第32話 世直し決行

「よし、合図が来た!」


王宮の上で煌く光束を確認すると、ロベルトは襟に薔薇の花を挿した。振り返れば、軍務省の同じフロアにいる官僚の二割ほどが、同じく薔薇を襟に飾っている。ロベルトは執務机に隠した小剣を素早く取り出すと、大声で宣言した。


「現時点より、軍務省は我々が管理する。一般官僚は害さないから、抵抗は無用だ」


並行して、やはり襟に薔薇を挿した軍人たちがなだれ込んでくる。カールスシュタットの意を受けた第二軍団の精鋭だ。軍団の将校とロベルトは目くばせを交わし、上級幹部を確保するため中枢に向かった。警備員達を数の力で各個撃破しつつ前進し、長官室にたどり着いたのはロベルトを含め二十名ほど。そこには長官と次官、秘書ともう二名ほど軍人が立てこもっているという。


「小僧どもが・・甘く見るなよ!」


軍人出身である次官の野太い声が聞こえる。扉に突進した兵士が二人、室内から打ち出された光に撃たれて倒れ、ピクリとも動かない。


「光矢の術だな・・魔術師がいたとは不覚だった」


ロベルトの表情は苦い。もちろんこの場の有利は動かないが、制圧に時間を掛けてはいられない。最大勢力である第一軍団が独自の考えで動き出す前に、軍務省の命令系統をすべて支配下に置かないといけないのだ。この場合は、長官の印綬を奪取することが絶対必要条件になる。もちろん、宰相派が為してきた数々の不正の証拠も、隠滅されないうちに押さえる必要がある。


「こっちは魔術師がいませんしね・・突っ込みますか?」


第二軍団の隊長が持ちかける。ただ、ここで大きな犠牲を出すわけにはいかない。ロベルトは暫時考えて、ある提案をした。


「指揮官殿、部下の軍服を一着、頂戴致したいが?」


長官室の魔術師は、光矢の術をチャージして待ち構えている。先ほど二人ほどを一瞬で倒したので、恐れて突っ込んでこられないのだろうと魔術師は判断する。とにかく事態を膠着させることが彼の役目である・・時間の経過は、体制側に常に有利に働くのだから。


と・・性懲りもなくまたも軍服姿が、壊れた扉の前に現れる、魔術師はさっきと同じく光矢を二本撃ったところで、過ちに気付く。彼の魔法が貫いた軍服には中味がなく、ただ竿に吊り下げられただけのものであったから。ロベルトの姑息な策である。


「よし、引っかかった。突っ込むぞ!」


ロベルトと、隊長が相前後して部屋に飛び込む。人間を一撃で殺傷するほど強力な光矢の魔法は、連打できるようなものではない。一回無駄打ちさせてしまえば、チャージにかかる時間に距離を詰めてしまえばよい。そして一旦乱戦に持ち込んでしまえば攻撃魔法なんか、もはや撃てないのだから。


「文官風情が、舐めるなよ!」


魔術師が隊長に昏倒させられるのを見て、大柄な次官がロベルトに長剣を振るう。確かに官僚のロベルトが、かつて職業軍人であった次官に剣術で挑むのは無謀である・・但し、広々した場所で、という条件ならば。次官の長剣は室内では長大過ぎ、全力の初撃は執務机を両断することに無駄なエネルギーを使って終わった。


「悪いね、俺達はこのために準備してたんでね」


屋内向けに準備したロベルトの小剣が次官の右肩を抉り、次官も捕虜となった。


「よし、軍務省印綬は確保した。問題は王宮がどうなっているか、だな・・」


◇◇◇◇◇◇◇◇


王宮では、依然クリフが近衛相手に暴れていた。


疲れを知らない勇者に蹂躙され、すでに数十人が死体に変えられているが、彼らは仲間の死体を踏み越えて襲ってくる。余程バックにいる宰相が怖いのだろう。その宰相自身は、早々に近衛に守られいずこかへ逃げ去った後なのだが。


