5『最強の姫様草臥れる』

「ほう。これは」

 それがカルバが地に伏す女を見ての第一声だった。玉座に座るその魔属は、高級そうな仕立ての良い衣服に身を包み、雄々しく勇ましい二本の角を頭部から生やしていた。誰が見ても権威を感じさせるその男は、奇妙な――あるいは不幸な来客に視線を這わせる。

「見たところ、裕福な家の者らしいな」

 カルバがその低い声を唸らせる。女は涙に濡れる白銀の瞳をカルバに向けて叫ぶ。

「私のお父様は金を見つけて財を成した、それはそれは力を持った人なんですのよっ?! 酷いことをしたら、お父様が許しはしないのですからッ!!」

 女の気丈な叫びに、カルバは鼻を鳴らす。

「ふん……。成金の娘か。――名を何という?」

 名を問われると、女は自信あり気に瞳を輝かす。そして胸に手を当てながら高らかに名乗った。

「エリス・ポシェッツですわっ。あのの娘なのですよ!?」

 自信満々に言った女だったが、場に白々とした空気が流れる。

 カルバは寒々とした視線を女に送って呟いた。

「知らぬな。……ならば、余計な気遣いをする必要もあるまい」

 そう言ってからカルバは顎で配下たちに指示をする。女の脇に立っていた配下たちは、「ハッ!」と威勢の良い声を上げて敬礼し、左右から女の腕を掴んで無理やり立ち上がらせた。女は驚いた顔をしてカルバを見上げる。

「この者も魔王様に献上する。――娘、丁度良いところだったな。これから献上に行くところだったのだよ」

 そう言ってカルバは声を上げて笑った。女は無理やり歩かせられながら「お父様! 助けてお父様!」と叫んだが、当然助け出してくれる者など現れるはずもない。カルバは満足そうな表情を浮かべてから、玉座から立ち上がり、女の後を歩き始める。しかし、思わぬ収穫に喜ぶカルバは重要なことを知らずにいた。――そう、実は娘も声を上げて笑い出したいということに。


 ◇ ◇ ◇


「では、行って参る」

 馬三頭が繋がれた馬車の御者席で、カルバは部下にそう声をかけてから手綱で馬を叩いた。にわかに馬が動き出し、やがてカルバはマントをたなびかせながら森の一本道を走っていった。部下たちはその後ろ姿を見送りながら呟く。

「カルバ様のなんと忠義深いことか。毎回魔王様への献上品は御自おんみずからがお運びになられる」

「カルバ様はこれより魔王軍を伸し上がっていく男よ。御方おんかたについて正解だった……」

 二人のお喋りが終わる頃、馬が地を蹴る音はもう遠い。


 ◇ ◇ ◇


 荷車の中で揺れながら、メイレルはぼんやりと闇を見ていた。と、いうより、闇しか見るものはなかった。

 荷車の闇から伸びる鎖に付けられた手錠を嵌められてからカルバに荷車に入るよう命じられた時、メイレルは一見 からのように見えた荷車の闇の中でうっすらと輝いた瞳に仰天した。はっきりとその数を見て取ることは出来なかったが、荷車の中にいくらか居ればそこにいくつもの気配があることはすぐに感じ取れた。そこまで広くない車内では、すすり泣く声や絶望に嘆く声や神に祈る声が静かに反響していた。そんな声を背景にぼんやりと聞きながらメイレルは考える。

(距離を考えてもこのまま直接魔王のところに行くとは考え難いですから、まずはどこかの中継地に連れて行かれるのでしょうね……。こんな陰鬱な移動をあと何回することか……)

 そこまで考えて、メイレルはやれやれと頭を振った。闇の中では依然として絶望のメロディが奏でられている。メイレルには段々と、それが子守唄に聴こえてきた……。


 ◇ ◇ ◇


 城を出てから数時間が経ち、もはや“献上品”たちの声も枯れてきた頃、荷馬車がようやく動きを止めた。荷車の最後尾で口を半開きにして眠り耽っていたメイレルは(幸い闇がそのみっともない姿を隠していてくれたが)、扉が開いて入ってきた光で目を覚ました。メイレルの眠気眼が眩むような光が射し込むと共に、その扉は完全に開け放たれた。

