06.極上の残り香漂う紫を抱いて

 神父の回復を確認し、彼の退院を待たずして本部に戻る。任務が完了した報告をするために歩く廊下で、同僚とすれ違った。


「お、久し振り」


 片手をあげて挨拶すれば、彼は表情を和らげた。長い前髪で薄い瞳の色を隠しているラウムの実力はオレに並び称されるほどで、やはり司教として活躍している。本部で顔を合わせることが少ないのは、互いに任務の量が半端なく多い所為だろう。


「……セイルか」


「オレはちょうど一段落したんだ。このあと食事でもどうだ?」


 じっと緑の瞳がオレの顔を見つめ、形の良い眉が顰められた。


「残り香か? ……よほど強い悪魔にあたったな」


 心配そうな顔を見せるラウムにひらひらと手を振って無事だと示し、肩をすくめてみせた。長い三つ編みが背で揺れるのを、慣れた指先が捕らえる。


「いやはや、美人な悪魔に会ったが……彼は犯人じゃなかった。別の犯人を片付けたんだが……そんなに匂うか?」


 くんと自分の三つ編みの先を鼻に近づけるが、わからない。首を傾げるオレの頭をぽんと撫で、ラウムは緑の目を細めた。


「いや、怪我をしていないならいい。気付けるのはおれぐらいだろう」


 他の奴らのレベルでは気付かないと断言し、申し訳なさそうに続けた。


「悪いが、この後すぐにイタリアだ。食事はまた」


「忙しいな。しかたない、次に奢ってもらうのを楽しみにしておくよ」


 笑い出した友人を置いて、オレはさっさと歩き出した。指を鼻先に近づけても、残り香に慣れてしまった鼻では気付けない。誰かに指摘されれば面倒だと思うが、それだけの実力者もいない現状――心配はないかと割り切って足を進めた。


 大広間のような空間は荘厳な雰囲気を作り出している。護衛によって開かれた扉の先、空の玉座の隣に立つ青年の前に進み出た。


「セイル、終わったの?」


 厳粛な雰囲気を台無しにする金髪の青年は、にっこりと笑って玉座に腰を下ろす。表を司どる教皇とは違い、悪魔祓いを主とする裏の教皇には経験や実績ではなく家柄で選ばれることが決まっていた。


 カタロニア家とウィナー家、常にどちらかの家の当主をもって裏の教皇は引き継がれていく。それが血のもつ能力に係わりがあると知っているのは、枢機卿以上の立場にあるものに限られた。


 もっとも公然の秘密というやつなので、オレもラウムもとっくに承知していた。


「終わった。つうか、情報間違ってたぞ、クルス。美人さんは犯人じゃなかった」


 犯人はどちらかといえば獣に近い、見苦しい姿をしていたのだから。溜め息混じりに情報違いを批判するオレに対し、クルスは金髪を揺らして小首を傾げる。


「あれ? 珍しいね。リリトが間違うなんて」


 彼女の透視による情報だったと知り、オレは唇をきゅっと噛んだ。


 リリトの能力は歴代カタロニア家当主のなかでも最高と言われている。その彼女が、単純に『読み間違った』のだろうか。彼女とも面識があるオレは、その能力の高さをよく知っていた。だからこそ浮かんだ疑問は飲み込みきれない塊となってつかえる。


「……オレが騙されたか?」


 呟いた声を拾い上げたクルスが「どっちだっていいじゃない」と軽く受け流す。確かに終わった仕事だ。どちらでも構わないし、事実、司祭は解放されている。


「ところで……その残り香はセイルの言う美人さんのもの?」


 ラウムと同じ指摘をされ、がくりと肩を落としたオレが前髪をばさりとかき上げる。


「そんなに匂うか? 自分じゃわからないが」


「僕が知る限り、最上級だね……」


 悪魔祓いとしての索敵能力が高くなければ、気付かないだろう。細心の注意を払って仕掛けられた匂いは、ふわりとオレを全体に包み込むように漂っていた。実際に匂いがするということではないので、一般の司教や枢機卿では気付けない。


 己の所有物であると牽制するように甘い匂いが漂う。元を探るように目を細めていたクルスが、口元に指を運んで首を傾げた。


「左目、かな?」


「ああ……そういや、くれって言われたからやったわ」


 なんだ、アイツの所有印か。それは匂うだろう。所有権を持って帰ったのだから、気づかないオレが間抜けなのだ。本当なら抉られていたのだから。


 あっさり爆弾発言したオレの顔を、クルスが驚きで食い入るように見つめる。


「えっ……あげた、の?」


「ああ、くれた」


 悪魔に左目をくれたと言われて、何と答えればいいのか…………破天荒すぎるオレに彼は絶句するしかなかった。

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