Ⅲ 手土産(2)

「昨日はよくもやってくれたなあ! 危うく死ぬとこだったぞ」


 そう語る男をよく見ると、茶のロングマントにトラベラーズハットといういでたちは同じであるが、頭や腕には白い包帯を巻いたりなどしている。おそらくは昨日、三階から落ちた時に負った怪我であろう。


「おまえは、なんたらストーカー……」


「クリストファー・ヴァン・ストーカーだっ! その言い方だと、まるで俺がしつこく付きまとう変態野郎みたいじゃねえか!」


 私が空憶えの名を呟くと、男はそう文句を言って怒ったが、〝しつこく付きまとう〟という点については別に間違いではないように思う。


「とにかく! 昨夜は貴様の悪運の強さに命拾いしたようだが、今度はそうはいかんぞ! 今日は杭よりももっと有効かつ的確な手段を用意して来たからな。今宵こそ、呪われし貴様の命も尽きる時だ!」


 そんな決め台詞とともに、彼は前に出した右手の人差指をビシッと私に突き付ける。


 人に指を差すとはこれまた失礼極まりないのだが、もう一々ツッコミを入れるのも面倒なので放っておく。


 すると、彼は思い出したかのように……


「ああ、そうだ! 貴様がいらぬことを言うので忘れるところだったが、どうだ!? 俺の焚いたこの香の香りは?」


 と、尋ねてきた。


「ん? ……この香は君が焚いたのかね?」


「おうよ、その通りだ。この清浄な空気、貴様ら魔物にはさぞかし苦しかろう」


 ……あ~あ、納得。そうか。そういうことだったのね。


 私は、彼の言葉にようやく理解した。


 〝こう〟というものは、古来より悪霊を払い、その場を清浄にする力があるとされており、確か、ギリシャのヴァンパイア〝ヴリコラカス〟の疑いのある遺体を始末する際にも大量の香を使うという話を聞いことがある。


 おそらく、このストーカーというヴァンパイア・ハンターも、私の力を弱めようと思って、城の周りで香を焚いておいたのだろう。


 ……でも、私は別に悪霊でもないし、悪の存在でもないので、香の匂いをたち込めさせられたからって別にどうということはない。というか、むしろ良い香りに感じるし、非常に心が休まる。逆に気分が爽快になって、元気が出てくるようだ。


「どうだ! 苦しいか!?」


 にもかかわらず、彼は勝ち誇ったような顔で再度、尋ねてくる。


「いや、ぜんぜん……スー…ハー…」


 そこで、私は素直な回答を述べると、それでも納得してくれそうになかったので大きく深呼吸までして見せてやった。


「何っ!?」


 それを見て、彼は目を丸くする。


「ハッ! そうか……鼻が詰まっていて、この香りを感じないんだな。クソっ、昨日の杭といい、なんて悪運の強いヤツだ」


 しかし、今回もそんな勝手極まりない解釈を独断で下すと、私に香が効かないのは、ご都合主義的なただの偶然の産物であるかのように自分で納得してしまった。


 いや、鼻も全然、通ってるし、いい香りもちゃんとしてるのだが……。


 それに、どうも彼は、私の心臓に杭を刺しても死ななかった理由を私が強運の持ち主であり、運良く杭の刺さり方が浅かったからだと思っているようだ。


 今後のこともあるので、やはりここは、はっきりと彼に説明しておかなくてはならない。


 いろいろと誤解しているような彼に、私は仕方なく、昨夜同様、もう一度諭すように口を開いた。


「ハァ……あのねえ、ストーカー君とやら。昨夜も言ったが、杭が私に効かなかったのは別に私の運が良かったからでも、刺さり方が浅かったからでもなく、そもそも心臓に杭を打ち込めばヴァンパイアを殺せるという方法自体が真っ赤な嘘なわけだよ。香がヴァンパイアに効くってのもそうだし……それにね、これも昨夜言ったが、私は確かにヴァンパイアではあるが、別に人を襲ったり、悪事を働いたりするわけではないし、君みたいなヴァンパイア・ハンターからつけ狙われるような筋合いは…」


 と、そこまで私が言いかけたところで……


 バサッ…!


