第2話 魔道書

 任務説明を終えると、せっかくなのだからと図書館を案内することになった。親睦を深めるためにもちょうどいいよねとヒースはニコニコと笑顔を浮かべていた。


「エルリオさん、何か興味のある分野とかありますか?」

 イリスはエルリオに問う。エルリオは少し黙考して、

「そうですね、やっぱり魔術関連……あとは言語とか歴史ですね」

 やはり魔術師らしく魔術分野と趣味なのだろうかというものを答えた。

「魔術分野は一番近くなので、そこから行きましょうか」


 魔術関連の本が置いてあるのは三つの塔で一番高い中央塔。イリスが朝方いたのはここの最上階。強力な魔道書もあるために、警備は一番厳重だ。

 エルリオも魔術師らしく、置いてある本に関心を示している。時おり「へぇ」や「ほぅ」など感嘆の声をもらす。


 一通り中央塔を見た後、次の場所へ向かう。

 広がる沈黙に耐えられなくて、イリスからエルリオに話しかける。


「エルリオさんは、歴史や言語分野が好きなのですか?」

「ええ、まぁ」


 答えてくれたのが嬉しくて、このイクレシカ図書館のことを知ってほしくて、聞かれてもいないのにイリスはエルリオに説明を始めた。


「イクレシカ図書館ではオーヴェルの民以外の人たちも働いています。むしろそちらの方が多いのですが」

「ここは分野ごとに建物が分かれています。3つの図書塔には特に保存数の多い分野が納められていますね」

「保存部にはすごい方がいましてね……!」


 一方的に話していたにも関わらず、エルリオはちゃんと相槌を打ってくれていた。たまに質問も返してきてくれる。それに嬉しくなってイリスはどんどんと話を広げていった。

 そうやって道中に話をしつつ、言語分野の建物に向かい、最後に歴史分野へと向かう。


 その時、不意に遠くから不審な音が聞こえた。

「この音は……」

 気のせいかと思ったが、エルリオも聞こえたらしい。

 音がした方に目をやると、ちょうど検問所の辺りらしき場所から煙が上がっているのがわかる。


「検問所の辺りです。何があったんでしょうか……?」


 立ち止まり、煙が上がった方を見る。よく見ると煙だけでなく炎のようなものが目に映る。

 周りの人々も足を止め、不思議そうに煙の上がる方角を見ている。そんな中で隣にいた青年たちから聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。


「なぁ、今日ドラゴンが封印された魔道書が納本されるって言ってなかったか?」

「そうだっけか? でもそしたらあそこにいるのは……」


 ドラゴン。魔道書。納本。煙があがっているのはドラゴンが暴れているから?


