第16話 星空のような瞳

 魔導師。それは三大魔導を使いこなし、それらの高等魔導まで扱えるほどの知識と魔力を保有し、魔導の頂ともいえる高等白魔導までも自在に操る存在。多少魔導に覚えある者達が師と仰ぐ先達せんだちの魔導士の許、何年も、時には何十年も厳しい修業を積み、そしてやっと手に入れる事ができる称号。その道程は険しく、悟りの境地まで至る人間はそう多くはない。


 ルハナはスバキがその一人ではないかと考えていた。だが同時にそうで無ければよいと心の中で祈っていた。


 万能薬を使い切ったところで、ルハナはスバキの治った左手を強く握り、彼女の眼を挑むように覗き込む。色味の濃いゴーグルの奥に隠された彼女の目もまた、ルハナを真っ直ぐ見詰め返す。しかしルハナの緊張した表情とは裏腹にスバキは小さく笑い、空いている右手を空へ突き上げた。彼女の芝居がかった声で平地は一瞬のうちに舞台と化す。


「いかにも! 我こそが地を駆ける猪の猛進を食い止め、空を統べるドラゴンをも地に引きずり落とす大魔導師スバキである!」


 あっけに取られているルハナの前に大袈裟な身振りで天を仰いでいた手を、今度は差し出す。指先が彼を踊りに誘う如く優雅さで手招きしている。


「汝、我の教えを乞う者か?」


 スバキの茶番に対してルハナはしかし、困惑気味に数回目を瞬かせるだけで何も言わない。あまりに予想外な彼女の返事に言葉を失ってしまったのだろう。二人の間に流れる気まずい沈黙を破ったのは、例のごとくスバキの方である。


「……まさかの無反応? え? そんなに面白くなかった? 自分で言うのも何だけど結構不遜な魔導師っぽかったと思うんだけど。珍しく騎士君が冗談言うから全力で乗ってあげたのに……」


 最後は文句を言うかのようにスバキは口を尖らせる。ルハナが握っていた彼女の左手も彼が呆けている間に回収され、スバキは掌を開いたり握ったりと万能薬の効果を確認する。スバキの反応に困惑していたルハナは持ち直し、何とか言い返す。


「私は冗談など申していません。本気で訊いています」


 スバキはルハナを見上げ、こてりと首を傾げた。ルハナは質問を変えながら彼女に再び尋ねる。


「何故白の魔導しか使えないという嘘を吐いたかは分かりませんが、本当は紅、蒼、翠、三色全てが使えるのではないですか?」


 スバキは何も言い返さない。深緑色のゴーグルで表情が読みにくいが、ルハナの目にはスバキからは一切の動揺が映らず、その事実が逆に彼を焦らせた。何故すぐに弁解しないのか。まさか彼女が、ルハナが探している魔導師なのか。少し離れた場所で宙にふよふよと浮いている彼女の武器を指し、彼は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。


「その武器は魔石を飛ばし、そして手元に呼び戻せるのでしょう? 飛ばすには紅の魔導、手元に戻す為に翠の魔導が必要かと。そして玉が時折不自然な軌道を辿っていたのを鑑みると、蒼の魔導も使われていたのではありませんか? それに火炎の陣。ドラゴンが倒され、陣が消える前。スバキ殿の周りで確かに一瞬陣の動きが鈍りました。あれは高等白魔導で押し返したのではありませんか?」


 ルハナが自身の胸の中に膨らむ疑惑を吐露しながらも、頭の隅でスバキに否定してほしいという思いがあった。窮地を救ってくれた恩だろうか。彼女の優美とも言える戦い方に惚れたのか。それともルハナの意思を尊重してくれた心配りに動かされたのか。それでも拳を握りしめながらルハナはスバキを詰める。


「今の棒が浮いている状態だってそうです。これも重力と紅の魔導が均衡した状態ではないですか?」


 恩があろうが、ルハナは自身の目的を見誤らない。ギリッと奥歯を鳴らし、焦りを噛み殺すような低い声で問い質す。


「何よりも最後のあの技。スバキ殿がドラゴンの口の中で発動したのは、」


 ルハナがスバキを魔導師と疑う最大の根拠は、彼女が雌のドラゴンを倒した方法である。


 雌のドラゴンは確かにあの時、火を吹こうとしていた。濃い魔力が喉奥に渦巻く様子をルハナは己の目で見たのだ。そして空気を肺一杯に取り込み、吐いた、筈だった。


 しかし炎は現れず、逆に雌のドラゴンは致命傷を負い、墜落した。内臓を焼かれるという致命傷によって。


 それはつまり、肺からの空気がドラゴンの紅の魔力と混ざった後、口から外に吐き出されず、食道を逆流し、引火したという事だ。いくら大型モンスターのドラゴンでも内蔵までは魔力で守れない。