一方ニコラは姉弟の護衛に徹している。彼らを背中にかばいつつ、両掌の上に魔法の火球を踊らせ、宰相派の武官たちが姉弟に害をなさぬよう、にらみを利かす。


「私自身は紙防御なんだから、盾役は向いてないんだけど・・ねっ」


口の中でひそかにつぶやきつつ、近接戦闘に向かない魔女と侮って両側から迫ってきた武官に、その火球を左右同時に放つ。武官はその瞬間に人の形をとった二体の炭になり果て、それを見た宰相派の足が止まる。


「あら、火力は調節したはずなんだけど・・ふふふ、ちょっとこんがり焼きすぎちゃったかしらね、これじゃ美味しくいただけないわあ」


わざとらしくペロッと舌を出し、芝居がかった表情で唇をなめる。魔術師が苦手とする接近戦に持ち込ませないためには、とにかくこちらの存在を恐れさせ、一気に殺到させないことだ。今のところ、それは成功している。


「いつまでそこに突っ立っているのかしらあ? 全員燃やしちゃうけど?」


ニコラは謁見室に残っている宰相派の衣服に、魔法で小さく着火し始める。ズボンに、マントに・・殺すためでなく、恐れさせるために。


「うわっ・・いかん!」


宰相本人が逃げてしまったこともあって、結局宰相派は謁見室から退却していった。退却・・と言っても逃げ場はあるのだろうかと、ニコラは疑問に思う。やがて王宮の回廊に、大勢の兵隊が侵入してきた音がする。あれは近衛ではない、カールスシュタットの管掌する第二軍団のはずだ。どうやら「世直し」は、成功したらしい。


「うん、どうやら片付いたみたいだな」


クリフが数十人を殺した後とは思えない、呑気な表情で戻ってくる。さすがにもう大丈夫だろうと、ニコラも肩の力を抜く。


結果としては、最良の「世直し」になった。ハインリヒは正当なスキームで王太子に指名され、宰相派の高官はおおむね排除でき、「世直し」行為は反乱扱いされず、むしろ今は宰相派が反乱側に堕ちた・・万々歳ではないか。


「私の理性より、ミーナの感性の方が正しかったようね。陛下に、ハインツを選んで頂いたのだから」


「危ない賭けだったけど、ね・・」


結局、父王は最後までふらふら優柔不断だった。今も、眼の前に展開する流血シーンに腰を抜かしている。このお方に王国をお任せしておくのは危うすぎます、早々にハインツに王位を譲って頂かないといけませんねと、ミーナは高官達に聞こえないよう、つぶやいた。


◇◇◇◇◇◇◇◇


最も懸念していた、最大戦力である国軍第一軍団との調整も、結果としてあっさり決着した。第二軍団による王都主要機関制圧が非常に迅速であったことと、宰相派が先ほどの振舞いで自滅したことが大きい。第一軍団長のマグデブルグ将軍と第二軍団のカールスシュタットは、死屍累々たる謁見室で短く合意を交わし、共にハインリヒ王子を支持することを約して、それぞれの部隊を統率するため、去っていった。


「はあ~っ。どうなることかと思ったけど、何とかなったわね」


死臭に満ちた謁見室を後にして、ニコラがようやく新鮮な空気で、大きく深呼吸をする。前衛の壁なしで、あれだけ多くの軍人に囲まれたのは、さすがのニコラでも、かなり怖かったのである。


「うん。長い一日だったわ・・」


ミーナが応える。もっとも彼女にとっては、慣れないドレス姿が、もっとも一日を長く感じさせていた原因なのかも知れないが。


「これで、あるべきところに、すべて収まる、んだよね・・」


ニコラは小さくつぶやく。ハインツは国王に、ミーナは勇者クリフの妻に、そして私は・・どこへ行くんだろう? もう、クリフのそばにいる理由は、なくなるんだよね・・


寂しさを覚え、何気なく視線を回したニコラの眼に・・植込みに潜む小柄な短弓手の姿が映った。すでにその弓は、引き絞られている。とっさに雷撃の魔法を撃ったものの、ほぼ同時に弓手は矢を放っている、その先には・・


「ミーナっ!」


叫んでも間に合わない。ニコラは咄嗟にミーナに抱きつき、押し倒そうとした。次の瞬間、背中に衝撃が走って息が止まる。


「・・っ! ニコラぁ!」


ミーナの絶叫が聞こえる。ニコラはミーナに伝えなければならないことが言えないまま、意識を手放した。


ミーナ・・クリフをお願いね、と。


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