姫は魔王にさらわれにいきますの。
明暮 宙
1『最強の姫様あらわる』
森の中を駆けていくそれは、あまりにも可憐な人影。
薄桃色の布地は、いかにも高級そうな光沢を放って木々の陰の間を揺れていく。
いくら良く晴れた青天だといえ、その格好は鬱蒼とした森の中には不釣り合いに見えた。優雅なピクニックだというのなら納得だが、その人影はけっこうな速さで移動していた。とはいえ、そこは女の足だ。しかも貴族を思わせるその可憐な容姿では、当然森を駆ける狼のような速度では移動できない。さしずめ舞踏会から逃げ出す姫君のように、追いかけられてしまえば捕まえられてしまう程度が精々だ。そして、今彼女は本当に追いかけられていた。
その薄桃色の人影から少し距離を置いて、男たちが駆け出していた。その顔にはスケベな笑みをたたえて、弄ぶ狩りのように女を囃し立てる。それはそれは下卑た声だ。すると、その声が背を押したように女は足をもつれさせ転倒してしまう。
女のそばまで来て、男たちが足を止める。汚い身なりの男たち。野盗かそこらだろう。男たちが下劣な視線を向ける先では、女がその白銀の瞳を潤ませていた。近くで見れば、その女を象徴する色はそのドレスの薄桃ではなく、その瞳と、冬の川のように腰まで流れる美しい髪の白銀だった。それはまるで宝石のように木漏れ日の中で輝いている。美しく均整の取れた顔にその色は良く似合う。闇の中ですら輝きを放ちそうなその白銀に、男たちは見惚れていた。しかし、思い出したように卑しい笑みを浮かべる。
「さあ、追いかけっこはおしまいだお嬢さん」
低くしゃがれた声。女はその瞳に涙を浮かべて、力一杯に叫ぶ。
「誰かー! 誰かー! 助けて下さいましぃー!!」
女のその叫びは懸命にあるにかかわらず、高貴な弦楽器のように美しい。しかしその演劇の役者のように整った声に答えてくれそうな存在はない。男はにやりと笑う。
「誰も来やしないさ。人里なんてずっと離れてるんだ」
男の言葉に周りの男たちもクスクス笑う。男はじっとりと絡みつくような厭な視線を女に向ける。すると女は、ついと辺りを見回した。
一瞬、男はその瞳があまりに冷たかったことにドキリとした。さっきまでの可憐な少女の瞳とは違う、理知的な大人の眼差し。女は辺りを見回すと溜息を吐く。
「ハア……。無駄骨でしたね。せっかくトロトロと逃げ回っていたのに、これじゃあ意味がありません」
呆れたような、諦めたような女の口調に、男たちは狐につままれたような表情を浮かべる。女はさっきまでは怯えていたはずなのに、今その表情には余裕しか感じられない。
「ああ? 何言ってるんだ? お前は――」
残念ながら、その言葉の続きを男が言えることはなかった。男の目の前は突如輝きだし、男たちはその光に呑み込まれ、次の瞬間起こった爆発でそれぞれ木々に吹き飛ばされていった。
森の中で、男たちはすっかり意識を失ってそこらに横たわる。そしてその傍らで、女はロンググローブに包まれた華奢な片手を突き出して動きを止めていた。ぱたりとその腕を下ろす。
「はーあ。こんな絶好のチャンスを逃すなんて、世の勇者たちはなにをしているのでしょう?」
両腕を膝の上に置いていた白銀の女は立ち上がり、スカートに付いた土を叩き落とす。
「残念で御座いました、姫様」
そんな女のそばにいつの間にか男が立っていた。黒い燕尾服を着こなすその老紳士の存在にも、女は一瞥もくれることなく驚くこともない。
「気を取り直していきましょう。やっぱり魔王です、魔王! 魔王にさらわれてこそ勇者も燃えるというものです!」
女はぐっと握りこぶしを作って天を仰ぐ。白髭の老紳士は、その落ち着いた表情のまま頷いた。
彼女の名前はメイレル・ロルフォール。魔王にさらわれる旅の途中の姫である。
1『最強の姫様あらわる』
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