第3話 参上

3―1 中途の風景

 

 反乱軍の一陣営に着くまでには、一週間から十日程かかった。中途の風景は、決して美しいものとは言えなかった。物乞いが居り、行き倒れがいる。子供を「売り」に出している光景にも出会った。きっと、親に育てる力がなく、僅かな金と引き換えに、子供を売り渡すことで、生き延びようとしている親が居るのであろう。親はそうして生きる一方、子供には、せめて、良い家での召使い等でも構わないから、何とか、余裕のある家で預かってもらえたら、と思っているのかもしれない。唐朝の圧迫で苦しむ民衆の真の姿があった。

 彼ら三人は、これらの人々に救いを差し伸べることもできない。皆、自分のことで、精一杯なのだ。特に、浩士が、自分の家を出たのは、そうした理由からであった。

 三人は、道中の家の畑や小屋に忍び込み、失敬した食料で飢えをしのいだ。市場では、主人が目を離したすきに、金を盗んだり、時には鍬や権で相手を脅したりもした。唐朝の圧迫から逃れたはずの三人は、この時点で既に、唐朝同様、民衆の敵にもなっていた。反乱軍がどのあたりにいるのか、については、闇塩商人らしき者達に聞いて、場所を探した。そもそも、黄巣等は、闇塩商人出身と聞いていたので、そのほうが分かり易いし、彼らが、元々、唐朝と対立している立場上、官憲への密告の危険性も少ないと考えたのだ。

 そのようにして、やっと、寧二、浩士、炎の三人は、黄巣軍のある陣営にたどり着くことができたのであった。


3―2 陣営


 三人が、黄巣軍の陣営にたどり着いたのは、出奔した日と同様、夜のことであった。所々に火が焚かれている。陣営の中からは、色々と声が聞こえて来た。三人が陣の入口に近づくと、両脇にいた歩哨が槍で十字を作り、三人を止めた。

「何奴、何用か」

「我ら三人、此度、黄巣様をはじめとする陣営に加わりたく、参りました。隊長殿へ

のお目通りをお許し頂きたく存じます」

歩哨の背後にいた兵らしき男が言った。

「しばし、待たれよ」

 男は、彼ら三人を確認した上で、陣の奥へと、入って行った。三人としては、初めてのことなので、どのように扱われるか、正直、心中恐れてもいた。

 暫くして、先ほどの男が戻って来た。

「中に入れ。ある隊の長に、そなた達を紹介する」

 寧二、浩士、炎の三人は、男の招きで陣内に入った。陣内は騒々しい。様々な話が、耳に入ってくる。女の話、博打の話、酒の話等々。元は、浩士や炎のように、落ちぶれた小作農や脱走兵なのだろう。軍と言うよりも、落伍者の寄せ集めである。勿論、甲冑が揃っているわけでもなく、持てる武器も、鍬や鋤等の農具である。浩士が変わらぬ存在であるのは言うまでもない。炎は一応、正式の武器としての剣を持っていたが、寧二に至っては、武器も持っていないのである。しかし、この陣営内には、かなりの人数がいるような感じである。それだけ、唐朝の収奪と飢えとがひどかったのであろう。民衆が雲集すれば、王朝とて、屋台骨が揺らぐかもしれない。そのことを、三人は、改めて、実感させられた気がした。この群衆の中で、三人はどう生きるか、が試されているところまで来ていたと言えよう。同時に、それは、これだけの兵になる群衆がいるということであり、うかうかしていると、この世の流れの中で、あっさり「その他大勢」として、消し去られる可能性があるということであった。兵になりうる人材は大量に居る。彼ら三人が消えたところで、ある意味、反乱側にとっても、特に問題があるわけでもないように思われた。

