二ヶ月目②

  この家に義妹を住まわすようにしてから二ヶ月。


 休日には時折、こうして息子を連れてきて、以前のように『父子と叔母』で家族のように過ごせるようになった。


 ただ、ガラスに没頭しがちな義妹にこの家を任せてどうなっているか。

 家の中に入りリビングに向かうと、そこは明るくて清々しい光に溢れている。耀平が望んでいたものがそこにある。


 平日に来るとたまに片づいていないこともあるが、それは耀平も大目に見ている。本日は見事に美しいリビングに整えられていた。


 航もこの家が気に入ったようで、最近は『今度のお休みは行けるの、行けないの』とよく聞かれる。


 息子も機嫌良く、リビングのソファーに駆けていく。


「簡単だけどお昼を作っておいたよ。生ハムサンドとサーモンサンド、タマゴサンドね」

「うん、いいな。航が好きなものばかりだ」


『そう思って』と花南が少しだけ微笑んでくれる。耀平と真向かうと、義妹はまだ表情が硬い。勝手に連れてこられて勝手に仕事を決められ、そして無理矢理に抱かれて社長の女になってこの家に住み、工房で働く。そこに落とし込まれたことをまだ良く思っていないことは、耀平にもわかっていた。


 でも、少しの変化も見えてきた。


 リビングの壁に耀平が選んだサイドボードがあり、そこに少しずつ買いそろえていたものを収納している。萩焼や伊万里焼、ガラス製品に、ティーセットなどの陶器を飾っている。サイドボードにも気に入ったインテリアを揃え始めていた。


 それは耀平だけではない。この家を任せた義妹のものも少しずつ。


 ジャケットを脱いだ耀平は、いつもこの家に帰ってくつろぐ前には腕時計を外すようにしている。サイドボードの上に準備したトレイに置く癖がついていた。

 そこで時計を外しに行くと。初めて目にするものがある。


「これ、カナが置いたのか」


 見られないものは『苔玉』だった。苔に覆われた玉に緑の植物が植えられている。その観賞用の玉はガラスの小皿に置かれていて、さらにそれがシンプルな木のトレイの置かれていた。


