第7話 挑戦的行動

去年のクリスマスイヴは、彼氏と東京タワーのバーで食事をして、表参道のイルミネーションを見ながら、プレゼントは何がいいかしら?と考えていた。

結局は、ちょっと無理をさせてコーチのお財布にしてもらったのだけど、その後のホテル代は私が支払ってあげた。

何年もの間そうしていたから、イヴに彼氏がいるのは当然だと思っていた。

だから、今年はどうしていいのかわからない。

唯一の救いは、新しく始めたバイトの予定が入っていて、今の私にとっては好都合な時間潰しだということ――。

大きな雪だるまの着ぐるみで、街中を歩くだけの仕事は、時給千七百円と申し分のない額だった。

もこもこの温かい衣装のお陰で、パズルのような継ぎ接ぎだらけの顔を、人目にさらけ出さなくても済んだ。

頭の上には、みずいろのちいさなバケツ。

黒い目玉は雀みたいにクリクリで、ニンジンの鼻は、出来上がったおじさんみたいに赤かった。

スマイル君みたいな大な口は、弧を描いてにっこり笑っている。

事務所の人たちが、雪だるま君と呼んでいるこの着ぐるみ。

私はそれに身を隠しながら、夜の歌舞伎町をひょこひょこと歩いていた。

首にかけた電飾掲示板には、居酒屋の低価格メニューが、映画のエンドロールみたいに流れている。


「地鶏炙り焼き 砂肝串 レバ刺し 塩ピーマン うずら串 月見つくね――」


私は、塩ピーマンがどうにも気になっていた。

機会があれば、一度は食べてみたいと思いながら、旧コマ劇場前を通り過ぎる。その時、一組の親子が近づいて来た。

女の子は、お母さんの陰に隠れて雪だるま君(私)を見つめている。

お母さんは笑いながら。


「ほら、ゆきだるまさんだよ~」


と、間の抜けた声で娘の頭を撫でた。

お父さんの腕には、買い物袋が山積みになっていて、今にも崩れてしまいそうだ。

この家族は、クリスマスパーティーを例年通りに過ごすのだろう。

そう思うと、なんだかムカついた。

女の子の好奇な目も、やたらと気になって仕方なかった。

異質なものを見ている。

得体のしれないもの。

幽霊。


「そうか、この娘の中では、私は存在していないも同然なんだ」


自分を、見透かされている気がした。

その反動か否か、私のイタズラ心に火がついた。

姿を隠しているという行為が、こんなにも勇気を与えてくれるとは思いもしなかった。

両手を勢いよく突き出して、思い切り天に掲げる。

お父さんは目をまん丸くしながら後退りして、女の子はきょとんとしたまま、雪だるま君(私)を見つめている。

私は、これでもかと言わんばかりに、ぴょんぴょんと飛び跳ねて踊った。

お母さんは。


「あらぁ~」


と、訳のわからない感嘆の声をあげた。

私は、お腹に空気を溜め込んで。


「ガオォオオオー!」


と、雪だるま君の絶叫を、幸せそうな親子に浴びせた。

女の子は泣きそうになっていた。

お母さんは、あんぐりと口を開けたまま、こめかみを痙攣させている。

お父さんの抱えていた荷物が地面に転がった瞬間、女の子は阿鼻叫喚の如く泣き叫んだ。

私は「ケケケケ」と笑いながら、その場を立ち去った。

背中越しに聞こえる女の子の泣き声が、煌びやかな歌舞伎町の夜空に響き抜けた。

親子にとっての、思いがけないクリスマスプレゼト。

私は愉快だった。

心が歪んでしまったわけではないけれど、そう思い込もうとしているだけかも知れないけれど、雪だるま君になっていれば、怖いものなんてない。

そんな気がした。

完全無敵な雪だるま君。それは私のこと。


「メリークリスマス」


様々な街を、雪だるま君になって私は歩いた。

銀座は場違いで、渋谷の街では若者にからかわれた。

巣鴨では、おばあちゃんたちに囲まれて、恵比寿では迷子になった。

素性を隠しながら、賃金を貰うのはこの上なく有り難いことだけど、同じ毎日の繰り返しに、なんとなくやる気を失いかけていた。

そんな大晦日の夜二一時、東京では珍しく大雪が降って、電車のほとんどが運休となった。

仕事が終わると、雪だるま君を事務所に返しに行かなくてはならい。

明治神宮前駅の人の多さと、復旧しない山手線に私は途方に暮れた。

ボストンバックにぎゅうぎゅうに詰め込まれた、哀れ悲惨な雪だるま君は、湿気を帯びていつもよりか重たい。

電光板は、軽量化されているので苦にはならなかった。

私は、キャスケットを深く被って口元をマスクで隠し、首には長いマフラーを何重にも巻いた姿で―もちろん、サングラスも忘れてはいない―駅の改札口に立ち尽くしていた。

