Ⅲ 手土産(1)

 ストーカーなるヴァンパイア・ハンターが襲撃して来た、そのまた明くる夜のことである……。


 ――ギィィィィィ…。


 この、腹の底に響くような心地良い木の軋む音。


 その夜は前夜と違い、自分で棺桶の蓋を開けて平穏な普段通りに起きることができた。


 やはり、心落ち着くお気に入りの柩の中で、ぐっすりと自然に覚醒するまで眠った後の目覚めは格別である。今夜は良い夜になりそうだ。


「ハア……さてと、起きるかな」


 私は上半身を棺桶の中から起こして毛伸びをすると、昨日、あの男を放り投げた窓に目をやる。


 しかし、その時に壊れたはずの窓には傷一つなく、真新しい窓枠に嵌められたガラスから透過した青白い月明かりが、幻想的に窓枠の影を石の床に落としている。


 昨夜壊してしまったその窓は、今日の日中、早速に職人を入れて直してもらったのだ。


「うむ。良い仕事だな」


 私は新しくなった窓枠を眺め、満足げにそう頷く。


 ヴァンパイアの私は言うまでもなく日光が苦手なので(ただし、迷信で云われているように、それを浴びると灰になるようなことはないが…)、仕事を頼んだ後は職人にすべてを任せて柩で寝ていたため、出来上がりを見るのは今が初めてなのである。


 ああ、これも言っておくと、そのようにして日中、他人を城内に入れる時は、柩で寝ている姿を見られないように、万が一に備えて寝室のドアにはちゃんと鍵をかけているので心配はいらない。


「他もちゃんとできてるかな?」


 窓の補修の他にもう一つ……というか、こちらの方が仕事量的に多いものなのだが、職人達に頼んだことがある。


 私はそちらも確かめるべく、柩から出ると、暗く静かな城内を歩いて見て回った。


 カツーン……カツーン……と、私以外には誰一人いない城内に、堅く冷たい石の床を踏む靴の音だけが甲高く鳴り響く。


 その無機質な音を聞きながら、私は窓の鍵やその外側にある鉄格子、表正面の入口から始まって、ほとんど使ったことのない裏口に至るまで、人間が出入り可能と思われる個所の戸閉りを隈なく確認した。


 私が職人達に頼んだもう一つの仕事――それは、この城の防犯対策をより強固にするということである。


 三階の、鉄格子の嵌められた窓から外を覗くと、向こうに見える城壁の天辺部分には矢のように先の尖った鉄柵が取り付けられ、容易に賊が乗り越えて城内に侵入できないようにしてある。


 すべて、私が注文しておいた通りである。


「無理な頼みだったのに、一日でよくやってくれたものだ……」


 そう、私は言って、職人達の仕事振りに感心する。


 急な依頼であったのにこうしてすぐにやってくれたのは、昔からこの城の補修を任せている、互いによく知った古い馴染みだからであろう。


 城内を見て回った後、私は一度寝室に戻って身支度をすませてから、石造りの回り階段を下りて、城正面の大門へと向かった。


 そして、最後にその場所を確認する。


 石組の門に据え付けられた巨大な木の扉の裏には、昨夜まであった物以上に太くて頑丈なかんぬきと、真新しい銀色の鎖に、これまた新しい金銅色をした錠がかけられている。


 これも同じく職人達にやらせたものである。


 後であの男が残していったものを調べたところ、どうやらこの門を開けようとはせず、鍵爪の付いたロープを使い、城壁をよじ登って中へ侵入したらしいのだが、それでも用心に越したことはない。


 また、頭上を見上げると、そうした手段への対策として、門の上にも先端の尖った鉄製の泥棒避けが、私の指示通りに新たに取り付けられていた。


 私が急にこの城の防犯対策を強化しようと思い立った理由――それは勿論、昨夜のあのヴァンパイア・ハンター侵入の一件があったからである。


 いくら死なないからと言っても、そうそう、あのように胸に杭を打ち込まれていては堪ったものではない。


 服は駄目になるし、前にも言ったが、肉体を傷付けられれば、多少なりと痛みは感じるのだ。


 だからこうして、私が昼間ぐっすり眠っていても寝込みを襲われることがないよう、門扉や塀をより堅固に改修したと、まあ、そういうわけである。


 加えて、これまでは大した事件もない田舎のことと、おざなりにしていた戸閉りも意識してしっかりとするようにした。一応、昼だけでなく、夜、寝る時も、これからは寝室には鍵をかけるようにしよう。 


 そうした甲斐あってか、とりあえず今夜はあのヴァンパイア・ハンターも現れず、清々しい夜の目覚めを獲得することができた。


 今日の明け方、職人達が来る前に、少し気になって城の周りを見てみたが、どこにもあの男の遺体が転がっているようなことはなかった。


 三階から放り投げられたにも関わらず、強運にも命に別条はなかったようだ。庭に植わっている木の枝が折れていたので、もしかしたら、それに引っかかって助かったのかも知れない。


 だから、あの男が私の命を狙って、再び乗り込んで来るなんてことも可能性としては充分にあり得る。


 この城の補修はそのための用心なのである。


 とは言え、心臓に杭を刺しても無駄なことを知った上に、あれだけひどい目に遭わされれたのだ。普通なら、さすがにもう諦めて二度と来るようなこともあるまい……。


「ん? なんだこの香りは……?」


 そうした考えごとをしていて今まで気付かなかったが、外に出てみると、なんだか香を焚いたような良い匂いが周囲にそこはかとなく漂っている。


 街の教会から匂ってくるには遠過ぎるし、こんな山の中で、一体、誰が焚いたのだろうか?


 もしかして職人達か? いやでも、香を焚き込めるような洒落た連中でもないし……。


 まあ、ちょっと不思議ではあるが、何にせよ良い香りである。


 よく晴れて月明かりは綺麗だし、昨夜のあの迷惑なヴァンパイア・ハンターもいないし、今宵はなんとも清々しき、心地の良い夜だ。


 昨日はとんだ邪魔が入ったおかげで出かけられなかったが、一昨日もちょっと所用があったので街へは行っていない。


 さあ、今夜こそ夜の街へと出かけよう!


 ゴゴゴゴゴゴ…。


 いつも通り、静かに迎えた穏やかな夜に、私はそんな楽観的な考えを抱きつつ、今日こそ街に繰り出そうと、扉を開ける手に力を込めたのであるが……。


「吸血鬼アレクサンドル・D・ノスフェルっ! 今夜は昨日のリベンジだっ!」


 私の予想を完全に裏切り、自称ヴァンパイア・ハンターの若造は、昨日と同じ格好で門前に立っていたのであった。

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