 航に飲み物を渡したカナが、耀平のところまでやってくる。


「うん。お義兄さんが好きそうだから、作ってみたの」

「作ったのか。買ったのではなくて」

「材料を揃えたら、簡単にできたよ」


 義妹らしいセンスで、耀平はおもわず顔を近づけてまじまじと見てしまう。これを買わずに作ってしまおうとは、職人魂だと感心するしかない。


 花南がいうとおりに、耀平好みのインテリアだった。こういう和的なものがわりと好きだった。


「ガラスもわたしが造ったの。木のトレイは百均でみつけたの」

「器のガラスもカナが? しかもトレイは百均だと」


『うん』と出来て当たり前のように言う義妹に、耀平は驚くばかり。やはりこの義妹、造ること創作することに向いていると確信するしかない。


「他にも、ガラスドームの中にいろいろな種類の苔を植える盆栽のミニチュアみたいなものとか、あと、吊すタイプの苔玉もあって、今度はそれを作ってみたいなあって」

「それも見てみたいな」

「ネットで調べたら、いっぱい出てくるよ」


 そういって花南はダイニングテーブルに置いてあるノートパソコンへと向かっていく。耀平も後を追った。


 検索した画面を花南が見せてくれる。そこに様々なスタイルの苔玉が並んでいた。


「これ。ね、お義兄さん好きでしょ。こういうの」

「おお、いいな。これもいいな」

「これがいいの。それなら今度、作っておくね」

「俺のデスクに置きたいな」

「いいよ。どんな器に置きたい。ガラスじゃなくて、陶器だと重みがもっと出るよ。それは自分で選ぶ?」


『そうだな。でもカナがどのようなものを造ってくれるか、それも楽しみだな』――と、ノートパソコンの画面を二人で一緒に覗き込んでいた。


 ふと気がつくと、向かいの椅子にいつのまにか息子が座っていて、こちらをにっこりと見ている。


 耀平と花南もそろって気が付いて、ハッとした。


「父さんとカナちゃんて、あんまりお喋りしないかと思ったけど、違ったね」


 また耀平は顔が熱くなりそうになって、この場を誤魔化してどこかへ行ってしまいたくなる。


「カナちゃん、どうしたの。顔まっか」


 息子が言うことに驚いて、耀平はすぐ側にいる義妹を見つめた。

 確かに頬が染まっている。いつも澄ましている義妹にしては珍しいことだったから、耀平も唖然として見ていた。


「お昼ご飯にしようっと」


 耀平が逃げたかったのに、花南が逃げてしまう。

 対面型アイランドキッチンへと行ってしまった。

 そこで作り置きしてくれていたサンドを準備している花南を見て、また生意気な息子が懲りずに尋ねる。


「カナちゃん。お父さんのことが怖いの」


 思わぬ質問で、耀平は目を丸くした。それはキッチンにいる花南も同じだった。


「怖くないよ」


「あまり喋らないから……お兄さんだから怖いのかと思っていたんだけど。前は仲良かったのにと思って……」


 子供だからと侮ってはいけない――。耀平はこの時つくづく思った。この息子は今日まで久しぶりに一緒になった父親と若叔母の様子をうかがっていたのだ。


 だがそこで花南は息子には優しく笑う。


「ううん。久しぶりに一緒にいるからちょっと緊張しただけ。でも、仲良くお話もしていたでしょう。お兄さんは、……」


 そこで花南が少し黙った。躊躇っているように。でも直ぐに顔を上げて、航に笑顔で言う。


「お兄さんは全然変わっていなかったよ。でもおひげの顔がちょっと怖くなっちゃったかな」

「だよね。僕も、それ痛いし怖いからやめたらって言ったんだけど……。でも、ちょっとカッコイイかも」


 息子に言われると照れてしまうお父さんだった。

 ただこの髭は、痩せたことを誤魔化すためのものであって、今もどうしたことか前の顔に戻ることに抵抗がある。あの頃のような男に戻れない気がして。もっと生々しい、憎悪を浮き彫りにした顔をありありと息子達に見せてしまいそうで。それなら恐ろしい顔をしているのは髭のせいだと思わせておきたい――そんな心境だった。


 航も気が済んだのか、花南が作った苔玉を眺めに行った。


「これカナちゃんが作ったんだ。僕も欲しい」

「いいよ。お父さんとお揃いのを作ってあげるよ」


 航が嬉しそうに笑って、キッチンにいる花南のところに駆けていく。


「カナちゃん、ありがとう」


 今度は素直に、自分から抱きついている。家の中では、まだ甘えたい男の子なんだなと耀平もほっとして頬を緩めることができた。


 


 夜になって、息子も眠りについた。


 花南が航の為の部屋をきちんと整えてくれていた。子供用のベッドを入れて、学習机に本棚まで。子供らしいベッドカバーまで準備してくれ、本当に母親のようにして整えてくれていた。


 航も山口の僕の部屋と喜んでいる。そこで息子はひとり眠っている。


 耀平も息子の部屋の隣を書斎部屋にした。そこにもシングルのベッドを入れて、デスクを置いて、如何にもお父さんはここで仕事をして眠るみたいにしていた。


 お父さんは、山口の家に来ても夜もお部屋でお仕事。それが終わったら、ここで眠る――。息子はそう思っているだろう。


 そんなはずもなく。程よく息子が寝付いた時間になって、耀平は書斎部屋の外に出る。まずはシャワーを浴びてからだなと。

 義妹のベッドルームはリビングを挟んで反対側の通路にある。つまり息子の部屋と離したのだ。大人がすることを悟られないために――。


 リビングに出ると、ちょうど花南がキッチンで冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すところだった。

 濡れ髪でタオルを首にかけていて風呂上がりだった。紺色の部屋着用ワンピース姿で、薄い生地が花南のカラダの線をふんわりと醸し出している。


 いつも職人姿でいるから、こんな時に色香を急に放つ義妹。そんな彼女を見てしまったら、耀平も平気ではいられない。


「兄さん、仕事が終わったの?」

「あとで、そっちに行く」


 それだけ伝えると花南は黙りこくって、ただミネラルウォーターを飲もうとペットボトルを傾ける。


「航がいるときはやめた方が良いと思うんだけれど」

「離れているから大丈夫だと思うが」

「平日にしてよ」


 花南は抵抗があるようだった。耀平だってそれはある――。しかし気持ちが、会いに来たなら義妹を抱いておきたい。いついなくなるのかわからないような義妹を、いまのうちに俺の方に向いて欲しくて。だが堪えた。


