#20 王竜エピグラフ

 フルッフの部屋に通じる穴は一つではない。

 ベリーとショコナがスコップで広げたように、広げれば通れるようになる穴は他にもたくさんあった。

 ベリーとショコナは通れなくとも、二人よりも小さければ、通れる人物は存在する。


 双子よりも年下の、末っ子のシレーナは、九歳だ。


 体は小さく、フルッフの扉の前から脱出するのは難しくなかった。


 滑り台のようになっている穴を滑り落ち、空中に飛び出す。

 変身はまだできないため、このまま落下するしかない。


 だが、シレーナのエゴイスタである白い球体の生物が、落下するシレーナの両手を掴む。

 外から見ると、大量の風船をパラシュート代わりに使っているように見える。


 森林街までゆっくりと滑空し、着地をする。

 ほとんどの球体が消えていく中、出たはいいがなにもしていなかった球体が、シレーナのすぐ傍を漂う。


 自然と、シレーナのポケットが開いたことによって、別の球体が姿を現す。


 合計四体がこの場に現れ、三対一で分かれた。

 多い方がシレーナを困らせるために動く球体であり、一体の方がシレーナのために動く球体である。


『お嬢っ、お嬢っ、フルッフお姉様から、記憶、奪ってきたぞ!』


「うん、しってるよ、もう全部みたよー」


『偉いか、嬉しいか、褒めろ、褒めて』


「えらいえらい。ぴーす、しゃったーちゃんす」


 首にかけている小さなカメラを使い、球体を写す。

 しれっと、そこに混ざる三体の球体がいた。

 一体の球体を押しのけ、三体がニッコリ笑顔で写っている写真が撮れた。


 ずざざー、と地面を擦って滑る球体が、怒りの形相で三体の球体に近づく。


『なにをする! お嬢がせっかく撮ってくれたのに!』

『オレたちも写りたかったんだ。押し出されたのはお前が踏ん張っていないからだろ』


『踏ん張る足がないだろ! 押されたらすぐにフレームアウトするんだよ!』

『じゃあしょうがないな。お前が悪い』

『ふざけるな、お嬢の邪魔しかしない厄介者がっ!』


 短い手が球体の頬を叩く。

 ぱちんっ、という音と共に球体の一体がくるん、と回転し、別の球体に当たった。


 二体目が衝撃で押され、三体目の球体にぶつかり、連鎖して三体目が押し出される。

 くるんと回った最初の一体の球体が、相手にやり返し、見ている分には微笑ましい喧嘩が始まった。


 本人たちは真剣なのだろうが、シレーナは思わずカメラを構える。


「みんな、しゃったーちゃんす、ぶいさいん――ぶいっ」


 四体の球体は、ぶいっ、と手を上げるが、ぶいにはなっていない気がする。

 だが、シレーナは気にしない。

 撮ったばかりの写真を見て、満足気だ。


『お嬢っ! コイツらずっとお嬢の邪魔すると思うぞ! 今の内の調教しておいた方が……』


「いいよーう。気になる子には、ちょっかいかけたいんだもんねー」


『そう言われるとよお、やりづらいよなあ』


 なあ、と三体は同調する。

 すると対立する一体が、別の理由で怒った。


『お嬢が気になる子じゃないとでも言うのか!』

『お前は面倒くさいなあ。お嬢は好きだけど、言うコトに全部従うわけじゃないって』


「みんなも自由にしてていいからね」


『お嬢! 優しすぎて心配!』


 シレーナを慕う一体が、頭を抱えてしまった。

 シレーナがその球体の頭を撫でる。


「言うことを聞いてくれる、へいし、みたいな子ばっかりでも、つまらないもん。

 だからやっかいな子がいた方が、おもしろいからいいんだよう」


『その厄介な子がたくさんいるんだよ! 八割も厄介なんだよ、お嬢!?』


「まあまあ。しゃったーちゃんす、ぶいっ」


『ぶいっ! ……って、違くて! 話を逸らさないで!』


『もうお前、お嬢に絡むなよ』

『お前らのせいだろうが!』


 わちゃわちゃと四体が喧嘩を始め、一体が集中攻撃をされている最中、地面が揺れる。

 地震かと思ったが、シレーナは、自分を覆う黒い影に、振り向いた。


 迫る姿に気づいた球体の四体が、驚いて自ら姿を消した。

 シレーナを守るという仕事を放棄したことを、戻った先で後悔する羽目になるが、シレーナは気にしていない。


 そもそも、迫る巨体は、敵ではなかった。


「きょうはその姿なの……王竜おうりゅうさん」


『人型の方がよいか? 

