第25話 将軍カールスシュタット

ディードリヒ・フォン・カールスシュタット将軍は四十二歳。


王国軍第二軍団長、そして王国随一の将帥として、すでに確固たる声価を確立していた。


さきの魔王戦争においても、崩れかけた連合軍を支え、逆転勝利に導いた立役者と讃えられている。その統率力と個人の武勇はもちろんながら、数量優位と兵站を堅実に確保して「勝てる戦」ができる指揮官という評価が専らだ。逆に言えば、他の王国指揮官には、「勝てる戦」を構築できる人材がいないということなのだが。


名声は比類ないカールスシュタットだが、最近は仕事がやりづらくなってきたことを強く感じている。魔王戦争では文官たちが補給を意図的に滞らせ、その手当に奔走させられた。凱旋後も気が付くと論功行賞は宰相派の人物に偏った情実的なものとなり、無能な上級指揮官がやたらに増えてしまっている。


「もう、辞め時か・・」


目先の危機が去った今なら、宰相は喜んで自分の引退を受け入れ、その後釜に息のかかった者を据えるだろう。たとえ辞表を出さずとも、遠からず何か理由をつけ現場から外されることも、予想している。将軍は、重いため息をついた。


だが今晩はそろそろ、嬉しい来客がくる頃だ。あの勇者・・クリフォード殿が、ブランデーを手に訪ねてきてくれるというのだ。勇者はほとんど少年と言ってよいほど若かったが、その名の通り勇敢で、かつ戦いについて学びを怠らない、実によい青年だった。彼らが魔王本体を叩くため、少数精鋭で迷宮に向かうまでの期間には、よく夜になると幕営で話し込んだものだ。


今の彼も、王国における自分の立ち位置に悩んでいるところだろう。褒美に王女などを下賜されて、あの純朴な男は、困っているだろうなと、カールスシュタットはその精悍な頬を、少し緩める。


「勇者クリフォード様がお見えです」


使用人が来客を告げる。間もなく殺風景なリビングに現れたのは、勇者クリフと、その後ろに彼より小柄で、地味な服装の少年。おそらくは従者か。


「うむ、クリフ殿、よく見えられた。バンベルグの会戦以来だな・・噂は聞いているが、宮廷で苦労をしているのではないかな」


「ええ・・権力うずまく王宮で、いろいろ慣れないことに巻き込まれていますよ。将軍には申し訳ないんですが、その一環が今日のぶしつけな訪問なんです」


そうか、勇者は何か面倒ごとを持ち込んできたのかとカールスシュタットは再度ため息をつく。もちろん、それは予想通りのことなのだが。


「やはり、か・・私と酒を酌み交わしたいだけの訪問なら、もっと嬉しかったのだがな。で、何をしたいんだ?」


「とりあえず、このお方と話してもらいたいんです、将軍」


クリフの後方に控えて、表情を隠していた従者の少年が眼鏡を外し、将軍を真っ直ぐ見つめる。カールスシュタットは、その顔に見覚えがあった。


「あなた様は・・・・ハインリヒ殿下。なぜこのようなところに」


◇◇◇◇◇◇◇◇


いくつかの変装小道具を外し、「軍務省の俊英ハインリヒ」に戻ったミーナが、将軍に話しかける。


「すまない将軍。こうでもしないと、なかなか将軍と個別にお話しすることは難しくてね。ちょっと勇者殿に助力を頼んだというわけだ」


「ご配慮、恐れ入ります」


積極的ではなくともハインリヒと意を通じているとみなされるということは、第二王子を強く推すフライブルク侯に反対するということ。軍の人事すら専断する侯に睨まれては、今ですらやりにくい軍務が、さらに息苦しくなることは必至である。


「で・・そこまでしてのご来駕、私に何をお求めになりたいのでしょうかな?」


「うん。将軍は前置きが長いのがお嫌いだろうから、まず結論を言う。私は、フライブルク侯を除きたいと考えている、それもできうる限り早くだ。ただ私には軍事面の後ろ盾がない、カールスシュタット将軍には、その役割を望んでいるのだ」


「・・単刀直入ですな。なぜフライブルク侯を?」


「王国の統治機構は、腐敗し切っている。その頂点で利を貪り、自らの息のかかった無能かつ貪欲の者を次々顕官に就けているのが、侯だ。将軍も魔王戦争で経験したであろう。前線で突然の如く減少した補給・・あれは軍務省の補給局で、侯に連なる者達によってかなり組織ぐるみの横流しが行われたゆえだ。そして軍務省は・・他省も似たようなものだが・・侯におもねる人脈に牛耳られている。私も前線であの事態を見、調査を進めようとした矢先に、担当を外されたからな」


「うむ・・あの時ばかりは軍務省の官僚どもを呪いましたな。いや、殿下は別ですぞ。殿下は限られた物資で如何に戦線を崩壊させないか、前線の不平不満を受けながらも心を砕いておられましたからな」


「うん、思い出しても、あれは厳しかった・・だが、前線指揮官たちには、ずいぶん恨まれただろうな」


「実戦部隊は文句こそ言いますが、実情を理解し、殿下に感謝しておりますよ。そもそも王子殿下があのようなところで従軍されること自体が、何か妙な力が働いたのではと勘ぐっておりましたな・・」


「ありがとう将軍。だから私は侯のような君側の奸を除き、もう現場指揮官にあのような苦労をさせたくないと考えているのだ」


ミーナが一旦言葉を切る。将軍は心臓を射抜くような真っ直ぐな視線を、ミーナに向けている。


「軍事面での後ろ盾、と仰いましたな。すると官僚の組織化については、すでにある程度進めているというわけですな」


「ああ、『俊英』と呼ばれる者達が地下でオルグを続け、かなり組織化が出来ている。フライブルク派の人材をことごとく馘首しても、行政を滞らせない程度には、な」


そこまでさらけ出すのかという表情が将軍の精悍な顔に浮かぶ。「俊英」の名まで出したらもう後戻りはきかないであろうに。


「私が殿下のお誘いを肯んじず、今お聞きした政府転覆の企みを、侯の一派に訴え出るとは思われませんか」


「思わない。私は魔王戦争の前線で、多くの指揮官を観察する貴重な機会をもらった。実務能力も、その人品も・・その上で、同志として将軍を望むのだ。将軍の理想は私のそれに近いはず、同じ場所に立ってくれればこれ以上力強い味方はいない」


「殿下・・」


「だが将軍は軍人として自らの職掌に忠実な男だ、秩序を破壊するであろう私の行動には同意してくれないかも知れぬ。たとえその場合であっても、将軍は我々を静かに帰し、沈黙を守ってくれる人物だと私は判断した、そういうことだ」


ミーナの視線が、将軍のそれと、鋭く真っ直ぐに交差する。言葉と同時に眼でも意志を交わそうとするように。

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