 三人は、陣内のある一小隊の小隊長がいるという幕舎近くに案内され、暫く待たされた。


3―3 最初の関門


 暫くすると、幕舎の中から、声がかかった。

「李寧二とやら、入られよ。我が小隊の長が会ってみたいと仰せだ」

 寧二は幕舎の中に入った。

幕舎中の机の上に酒の杯が置かれてあり、その奥の椅子に座っているのがその小隊の隊長であった。一小隊の長とはいえ、反乱軍の長の一員ということで、武骨で野人な感じを想像していたが、どことなく、知的な感じのする人物であった。

 「よう参られた。わしは厳重三と申す。この陣内の各小隊の中の一つを率いる立場だ。して、我が軍に参加の意志があると聞いたが」

 寧二は、自分が科挙を押し付けられるのが嫌で、半ば家出して来たことを隠しつつ、言った。

「はい、我ら三人、この唐朝の腐敗した世を糺す義軍あり、と聞いて、まかりこしました」

「うむ。我らは黄巣様の旗の下、唐朝の腐敗を糺す義軍の旗を掲げた。そなたのよう

な若人の存在は心強く、今や、多くの若人が、唐朝の腐敗した世に義憤を感じている

のだ」

 寧二は引き続き、真相を隠しつつ、厳の言葉に頷いた。厳は更に言った。

「して、先程の者から、科挙受験を志していたとも聞いておるが、如何か」

「はい。恥ずかしながら、合格しておりません」

 厳は意外なことを言った。

「わしも落第書生、科挙を志すも、合格できなんだ。そのうちに、こんな唐朝の下で働き、生きることに嫌気がさして、黄巣様の幕下に馳せ参じた。黄巣様も塩で財をなしたが、科挙には合格せず、腐った世を糾さんと、義軍の兵を挙げられたのだ」

 厳も黄巣も出自は同じのようであった。厳は続けて言った。

「我が小隊には兵はいても、軍師役がおらん。貴君を我が隊の軍師にしよう」

 寧二は厳に礼を言い、少し安心した。とりあえず、居場所は確保できたのである。但し、荒くれとも思われる兵達をまとめ、動かしうる自信は、未だ一八歳の青年たる彼にはなかった。しかし、失敗すれば、世の流れの中で、抹消されるのは間違いなさそうであった。隊長の厳がそうであるように、落ちこぼれではあるものの、ある程度の知識を心得た者も大勢いるであろうから、である。

 科挙受験生の頃には、落ちこぼれでしかなかった寧二ではあるが、「軍師」になって、活躍の場が与えられて嬉しいというよりも、今はまだ、不安の方が心中では大きい。そして、寧二は、炎と浩士も、陣中に兵として置いてもらえることを願い出た。炎は元は藩鎮の兵だったので、ある程度、武器の扱いには慣れているし、又、二人とも、唐朝の抑圧には怒りを感じているので、気概は十分、と口添えしたのである。厳は、炎と浩士も自隊に受け容れた。この「人事」が、寧二にとっての軍師としての初めての仕事だったと言えるかもしれない。

 この他、厳は寧二に説明した。我が小隊は、王仙芝と黄巣率いる反乱軍の中で、黄巣を首領とする軍の麾下にあり、我が小隊も含めた各隊を束ねる軍勢の長が朱温という男なのであること、朱温は厳しい性格なので、赤っ恥などかいて、厳しい目に遭わぬように、等々である。

 李寧二、張浩士、劉炎の三人は、唐朝側の圧迫からは逃れられたものの、これから先、何やら厳しいものが待っていそうな感じである。しかし、今更、逃げることもできまい。ここで見捨てられたら、行き場など無いであろう。幕舎から出た寧二は、炎と浩士に、とりあえずの居場所ができた、と説明して、夜空を仰いだ。

 月が満月には及ばぬが、夜空を照らしていた。月の満ち欠け同様、自分達の人生は、どのように満ち欠けるであろうか。無論、彼ら自身にも分からぬことである。とにかく、最初の関門だけは、何とか乗り越えることができたようである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る