 あれはあれで、小さな服に無理やり体を押し込めているようで、窮屈で嫌いなのだがな。

 お前が望めば、少しの間くらいはがまんするが、どうする?』


「ひとの方がいいな。だって、大きいと、ツーショットが撮れないもん」


 カメラを掲げるシレーナに、神獣しんじゅう――王竜エピグラフが、素直に頷いた。


『それもそうか』


 人型になった王竜は、髪を長く伸ばした、成人男性だった。


 スーツのような真っ黒い格好をしており、

 シレーナのほんわかとした空気とは対照的に、常にぴりぴりと、近寄り難い雰囲気を纏っていた。


 そんな二人は今、カメラのセルフタイマー機能を使い、ツーショットを撮り終えた直後だった。

 撮ったばかりの写真を確認し、満足気に二人は頷き合う。


「――それで、おつかいはどうだった?」

「もってきたよ。頭のなかにあるから、ちょっとまってね、おもいだす」


 思い出そうとする仕草をするシレーナを、ゆっくりと待つ王竜。


 この世界を一から全てを作り出した神獣の一体とは、とても思えない。

 中でも王竜は、乱暴者で戦いを好む性格をしている。

 それが、シレーナを見ながら微笑んでいるのだ。

 

 王竜を知る者が見れば、きっとおかしくなったのだと判断するだろう。


「あったあった。いま話すね」

「いや、いい。勝手に見る」


 シレーナの額に指先をつけ、王竜はシレーナの思考を見る。


 ほんの数秒だった。

 見終えた王竜は、ご苦労、と頷いた。


「怪しまれてはいないか? お前が一人ぼっちになるのは、俺も辛いのだ」


「だいじょうぶだよ。家族みんなの写真をとっても、あそんでいるだけだって思われているから」


「だが、お前は姉や両親の部屋に忍び込んだり、監視や盗聴をして、情報を集めているではないか。

 今のところ、勘付かれてはいないだろうが……、

 ばれたら、お前はこれまで通りの生活とはいかないのではないか?」


「そうかな? みんな優しいから、許してくれると思うよ。

 それにお姉様たちのひみつを知っても、だれかにおしえたりはしてないもん」


「俺に教えているのは、いいのか?」


「んー、そっか。でも、王竜さんが勝手に見ているだけで、わたしは言ってないよ」


「よく回る口だな。こういうところは、フルッフと呼ばわれる姉の遺伝なのか……」


 だとすると、将来はシレーナも危険人物になり得るな、と王竜は密かに警戒をする。


 だとしても、今のシレーナをどうこうするのは、違うとも理解している。


 こうして関わりを持っているのだ、

 シレーナがフルッフのようにならないよう、自身が制御すればいいと思い、王竜は焼いた果実をさくっと齧った。


 焚火を挟んで向かい合う。

 王竜は木の枝に刺した、焼いた果実をシレーナに渡す。


「熱いから気をつけろ」

「あつっ、おいしっ、あつつ」

「だから気をつけろと言っただろう」


 口をもごもごさせ、熱さを和らげる。

 飲み込んだシレーナが、王竜に聞いた。


「わたしたちの様子なんて、王竜さんならかんたんに分かると思ってた。

 わたしを使わなくても、しりたいことは、わかったと思うよ?」


「俺だって万能ではない。お前らを作ったとは言え、頭の中までは分かりようもないさ。

 実際の行動、喋った内容、世界を見下ろせる俺なら、それくらいは分かるが、

 やはり己の中で封じ込めている心情などは読み解けない。

 さっきのように額に指をつけ、読むことはできるが、相手が無警戒でいてくれる保障もないしな」


「そーなんだー」


 聞いておきながら興味がなさそうに、シレーナは焼いた果実を小さな口で一生懸命に齧る。

 数分かけて食べ終わる。

 やがて、王竜の人間の姿でいることの窮屈さも、がまんの限界だった。


「王竜さん、どうするの? フルッフお姉様の頭のなかにある作戦、おしえたけど……」


「ああ、感謝する。分からないことが解けるのは気持ちがよいな。俺は満足だ」


「フルッフお姉様、ころされちゃう?」


 九歳の口からそんな言葉を出させてしまったことに、王竜は後悔をする。

 だが、否定をすると、ほとんどが嘘になってしまうとも、理解していた。


 しかし人を傷つけないための、優しい嘘もあるのだと、己を正当化する。


 王竜は人である姿を、元の竜の姿に変えた。

 そして去り際に、シレーナを安心させる。


『そんなことはない。俺は嘘をつかないのだ。殺しはしない』


 それを聞き、シレーナは顔をほころばせる。

 じゃーね、と手を振るシレーナに頷き、王竜は空高く飛び上がった。



 雲を突き抜けた先、周囲が暗くなってきたところで、動きを止める。


『生意気な女だ……』


 シレーナではない。

 王竜は、シレーナを、誰よりも気に入っている。


『貴様は、神獣さえも喰らおうと言うのか……』


 王竜は吠えた。

 怒りを放出させても、やがて内側から湧き上がってくる。


 赤と黒が混じり合った巨体の怒号が、世界を揺らす。


『さて――潰すとしよう』


 出過ぎた杭は、根元から刈り取られる運命にある。

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