「わかった」


 父親として気が咎めるのも本当のところだった。航はまだこの家で眠ることに慣れていない。


「おやすみなさい」

「おやすみ」


 冷えたペットボトル片手に、花南は向こう側通路にあるベッドルームへと消えていった。


 ため息をつき、耀平もシャワーを浴びることにする。


 一浴びして、耀平もキッチンへと行き、冷蔵庫からビールを取り出した。

 静かな夜になり、あと少し仕事をして大人しく寝ようかと心決めた時だった。


 書斎がある廊下からバタンとドアが閉まった音がしたかと思うと、息子が廊下を駆けていく音が聞こえた。リビング入り口の磨りガラスドアに息子がシュッと通り過ぎていく姿が写り、そのまま花南のベッドルームへと向かっていく。


 息子の姿が写ったドアを開け、耀平は廊下を覗く。ちょうど、義妹の部屋のドアを開け、息子が飛び込んでいくのが見えた。


『どうしたの航』

 花南の驚く声が聞こえてきた。


 しかし、耀平はある頃を思い出してしまった。妻が逝去し、花南が子育ての手伝いに実家に帰ってきてくれ、義母と耀平と花南と三人で幼い航の面倒を見ていた頃のこと。


 あの頃、母親を亡くした息子を案じて、耀平のベッドで一緒に眠っていた。なのに時折、夜中に目が覚めると息子が忽然と消えていて驚くことがあった。


 だが行き先はだいたい決まっていて、二階に部屋がある叔母さんのベッドに潜り込んでいることが多かった。


 ――『大丈夫だよ、義兄さん。わたしが一緒に添い寝しているから。義兄さんは休んでいて』

 ――『ありがとう。泣くようだったら呼んでくれ、カナちゃん』


 時々、航にせがまれ三人川の字で眠ることもあった。だが、そこで耀平と花南が息子が間にいても一晩いることは、同居している倉重の両親の手前憚ることなので、朝まで共にいることは決してなかった。


 あれから五年。航はもう小学生だ。叔母が抱きついてきたら『やめろよ』と格好つける男にもなっている。でも……。気が抜けると、航は花南に抱きついていた。そう、彼はまだ子供だ。幼いところを置き去りにしてしまった子供。


 そんな思いをさせてしまったやるせなさを思いながら、耀平は部屋着姿のまま、花南の部屋へと向かう。


 そっと、義妹の部屋のドアを開ける。


 大きなベッド、紺色の薄いワンピース姿で寝そべっている花南の足下には、開いたままのスケッチブック。そしてその隣に、タオルケットにくるまって眠っている息子が見えた。

 小さかった頃のように叔母にべったり抱きついて眠っているわけではなかった。ひとりでタオルケットにくるまっているが、花南に背を向けて眠っている。

 その丸まっている背中や、ちょこっと見えている黒髪を花南が優しく撫でているところだった。

 そおっとドアを開け、耀平は部屋に入った。


「カナ――」


 声を潜め、そっと近づく。

 カナが寝そべっている側に、耀平も静かに腰を下ろして座った。


「まだ、小さいままなんだな」

「わたし、突然いなくなったからね……。航を置いて小樽に行ってしまったこと、心苦しかったよ。でも……」


 花南はその先を言いそうで言わなかった。聞きたかったが、耀平も聞けなかった。


「いいよ。また航と一緒に眠るから。気にしないで」

「そうか。では、頼んだぞ」


 そこで花南が思い出し笑いをするようにふっと小さく吹き出した。


「泣いたら呼んでくれ――は、もうさすがに義兄さんも言わないよね」

「さすがにそれはないだろ」


 耀平も静かに笑ってしまった。叔母さんのぬくもりを求めに来ても、息子も成長はしている。大きくなっている。


 開けかけていたビール片手に、お父さんは書斎でひとり。

 初夏の風が心地よい夜だったが、お気に入りの寝床を息子に取られてしまった。


 だが、お父さんはどこか満たされていた。やはり義妹を連れて帰ってきて良かった――と。


 息子には彼女が必要だ。そして、お父さんも……。


 


 ―◆・◆・◆・◆・◆―


 