 では紅の魔力を含んだ炎を防げる魔導とは何か。ある程度強度のある蒼の魔導であれば、吸収できるであろう。同等の紅の魔導を使えば相殺できる。


 だが跳ね返すとなると、それは紅でも蒼の魔導でもない。


「高等白魔導の障壁ではありませんか?」


 それ以外、ルハナには考えられなかった。


 三大魔導を三色全て使える人間は特段珍しいものではない。しかし紅のドラゴンの炎を弾き返すだけの強度を持った白魔導の障壁。これは高等白魔導。魔導師の領域だ。


 そしてルハナが一年前に騎士を辞めてまでローカスト国を訪れた理由。それは自国で耳にしたとある計画を阻止する為である。多くが謎のままの計画だが、鍵を握っているのが魔導師だと分かっている。故にルハナは同志と共にホッパーの町を拠点とする強い魔導師の動向を追い、怪しい動きが無いか観察してきた。しかし自らが魔導師であると公言しなかったのはスバキが初めてである。今までのどの対象よりも疑わしい動きと言える。


 スバキを見詰めながら、ルハナは自分の腰の大剣に意識がいく。必要とあらば己の手でその魔導師を討ち果たす腹積もりであるのだ。その為に規律に縛られる騎士を辞めたのだから。


 一人覚悟を決めるルハナにスバキは一言、成程と、どこか納得するように頷いた。


「誤解の根源はそこか。だけど騎士君、あんた私を買い被り過ぎだ。私は魔導師じゃないし、さっき言ったように白魔導しか使えない」


 真っ向から否定され、ルハナは面喰う。こんなにもスバキが三大魔導を使った証拠を並び立ててどう違うというのか。同時に少しばかしの安堵が胸に灯ったのを敢えてルハナは無視する。だが、と言い募る彼をスバキはどぉどぉと両手で制す。


「ただ私の魔力量は決して少なくない。だから満ち引きの白だけで魔石を飛ばしたり、手元に引き寄せたりもできるし、棒を浮かす事も、自分の体ごと飛ばす事もできる」


 治ったばかりの左手を胸の前で斜め上方向に滑らせ、先程の発射された自分の様子を手振りで再現する。


「なんだったら高等白魔導の真似事の障壁モドキも作れるのさ」


 軽やかに語るスバキの言葉はしかし、ルハナはにわかには信じられなかった。理論上彼女の言っている事は可能である。白魔導は物を引き寄せたり、逆に弾き飛ばす事ができる。なので初等白魔導でも球状の魔石を先程のスバキのように操ったり、棒先を地面と反発させ自分ごと跳ぶことも原理としては成立する。だがそれを常人では林檎一つや二つを操るのが精いっぱいである初等白魔導でやってのけるには、相当の魔力量が必要である。


 確かに、魔力の保有量は訓練で色を問わず増やせる。しかし白の魔力はその性質上、色付きの魔導で訓練するよりも何倍にも伸びが悪い。故に初等の白魔導のみでドラゴンを怯ませるだけの威力を持った攻撃を繰り出すのは、机上の空論と言って過言でない。


 ルハナの顔にもその疑いがありありと書かれている。口には出さないものの、眉間にしわを寄せていかにもな不満顔である。いつもならば冷静と評される彼も、今日ばかしは見る影もない。


 スバキはルハナの素直な反応にまたもや吹き出す。


「本当にもう、騎士君は……じゃぁ特別に。顔にも出てる疑問に答えてしんぜよう!」


 先程ルハナも指していた地面と垂直に立った状態で浮いている棒をスバキは顎で示す。


「騎士君は棒を紅の魔導で浮かせているって言ってたけど、これも白魔導。それも初等のね。色も無ければ、陣も無いよ」


 高等魔導の使用時は陣が現れる。確かに目の前の棒の周りに陣は見当たらない。スバキはつらつらと説明を続ける。


「で。白魔導で何してるかっていうと拠点近くにほっぽってきた自分の荷物を呼び寄せてる最中なのさ。鞄の方にも細工があって、邪魔がなければここまで辿り着くって寸法なんだけど……まぁ、飛文とびふみの応用、というよりも単に強化版だね」


