2『最強の姫様難儀する』

「嗚呼、これはちょうどいい状況ですねえ」

 シルクのように滑らかで光沢した白銀の髪を持つその姫は、眼下を見下ろしながらそう呟いた。

 切り立った崖の下では、今まさに町が燃えている。



 あちこちの建物が燃え盛り、炎の光と影の中で踊る人々は熱で顔を赤くしながら口々に叫んでいた。

「魔属だ! 魔属だッ!」

 阿鼻叫喚とはこのことだろう。人々は我先にと助かるべく駆け回るが、どこへ行けば助かるのか分からない。降りかかる火の粉に目を細めながら、とにかくここではないどこかへと足を動かす。

 そんな逃げ惑う人たちを尻目に、この町一番の往来をのしのしと歩く影があった。それは唐突に川魚を流れから掴み取るように、そばを駆けていこうとした人間の首を鷲掴みにする。息が出来ず大口を開ける男の顔をちらりと見て、その者は男をまるで泥団子でも投げつけるように壁へと叩きつけた。余りの力に男はしばし壁にへばりついてから、ずるりと地に落ちた。

「ハッハッハッ! 虫けらが生き残ろうと必死だな!!」

 道の真ん中で腹を抱えて笑い声を上げるそれは、人のような姿かたちをして人のような格好をしていたが、明白に人ではなかった。灰色の肌をした顔面には、額から獣のような小ぶりの角が二本生えている。そのぎょろりとした瞳は血に染まったように赤く、人間なら誰しもその姿を“化け物”と呼びたくなるだろう。しかし人々は“化け物”という呼び名以外に、もっと適した名前を知っている。だから叫ぶのだ。“魔属”と。


「おい、これはやりすぎだろう。上に怒られるぞ」

 ずんぐりとした熊のような巨体の魔属の後ろから、細身の者が苦言を呈す。その者の肌も一様に灰色だが、その者の額には角が生えていなかった。代わりに腰の辺りから履物を貫通して細い尾が揺れていた。どの生物にも似つかない、毛のない尾。ずんぐりとした魔属は振り返ると、声の限りで怒鳴り散らす。

「バカ言え! こいつらは裏切ったんだ!! 決まった分の上納が出来ないのなら、罰を与えるべきだろう!!」

 飛沫を飛ばされ怒鳴られた細身の魔属はやれやれと溜息を吐く。そして熱のない瞳をもう一人に向けた。

「だからやりすぎだ。町を焼き討つなんて……効率が落ちるだろう」

 その瞳に人間らしい感情は何一つない。当たり前だ。魔属なのだから。

「人間如きが魔属様に逆らうのがワリィんだよお!! 他の町への見せしめだ!!」

 そう言ってその魔属は朱く燃える町の中で両腕を広げて天を仰ぐ。辺りでは炎と煙に巻かれて人間が逃げ交う。しかしその行為に大した意味はない。何故ならばその大半が直に殺されるからだ。一人一人、捕まえられて。

 と、天に吠えていた魔属の目の前で、誰かが足を取られて転ぶ。上を見ていた魔属が顔を下ろせば、そこには“上等な”女が横たわっていた。この町には似つかわしくないドレスに身を包み、岩場の人魚のように艶めかしく腰をうねらせて両腕で上体を起こしている。地に向けていたその眼差しが、魔属に向けられる。潤んだ白銀の瞳。名匠の描いた優れた絵画のように美しきその相貌。思わず魔属はごくりと唾を呑み下した。

「嗚呼、こんなところで魔属に出くわしてしまうなんて……なんと不幸なのでしょう」

 透き通った声で女は嘆く。それはどこか演劇めいていて、今にも別の役者が次の台詞を喋り出しそうだった。しかし口を開いたのは耳障りの悪い声を持った魔属である。

「ハッ! こりゃ随分な拾い物をした! 俺ゃついてるぞ!!」


(まんまと引っ掛かりましたね……)


 そう心の中で呟いたのは白銀の美女である。魔属たちに向けている可憐な表情の裏で、彼女はほくそ笑んでいた。何故ならば思惑通りだからである。

(これで後は魔王に献上してもらえば、一気に魔王にさらわれし姫ですわ!)

 その美しい顔を歪ませて、心の中の彼女はクククと笑みをこぼす。これで目的は達成。さあ早く私を連れ去りなさい。嗚呼、もちろん丁重に。

「へへ……ッ。たっぷり可愛がってやるぜえ……この俺様がな!!」


 そこで長い沈黙。白銀の姫君は、無思考を感じさせる光のない瞳で、ずんぐりとした魔属を見上げていた。しばし魔属を見詰めた後、重く口を開く。

「魔王に献上はしませんの……?」

「あ? そんなの勿体ねーだろ。現場組の特権だよ、トッ・ケ・ン!」


 また長い沈黙。そして深い溜息。白銀の姫君は、やる気のない半開きの眼を魔属に向けた。

「あ、そうですか」

 次の瞬間、その女に右腕を向けられた魔属は消し炭になっていた。

 一瞬の閃光と熱波と共にそばに立っていたはずの仲間が消えた細身の魔属は、瞠目して女に視線を向ける。

「なっ! なにを――?!」

 だがその者が出来たのはそこまでだった。一瞬捉えることが出来た光の後、その魔属は現世とさよならした。

 姫はガックリと肩を落とす。

「ああ……なんと忠誠心が低いのでしょう……。これだから魔属は……」


 この町一番の往来で、白銀の美女は気を落とす。逃げ惑う人たちは、この町の脅威が去ったことにまだ気付かないまま。



 『最強の姫様難儀する』


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