今日は、夕方から原宿を歩きまわっていたのでクタクタなのだ。

電光板に。


「年末年始大放出!破産覚悟の設定5!」


という文字を踊らせながら、竹下通りや、表参道ヒルズ近くを歩いていると、なんとも恥ずかしくなって、居心地の悪さに吐き気がした。

実際は、誰も気にかけてはいないのだろう。

だけど、この街にパチンコは似合わないし、やったこともないからテンションだって上がるわけも無く、ただただ詰まらなかった。

目の前の原宿の街は、雪で真白に染まっていく。

初詣の家族連れや恋人たちは身を寄せ合って、年末だというのに、スーツ姿のおじさんは、頬を赤らめながら上機嫌に文句を言っていた。


「こんな日に、大雪なんてたまンねえなあ」


周りの人たちは、素知らぬ顔でスマホをいじったり、本を読んだりしているが、おじさんはお構いなしに笑いながら文句を言い続ける。

綿菓子の端っこみたいな大きな雪が、ひらひらと舞い落ちては消えた。

街明かりと雪景色に見とれていると、なんだかお腹が空いてきた。

事務所に電話をして、戻れないことを伝えると意外な言葉が返って来た。


「ああ、ニュースで見てびっくりしたよ。今日はもういいから気をつけて帰ってください」


「あの、雪だるま君は……」


「そうだなあ、年始はうちも休みだからさ、仕事初めまで自宅で預かっといてよ」


「いいんですか?」


「うん、すまないね、またこちらからも連絡します。よいお年を」


「よいお年を」


私は嬉しかった。

ドキドキしている自分がいた。

恋人を、これからお招きするのだ。

気心知れて、全てを受け入れてくれて、優しくて頼もしくて、私を裏切らない雪だるま君。

私の新しいボーイフレンド。

そんな彼は、ボストンバックの中で眠っている。

私は、ごった返す人々を尻目に、駅前カフェでサンドイッチを食べて、いそいそとトイレへ駆け込んだ。

やってみたい事があるのだ。

今年最後のわずかな時間、私だって楽しまなくちゃ。


朱色の長靴が、ふかふかの雪を踏みしめる。

私は、あえて固まっていない歩道を選んで歩いた。

歩く度に、キュッキュキュッキュと、アイスキャンディーを食べているような音が面白いからだ。

真夜中の東京の雪。

ついさっきから、また粉雪がちらちらと降り始めている。

静かな街は人通りも少なくて、車も随分と減っているから、ぬかるみの飛沫に悩まされることもない。

私は、軽やかな足取りで新宿駅に向かっていた。

雪だるま君の格好で。

すれ違うカップルは、笑顔で手を振ってくれる。

行き場をなくした若者たちと写真も撮った。

まるで虚構の世界の主人公。

接してくれるみんなは、私の事など知りもしない。

これから先、再会することもない別次元の人間たち。


「やっぱり淋しいや・・・」


目頭が熱くなったから、私は歌を歌った。

大好きなABBAの。


「チキチータ」


私のカラオケの18番。

この歌のお陰で、英語が得意科目になって、ノルウェーやスウェーデン、デンマークやイギリスを旅行するようになった。

私は、この歌を繰り返し口ずさんだ。

明治通りをひたすら歩き続けて北参道を抜けた時、一軒のこじんまりとした小料理屋から拍手と歓声が沸き起こった。

一年が――長い長い一年がようやく終わりを告げた。

雪だるま君の格好で、私はいったいどれくらいの距離を歩いたのだろう。

ふくらはぎが攣りそうだし、背中も痛かった。

私は、近くの学校脇の道で。


「ごめんね」


と、言いながら、雪だるま君をボストンバックにしまい込んだ。

雪の粒が、傷だらけの頬にあたっては消えた。

冷たくてやさしい感覚に、私は天を仰いだ。

今まで、重たい雪だるま君を被っていたから、首をうんと仰け反らせると気持ちがよかった。

白く散りばむ雪の粒は、満天の夜空の星々みたい。

その星たちが、一斉に私に向かって降り注いでくれる。

目を閉じて、思い切り両手を広げる。

手のひら、指先、手の甲、手首、やさしい感触は、どれも同じように伝わっていた。

出来るなら全てを脱ぎ捨てて、この場で何もかもを洗い流したかった。

シャワーでは消せないものも、今なら無くせる気がしたから。

私は、口を大きく開けた。

雪は甘い味がした。


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