 魔導の色、調べても良いよとスバキはルハナを促す。相変わらず怪訝そうな表情だが、スバキの許可も得たルハナは空中に留まっている棒に近づき掌を翳した。


 棒は確かに強い魔力を発しているようだった。試しにとルハナは自身の指先から微量の引きの白の魔力を滲ませる。するりとその魔力は糸のように棒を取り巻く魔力に絡めとられた。スバキの言った通り、棒に施されているのは白の魔導のようだ。


「ね。ちょっと強めの白でしょ?」


 驚きを隠せないルハナに、横合いからスバキは声を掛ける。


「そもそも、私が魔導師ならドラゴンはもっと簡単に倒せたね。紅の魔導があればあいつの口ん中で作った障壁モドキの向こう側に手ぇ突っ込んで着火器使う必要も無かったし、翠の魔導使えたら万能薬なんて高級品に頼る必要もないしさ。仕留めたから良かったものの、失敗していたら万能薬一本に着火器一個がおじゃんでとんだ赤字だよ」


 失敗していれば着火器どころではなく、命が危なかったと言えるが、スバキの言い分は概ねその通りなのである。彼女の左手に集約されていた火傷は、その手が間違いなく引火したドラゴンの紅の魔力に触れた証拠である。くっきりと左手首で焼きただれた皮膚と健全の皮膚が区切られていた様子から、恐らく彼女はドラゴンの魔力が外に漏れ出ないように口の中で障壁を張った後、その溜まった魔力を引火する為に障壁の向こう側に手を伸ばし、着火器でドラゴンの魔力を引火したのだろう。


 だが魔導師であれば、そのひと手間も必要ない。紅の魔導で作った火種を障壁の向こう側に送り込めばよい。加えて魔導師であれば翠の魔導で火傷を直すのも朝飯前と言えよう。


 スバキの言う通り、彼女は白の魔導しか使えないのかもしれない。だとすれば常識外れな魔力量と威力を持っていることとなるが、一応話の筋は通る。要らぬ嫌疑をかけたとやっと自覚したルハナは一度口を引き結んでから、素直に謝罪の言葉を口にする。


「……スバキ殿。疑って申し訳ない。どうかこのご無礼をお許し、」

「いや! 許さないね!」


 反省の色で翳っていたルハナの表情は、スバキの間髪入れずに発せられた返事に一層曇る。思わず、俯く。


 確かにホーネット帝国の騎士を辞めたルハナだが、騎士道まで捨てたつもりはなかった。だが今回の彼の言動はどうだ。助けてもらったというのに一方的に疑い、言い掛かりをつけたのだ。いくら目的の為とは言え、浅慮な行いではなかろうか。自分の言動を深く自省するルハナの前にスバキが歩み寄る。その気配を察知しながらも、ルハナは首を垂れたまま、続くだろう罵声か顔面への一発を甘んじて受けようと目を瞑る。だがスバキの発した声は明るかった。


「これはメシの一つや二つ、奢ってもらわにゃ許せん所業だね」


 弾かれたようにルハナはスバキの顔を見る。楽しそうに細められた目がルハナを真っ直ぐ見詰め返してきた。


 ゴーグルが外され、露わになったスバキの瞳は真夜中の星空の様であった。闇夜より深い青の中、輝く砂塵でも閉じ込められているのか、日の光の中でもきらりきらりと繊細な光が舞う。それはルハナには今迄見てきたどんな宝石よりも綺麗で、魅力的に思えた。思わず目を瞠り、引き込まれるように覗き込んでしまう。


 無論、と発した自身の一言もルハナにとっては遠くのものに感じる。頭の隅で理性が疑問の声を上げるも、堪らなくスバキの瞳に魅入ってしまっているルハナは目が離せない。


 不躾ともとれるルハナの凝視にスバキは特に気分を害した様子は無かった。そればかりかどこか満足気に、真面目か、と満面の笑みを返した。

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