「それなら、私が行かないと……!」


 懐のシェルシの書のことを思い出す。早急に事態を収拾するにはこの本が必要だ。

 気づいたら、イリスは走り出していた。

 後ろでエルリオが何か言った気がしたが、わからなかった。


 駆けつけると、やはりドラゴンが暴れていた。

 ちょうど見張り台くらいの大きさ。そこまで大きくはない。でも。炎を吐いて周囲を燃やし、鋭い爪や尻尾で検問所や見張り台を破壊している。


 人々は突然のドラゴンの出現に戸惑い、図書館や町の方へと逃げている。

 今はまだここで暴れているだけ。でもこれが図書館や町に向かったら。イリスの心に一抹の不安がよぎる。

 ドラゴンは見境なく暴れていて近づけそうにない。なんとかして近づいてシェルシの書で止めなければ。


 辺りを見回すと、まだ壊されていない見張り台を見つけた。見つけた途端、イリスは走り出した。そして躊躇うことなく梯子をのぼっていく。

 梯子をのぼりきると、ちょうどドラゴンの真横にきた。しかしここからは距離がある。


 躊躇っていたその時、ドラゴンの巨躯に氷の鎖が巻きついた。さらには風が巻きついてドラゴンの動きを止める。

 下を見ると、こちらを見上げるエルリオの姿が目に入った。手には何やらペンのようなものを持っている。魔術を使ったのだろう。

 エルリオを見て、イリスは妙案を思いついた。


「あっ、エルリオさん! できれば受け止めていただけるとありがたいです! よろしくお願いします!」


 エルリオの返事も効かず、イリスは柵へ足をかける。懐からシェルシの書を取り出す。

 ひとつ、深呼吸をして。思い切り柵を蹴って跳んだ。


 迫るドラゴン。こちらに気づいたドラゴンは炎を吐こうと口を大きく開く。

 焦りで手が震える。シェルシの書を開いてドラゴンへ突き出し、イリスは大きく叫んだ。


「お願いします、シェルシの書!!」


 イリスの言葉に呼応するかのように、シェルシの書が赤く光る。

 光を浴びたドラゴンは苦しみだし、拘束された体を解こうと身悶える。しかし、光に包まれたかと思うと次の瞬間には、赤い魔道書へと姿を変えていた。


 なんとかその魔道書をキャッチする。

 このまま怪我か最悪死ぬかもしれないと思いつつ、イリスの体は落下していく。


 けれど。


「いってぇ……」


 痛みはいつまで経ってもやってこない。なぜか感じる人の温もり。

 閉じていた目を開ける。そこにはイリスを抱きとめるエルリオの姿があった。


「は!? え!? エルリオさん!! あ、ありがとうございます!!」

「そう思うなら、早くどいてください……」

「はっ、すみません!!」


 イリスは慌てて、エルリオの上からどいた。

 まさか本当に受け止めてくれるとは思わなかった。怪我をしていないだろうか。


 さっきのドラゴンを止めていてくれていたのもエルリオだ。イリスを追いかけてきたのだ。


「あなたが対処してくれて助かりました」

「別に。あなたが走り出していってしまったから、どうにもできず追いかけただけです」


 エルリオは別になんとでもないように言ったが、イリスにとって大事な場所を守ってくれたのだ。お礼を言わなければならない。


「それは、すみませんでした。でも、本当にありがとうございました!」


 深々と頭を下げる。彼がどんな思いで行動したにせよ。イリスにとっては感謝すべきことだった。


 ***


ドラゴンの魔道書はより厳重に封印を施されて、当初の予定通りイクレシカ図書館に納本されたらしい。

 壊された検問所もすぐに魔術師達の手によって修復されたとのこと。


「いやーすまなかったね。うちのイリスが」


 その件を報告しに行ったイリスに着いていったエルリオが、ヒースに言われた最初のセリフだ。


「いえ、それにしても勇気がある行動で驚きましたよ」


 そう言いながらもエルリオの心境は真逆だった。こんな無鉄砲なやつの護衛は絶対に苦労する。


「ドラゴンと言っても、被害は少なくて済んだ。幸い怪我人も死人もいない。イリスとエルリオくんが駆けつけてくれたお陰でもあるね」

「いえ、俺は別に」

「エルリオさんのおかげです。さすがは魔術師です」


 否定するエルリオをよそにイリスが彼の行動に言及する。

 エルリオ自身としては、護衛対象に何かあってはいけないというのが第一。確かにこのまま被害が大きくなってもいけないとも考えてはいた。けれど、最初に思ったのは護衛の命優先だ。


 そんな話を聞いていたロゼロがひとつ、欠伸をした。

「眠いな。私は部屋に戻るよ」


 相変わらずふわふわと浮かんでドアの方に向かうロゼロ。ドアが閉まる直前に振り返り、エルリオの方へ顔を向けた。


「エルリオとやら。イリスを頼んだぞ」

「承知してます」


 エルリオの返答を受けて、フッと笑みを浮かべたロゼロの顔は、閉まるドアに遮られて見えなくなっていった。

 底の見えない人物だなとエルリオはロゼロの認識を改めた。


「エルリオくん、今日は忙しかっただろう。もう休むといいよ。イリス、こちらで用意した宿まで案内してあげて」

「はい、ヒース」


 そう言われたのがついさっき。

 夕方の雑踏の中をイリスと二人歩いている真っ最中。

 イリスとの間に昼間のような会話はない。


 ちらりとイリスの方を見ると、少し沈んだ顔をしているように見えた。もしかして迷惑をかけたと落ち込んでいるのだろうか。昼間のことを思い出して少し怒りと呆れが込み上げてきたが、ぐっと抑える。


 会話のないまま、イリスの先導にしたがって雑踏の中を進んでいく。次第に周りの人の数が減っていき、宿屋の集まる通りに入っていく。


 案内された宿はエルリオから見てもそこそこ良さそうな場所だった。仮にもこれから一緒に任務をこなす相手なのだからということだろうか。


「あ、あの……」


 宿に入ろうとして扉に手をかけると、後ろから声をかけられた。

 イリスは顔を俯けていて表情は読めない。だが、さっきまでしていた顔から言いたいことの察しはついた。


「昼間は受け止めてくださってありがとうございました。怪我をなさっていないとのことでしたが、気になってしまって……」

「ああ、ほんとに怪我なんてしてないですよ。気にしないで」


 ひらひらとイリスに見せつけるように手を振る。あの時、咄嗟に魔術で体を強化していたこともあり、本当に怪我はしていない。


「そう、ですか……」


 それを見てイリスはスカートを掴んでいた手をパッと離して、ホッとした顔をする。心配した表情から一転、気が抜けたような笑みを浮かべて。


「……お人好しだな」

「えっ?」

「何でもないです。ではおやすみなさい」


 会話を切り上げて宿へと入る。バタンと閉まったドアの向こうには、訳がわからずポカンとした表情のイリスがいることだろう。

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