05.赦しを請うのが悪魔であっても

 ゆっくりとなぞる白い指先はひどく冷たい。ナイフのような爪が左目の縁をたどり、アモルの口元にぞっとするような冷笑を浮かべた。


「綺麗な色だ……」


 うっとりと呟いた後、アモルは指を引いた。握りこんだ爪は瞳に触れることなく、丸められてしまう。


「……? 欲しいんだろ」


 不思議に思って問いかけるオレへ、アモルは素直に頷いた。


「ああ、俺のものだから勝手に損なうな」


「抉らないのか?」


「抉って欲しいのか?」


 逆に問い返され、一瞬返答に惑う。そんなオレの頬に再び指を這わせ、黒髪の美人はくつくつと喉を震わせて笑った。


「抉れば傷になり濁る。このままが美しい」


 所有権だけ寄越せと笑う悪魔に、オレは肩を竦めてため息をついた。


「了解。傷つけないよう気をつけますよ……で、懺悔してくのか」


 告解室を示せば、子どものように無邪気な顔で悪魔は頷く。率先して入っていく慣れた様子は、彼が神父に懺悔をしていたという事実を肯定していた。


 奇妙な悪魔もいるもんだ。呆れ顔であとに続いたオレは薄暗い個室の中で両手を組んで、彼の言葉を待つ。昼間と同じ風景なのに、まったく違う印象を与える部屋は息苦しく感じられた。


「……嘘偽りなく、すべてを告白する。俺は――」


 アモルのよく通る声が聖堂に響く。止められた言葉の先は言霊として声に出さずに届けられた。それはオレがもつ能力を知った上で、声にしなかったのだろう。


『また不要な人の血を得てしまった』


 彼にとって、永らえる上で必要な手段ではない。そう匂わせた言霊に、オレは咄嗟になにを言えばいいか迷う。


 神の加護を求めていないアモルへ、赦しの秘蹟を与える権利は自分にあるのか。助けを求めると言いながら、彼は許される必要性を感じていなかった。それゆえの告解であり、懺悔なのだ。


「……父と子と精霊の御名において……」


「そんなものなら要らない。俺はお前の赦しが欲しい」


 神の家に響いた不遜な声は、オレにとって意外なものだった。


 祈りの形に組まれた指を解いたオレへ、白い指が伸ばされる。真っ白ではなく、象牙色の肌は妙に艶めかしい。僅かな隙間を滑るように伸ばされた手が、オレの左手に触れた。


「赦しを……」


 ごくりと喉がなる。


 アモルが望む赦しを与えることは、神に背くことではないか? 悪魔の誘惑に負けかけているのでは? いや、そもそも悪魔に与える赦しが存在するのか。 迷いが喉を詰まらせた。


「……ぁ、……」


 なにを言えばいいのか迷うオレの手を、冷たい手がぎゅっと握る。その力の強さに、オレの心はすっと落ち着きを取り戻した。


「赦しを与える」


 ただその言葉だけでよかった。ふわりと手は解かれ、隔てられた向こう側でアモルが笑ったのが伝わる。その笑顔が見たくて、オレは告解室を出て隣を覗き込んだ。本来、このような不作法は許されないが……扉代わりのカーテンの先には誰も居ない。


「アモル……?」


 呼びかけても応えはなく、しんと静まり返った聖堂は何の気配も感じられなかった。


「まいったな……」


『何をしているんだ、セイル』


 呆れたと滲ませるハデスの声に、自然と苦笑いが浮かんでくる。抑えきれない感情が口元を彩り、オレは大きく伸びをして天井を見上げた。


 開かれていない正面のドアではなく、清めなかった天窓に残るわずかな気配を感じながら……床に落ちている銀の燭台を拾い上げる。人の手が握った形にくすんだ燭台をローブの端で丁寧に拭った。


「何をしてるんだか……ま、近いうちに逢えそうだな」


 左目をくれちまったし。


 楽しそうなオレは赤い絨毯の上に膝を付き、正面のマリア像に十字を切ってこうべを垂れる。無事生き残ったことへの感謝を手早く終えると、静寂をかき消さぬよう足音を殺して聖堂をあとにした。


 聖堂の上の十字架を振り返り、暗闇の中で魔性の美貌が微笑む。


「やっと……見つけた」

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