 メイレルは指示され、ぼやぼやしながら車外に出る。じゃらじゃらと鎖を鳴らしながら外に出て、メイレルは目を慣らすと共に意識をしっかりと覚まそうとしたが、その前に誰かに手を引かれて無理やり歩かされる。ぼんやりと浮かぶ輪郭は恐らくカルバだ。メイレルがよたよたと歩くと、背後で誰かが荷車を降りる。メイレルが少し慣れてきた目を向ければ、メイレルと同じ鎖に繋がれた者たちが、次々と荷車を降りてきていた。容姿の良い者やガタイの良い者。職人風の者や学者風の者。みな魔王へと捧がれる運命の者。メイレルはそんな者たちに視線を向けた後、今自分が置かれた場所を見回してみる。――ここは、メイレルらと同じように鎖に繋がれた者たちがそこかしこに見られる、広い場所だった。いくつか建物が見える広場のようなこの場所を、ぐるりと高い壁が円形に囲んでいる。

 間違いなく、ここは捕まえられた人間たちが集められ、送られていく場所だ。……しかし、妙なのは……。


 メイレルは頭を振って辺りを見回す。しかし、いくらそうやっても、ここに姿が見つけられない。そう、でっぷりとした小男となにやら話し込む、“カルバ”以外は。

「なに? これで五十万ギロだと? 馬鹿言え、あの女だけでも四十万ギロはするだろう」

「いやいやカルバ殿……それは少し欲目が入っているかと。せいぜい二十五万ギロといったところでしょう」

 顔も向けられないままカルバに指差されながら、メイレルは急激に状況を理解していた。あの小男は奴隷商。そしてここは奴隷市場……それも、。理解したくもないことをメイレルはどんどんと理解していく。

(嗚呼……昇格を断ったのは単に“この場所”を離れたくないからですか……っ。自ら運ぶなんて妙だと思ったら、この“不正”を秘密にするため……っ! 部下はなにも知らないのですね……っ)



「ハアアアアアア……!」


 メイレルの盛大な溜息が漏れ出る。そんなメイレルの反応にも気付かず、カルバと奴隷商は小競り合いを続けている。人間相手に対等に駆け引きをされているなんて、恐らく“横流し”という不正をしていることの足元を見られているのだろう。しかし、そんなことはもうメイレルには関係がなかった。垂れ下げられたメイレルの両手の間が白んだと思った次の瞬間、メイレルに嵌められていた手錠は粉々に砕け散っていた。その小さな音にカルバが口論を続けながらちらりと横目で反応した後、そのまま少しの間まだ喋り続けていたが、その光景の意味がやった呑み込めたようで、言葉を呑んで驚きの表情をメイレルに向ける。そして口を開きかけたが、言葉が出る前に彼は激しい閃光とバチンと弾けるような音と共に、地面に残るただの“焦げ跡”となっていた。


 目の前に雷が落ちたような衝撃に、そして口を交わしていた者が忽然と姿を消したことに、奴隷商の表情は凍り付いて時が止まったように固まった。唖然を通り越してもはや無だ。全く状況を呑み込めない。

 そんな風に奴隷商が固まっている間に、メイレルは気怠そうに右腕を途中まで上げると、彼女のその手の前の空間が白む。そしてそれは驚くべき速度で彼女の手を離れていった。――それは“疾風”だった。風はまるで自由気ままに飛ぶ小鳥のように奴隷市場を飛ぶと、次々と捕らえられた人々の手錠を粉砕していく。

 突然のことに、奴隷たちも、また彼らに指示する奴隷商の者たちも、呆然と立ち尽くしていた。視線は自然と薄桃色のドレスへ――メイレルに集まっていた。

 メイレルは広場中の視線を釘付けにする中、その背を丸めてとぼとぼと出入り口へと歩いていた。そして片手をひらりと上げながら呟きを残す。

「あとはお好きにどうぞ……」


 その言葉が発端だった。屈強な奴隷と奴隷商の目が合うと、あっという間に暴動が始まった。土埃と共に、凄まじい喧騒が始まる。メイレルはそんな情景を背にしながら、一切背後の出来事には気を向けずに歩きながら当たり前のように出入り口である大きな金属製の扉を吹っ飛ばして、そして誰にも引き留められることなく奴隷市場を後にした。



『最強の姫様草臥れる』


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姫は魔王にさらわれにいきますの。 明暮 宙 @akekure

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