みたいな者でも、引き寄せられるものがあるんだ」

 呂は、総大将の黄巣に会ったことがあるらしかった。浩士は、まだ会ったことのない黄巣について、問うた。

「総大将にあったことがあるのか」

 呂は得意げに言った。

「一度、農民として暮らしている時にお会いした。何かしら、不思議な魅力をお持ちだ」

 呂の話は、彼自身が酔っているからか、楽しげに話すものの、話が要領を得なくなって来ていた。しかし、浩士や炎も酔って来たからか、何となく気分が大きくなってきたようである。まだ見ぬ黄巣について行けば、なにか未来が開けるような気がした。

 呂は酔いながら続けた。

「そういや、厳隊長殿の下に、新しい軍師がついたようだな。李寧二とかいう」

 炎が答えた。

「ああ、あいつは、俺たちと一緒に、この陣に来たんだ。黄巣様と同じく、科挙に挑戦していたものの、落ちこぼれでな。勉強について、おふくろに言われるのが嫌で、俺たちと一緒に逃げ出してきたんだ」

陣内には農民、脱走兵、落ちこぼれ知識人等、様々な者がいる。謂わば、唐朝の支配下での社会の縮図だった。呂は言った。

「なるほどそうか。立場は違えども、俺たちは皆、黄巣様の部下だ。俺はだいぶ酔った。先に寝るぜ。じゃあな」

 そう言って、夜の帳の中、自分の幕舎に向かった。浩士と炎もそろそろ、寝ねばなるまい。

 浩士は炎に、寧二を誘って、三人で寝場所を陣内に探すことを提案した。浩士は隊長の厳がいる幕舎に向かった。炎は浩士が寧二を連れてくるのを待った。暫くして、浩士は一人で戻ってきた。炎は問うた。

「寧二はどうした」

「隊長と話し込んでいた。今日は、俺たちと一緒になれないらしい」

 呂は先程、

「立場は違えども、俺たちは皆、黄巣様の部下だ」

と言った。しかし、早くも、立場の違いが彼らの間に現れたようであった。しかし、酔った頭で、そんなことを細かく考えることも面倒だった。浩士と炎は、二人で適当な場所に寝ることにした。

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