 突然、私は何かを投げつけられた。


「……?」


 自分の胸元に当たって地面に落ちた物に視線を向けると、それはなんとも可憐な白い野薔薇の花束である。


 しかし、今日は私の誕生日でも、何かの記念日でもないし、そもそも彼とは薔薇の花束をプレゼントとしてもらうような間柄でもない……というか、今のは投げつけたのであって、花束を贈ったという感じでもないだろう。


「今度はどうだ! 薔薇は魔女や人狼、貴様らヴァンパイアにとっては恐ろしい聖なる花。薔薇の花は魔の眷族の肌を焼き、その香りは魔物を退ける……今の一撃で貴様もかなりのダメージを受けたはずだ!」


 やはり、そうであったか……香の次は薔薇と、まあ、次から次へと懲りもせずに……。


 しかし、これまでの品々同様、薔薇も別に私の弱点でもなんでもない。


「いやね、だからこうしたものは迷信であって、別に痛くもなんともないのだよ」


 私は困り果てた顔をして、落ちた野薔薇の花束を拾い、彼に見せてやる。


「何っ!? 薔薇も効かないのか? ……ならば、かくなる上は…」

 

 が、彼はやはり私の話をまるで聞く様子がなく、無視してまたもマントの下をガサゴゾとまさぐっている。


 先程から人の話をまったく聞かないで、なおかつ、いきなり花束を投げつけたりするとは無礼この上ない。なんて失礼な人間なのだろうか?


「だからね、何を出そうと、そうしたものはすべて迷信であって、私には何も…」


 彼の態度にいい加減、腹を立てつつも、それでももう一度、辛抱強く説得を試みようと口を開いた私だったが……


 バシャッ!


 私は顔に思いっきり水をぶっかけられた。


「うぷ………」


 突然の仕打ちに戸惑いつつも、ハンカチーフで濡れた顔を拭いながら、なんとか冷静を装いつつ私は彼に尋ねる。


「……ストーカー君。これはいったい、なんの真似かね?」


「なんの真似かだと? ハーハハハハ! 答えを聞かずとも、もう気付いてるはずだぜ?どうだ? 顔が焼けるようだろ? それは街の教会で、今日、神父様に祈ってもらったばかりの、それはもうありがたい聖水だ! といっても、貴様達呪われし存在にとっては猛毒のようなものだけどな!」


 私の質問に、ヴァンパイア・ハンターは空になった聖水の瓶を私に見せつけ、勝ち誇った笑い声を高らかに上げながら答える。


 ……なるほどね。今度はその迷信を信じて、こうして水をかけてきたってわけだ。ああ、確かに聖水がヴァンパイアの弱点だということもよく云われている話だよ。


 しかし、それも杭を心臓に突き刺すのや、今の香や薔薇と同様、真っ赤な迷信である。


 そもそも聖水が効くのは神を畏れる悪魔的存在だからであって、別に私は不死の存在ではあるけれども悪事を好むわけでもないし、無論、悪魔でもなんでもない。聖水をかけられたからって、ただの水をかけられたのと何も変わらないのだ。


 だから、別に顔が焼けるような感覚を感じることも当然ない。ただ、顔ばかりか服までびしょ濡れになって、「冷たいな……」と思うだけだ。


「……ほう。それで、人が家から出てきたところで、いきなり顔に水をかけたのだと……」


 しかし、顔が焼けるような感覚の代わりに、私は腸が煮え繰り返るような感情を心の底より感じていた。


 そりゃあ、いきなり水を顔にかけられれば怒るのも当然である。しかも、せっかく夜の街に出かけようとしていたのに、昨夜に引き続き、今夜も服が台無しだ。


「それも、こちらが懇切丁寧に説明してあげているにもかかわらず、それを聞かずに水をかけるとはあまりにも無礼じゃないのかね?」


 加えて、私は貴族の生まれのせいか、こうした礼儀知らずの無礼者が大嫌いである。


「ん? な、なんだ? も、もしかして、聖水、効いてないのか?」


 顔にかかった聖水をすっかり拭いさり、目の据わった顔でにじり寄って行く私に、ようやく彼は動揺を見せ始めた。


「ば、バカな。確かに聖水はヴァンパイアの弱点のはず……もしや、神父の祈りの時間が短かったか?」


 さらに詰め寄る私に、ストーカーは俄かに血の気の失せた顔をして、浮ついた腰でゆっくりと後ずさる。


「いや、よーく効いたよ……おかげで今日も夜の散歩はお預けだ!」


 ガスッ…!


 私はそう告げると、〝グー〟に握った拳を彼の顔面に打ち込んだ。


「う……ぐ……」


 それでも理性ある私は、ヴァンパイアである自分の腕力とひ弱な人間である彼のことを考え、相手が大怪我を負わない程度に力を抜いて殴ったつもりであるが、ストーカーは二、三回、目の玉をぐるぐると回すと、バタリと直立姿勢のまま後方へと倒れる。


「あーあ、こんなにシャツが濡れてしまった。これじゃ、見っともなくて酒場へも行けやしない……」


 そんなストーカーに目をくれることもなく、私はそう呟くと、濡れた衣服を気にしつつ、城の中へと引き返した。


 こうして、一夜ばかりか二夜に渡り、私は無礼なヴァンパイア・ハンターのせいで外出する気を完全に削がれてしまった……だが、なんとも不運なことにはそのまた明くる夜も、この迷惑千万な来訪者の襲来は続いたのである……。


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