 週末を堪能し、日曜の午後になり、息子を連れて山陰の本宅に帰る準備をする。


 この家の着替えは、義妹の部屋のクローゼットにある。そこに向かい、新しいシャツとスーツに着替えようとする。


 そこにも変化がある。耀平用のクローゼットを開けると。新しいシャツが数枚置かれている。そしてネクタイも。

 義妹が留守の間に買いそろえてくれるようになった。自分では決して選ばない、でも、洒落たものを彼女らしく選んでくれている。


 青い生地に白い衿とカフスのクレリックシャツを今日は選んだ。


「お義兄さん。航のリュックにノートは何冊入れてきたの」


 花南がベッドルームにやってくる。

 そこで自分が選んだシャツを義兄が選んでくれたことを知った顔をする。


「国語と算数の二冊だ。プリントが三枚、クリアファイルに挟まっていただろう。それも忘れずに」


 黒いネクタイを手にした時だった。


「もう、それはダメ」


 花南がクローゼットにいる耀平のところまでやってくる。

 クローゼットにあるネクタイを眺めて、耀平の首元に何本か当てて合わせてくれる。


「もう、耀平兄さんって黒っぽいネクタイしか持っていないでしょ。同じ黒や青系でも明るめにしてもいいと思うよ」

「落ち着かないんだよ」


 でも義妹は真剣な顔つきで、ネクタイを合わせてくれている。


「これね」


 濃紺のベースに銀とオレンジの細いストライプが入ったネクタイを選んでくれた。明るいオレンジは僅かでもビビットなアクセント、しかしベースは落ち着いた紺色。耀平も抵抗がなかった。


「そうか。せっかくだから、では……」


 義妹が選んでくれたネクタイをシャツの衿に通して結ぶ。結んでいるその時、耀平は彼女がそれをじっと見ているのを見下ろしていた。

 輪に通してキュッと結ぶと、そこで義妹がほんのりと満足そうに微笑んだのを見てしまう。


 選んだネクタイをしたことを嬉しく思ってくれている――。そう思っても良いだろうか。


 無理矢理に抱いた義妹は、あれからも素っ気ない。ツンとしている。でも時々、こうして俺のことを想ってくれているじゃないかという様子を垣間見せてくれる。


 そんな義妹を、耀平はぎゅっと胸元に寄せて抱きしめていた。


「明後日、また来る」

「明後日? そんなすぐに?」

「来る。絶対に」


 そういって彼女の顎を強引に掴んで上に向かせた。急激な求め方に義妹が驚いて目を見開いている。それにも構わず、耀平は花南のくちびるを噛むようにしてふさいだ。


「にいさん……、だめ、航が……」


 構わずに深くくちびるを重ねて、彼女のくちびると舌先を愛撫する。男がする荒っぽいキス、その強引に求める音が部屋に響いた。


「っん、ん……」


 義妹も喘いでいるが、抵抗はしなかった。でも、彼女からは決して求めてくれないし、対等に絡まってはくれない。


 そう思っていたのに。


「にいさん……」


 彼女の手が、耀平の背中に抱きついてきて、そのままぎゅっとシャツを握りしめたのがわかった。耀平を抱きしめてくれている? カナから抱きついてくれた?


「わかったから。やめて。待っているから、やめて」

「待っていてくれるのか。他に男は沢山いる」

「いつだって一人だけだよ、わたし」

「その一人が俺だとは限らない」


 そんな問いつめる義兄にも、花南は平然とした顔で冷めた目で見つめている。


「一人だけだよ、今だって」


 それが誰かは決して言ってくれないのだろう。

 その一人だけ――が、義兄だと言ってくれているようで、そうではない。曖昧な言い方が彼女からの仕返しのようだった。


『お父さん、カナちゃん』


 息子の声が聞こえ、二人はそっと離れた。


「航がいるから、ここにいる。義兄さんのお陰で思っていたものを作れるようになって充実しているし、ステンドグラスの置きライトも商品にしてくれて、売れるようになって嬉しかった。素敵な家に住まわせてもらって快適だし――」


 そこで義妹が急に背を向ける。


「カラダも満たされているから、男に飢えなくていいしね。揃いすぎていて怖いくらい」


 男に飢えなくていいしね? また義妹らしいというか、もの凄い言い方で聞かせてくれるなと耀平は呆然としてしまう。


「嫌な言い方するな。なんだそれ」


 遠回しに言っているとして、『いま、わたしのカラダを満たしてくれるのは義兄さん一人だけよ。他の男とは遊ばないから大丈夫よ、安心して』と言ってくれているのだろうか?


「まあ、いいや。本当に、気晴らしのような変な遊びはするなよ」


 男は俺だけ――。そこをもう一度釘刺しておく。

 だが、花南はツンとして部屋から出て行ってしまった。


 花南を連れて帰ってきて二ヶ月目。


 リビングには二人のものが揃ってきて、クローゼットには義妹が選んでくれたシャツにネクタイが増え、そして、『父子と叔母』の三人で笑う時間がある。


 カリヨンの鐘が聞こえるこの家が、義妹がいる空気と匂いに包まれていく。

 それでもまだ義妹は、なかなか思い通りにならない。


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