第17話 一夜限りの夢

「お。来たかな?」


 スバキは森の方へ視線を移す。ルハナも彼女の言葉にはっとし、顔を上げる。


 視線をスバキから外したルハナは沸々と胸の中で恥が湧くのを感じていた。変わった瞳の色だったとは言え、食い入るように女性の瞳を見るのは礼を欠いた行動。いつものルハナならば決してそんな無礼を働かなかったであろう。当のスバキは気にした素振りを見せず、森を指差した。


 ルハナ達がドラゴンを引き連れて抜け出した森の木々の間を縫うように、何かの影が移動している。樹木が密集している一帯を抜けるとその正体ははっきりと目にすることができる。棒と同様に地面から少し浮いた状態の大きな鞄。間違いなく試験中にスバキが背負っていたものだ。障害物が無くなった途端、鞄は移動速度を上げながら真っ直ぐスバキ達の許へ飛んでくる。飛文とびふみのような軽い紙切れ一枚ではなく、かなりの重量がありそうな鞄である。それを初等白魔導でやってのけてしまっていると知っているルハナの目には、必要な魔力の強さと相まって異様な光景に見える。


 鞄はあっという間にルハナ達との距離を詰め、やや近づいてきたところで失速し、棒の側でピタリと動きを止めた。魔導の効力が無くなったそれらはぐらりと揺らぎ、そのまま地面に落ちるかと思われた。だがその前にスバキがひょいと抱え直す。武器は背負い、鞄の中に片手を突っ込む彼女は、つばのある帽子を深くかぶり直した後であった。ガサゴソと鞄の中身を物色しながら彼女はルハナに声を掛ける。


飛文とびふみ用の紙がある筈だけど、組合にドラゴン倒したこと報告する?」


 星空のような瞳が隠されたことに内心残念に思ってしまったルハナは己の邪念を振り払い、努めて冷静に返事をする。


「あぁ、是非そうさせていただきたい。既に応援はこちらに向かっている可能性が高いですが、組合から解体班を派遣してもらった方が素材も余すところなく使えるでしょう。スバキ殿もそれで良いでしょうか?」


 多少費用はかかるが解体班にドラゴンの解体、素材の査定と運搬を頼んでも町からの近さに加え、ドラゴンからとれる素材の価値を考えれば充分過ぎる黒字である。鮮度も考慮すれば血までも買い取ってもらえる、正しく金のなる木だ。ちまちまとルハナ達の手で解体するよりも効率が良いだろう。


「賛成。じゃぁ、雄のドラゴンが騎士君の取り分で、こっちの雌のドラゴンが私の分って事で良い?」

「いや、スバキ殿の取り分をもう少し多くするべきです。囮役を買って出ていただけなければ、私一人では仕留められなかったでしょうし……」


 お目当てのものは鞄の底から見つかったのか、スバキは肩まで突っ込んでいる片手を荷崩れせぬようにゆっくりと鞄から引き抜いている。


「アハハ! 騎士君なら言いかねないと思ったけど本当に言うとはね。別に良いよ。ドラゴン何分の一とか計算するの面倒だし、私一人だってドラゴン二匹を難しかっただろうし。何より九級狩人の私が上級狩人を差し置いて報酬が多いのは、悪目立ちしちゃうし」


 ルハナに飛文とびふみ用の紙と筆を渡すスバキに、彼は正直に意見する。


「悪目立ちかどうかは私には判断できませんが、少なくともドラゴンを討伐した時点でスバキ殿は狩人組合の注目の的だと思います」


 結局鞄の中身は崩れてしまったのか、手を再び突っ込んで内容物を整えているスバキがルハナの言葉に対してケラケラと笑う。そりゃ困ったなぁと口にはしているものの、その様子はまるで困ったようではない。それでも取り分については譲る気はないのか、食い下がるルハナにとっとと飛文とびふみを書いてしまえ、と促す。


 渋々とルハナはドラゴンが実は番であった事、だが二頭とも無事討伐できた事、一頭をルハナの取り分とし、もう一頭をスバキのものとし、二頭分の解体の為に解体班の派遣を依頼する旨を書き、スバキに内容を確認して署名してもらうと自身の名も記して町の方へと紙飛行機として放つ。一直線にすぃーと飛んでいく文を二人で見送っていたら、スバキはルハナに問いかける。


「で? 騎士君がそんなにも必死になって探している魔導士ってどんな人なのさ?」

「いえ、特定の魔導士という訳ではないのですがマンティス王国の魔導士を……」


 モンスター討伐の報告も終え、少し気を抜いていたということもあったのだろう。自然と質問に答え掛けたところでルハナは口を噤む。


 ルハナの緩んでいた気は一気に引き締まり、自身の言葉を頭の中で反芻する。少し口を滑らせてしまったようだが、大きな支障が出る程ではない事を確認する。どうにもスバキを前にしていると、いつもより口が軽くなったようにルハナには思え、心の中で己を律した。もしかしたら彼女に対してドラゴン討伐のことで、少なからず恩義を感じているのかもしれない。


 急に黙り込むルハナの様子を暫く観察していたスバキは何か閃いたのか、ははぁと声を上げる。そのまま自分より背の高いルハナの肩に手を伸ばし、ぽんと軽く叩いた。


「いやはや、真面目そうな騎士君もやっぱり男だったってことだね」


 スバキの言葉の意味が分からず、ルハナは首を傾げる。下から覗き込むようなスバキはいたずらを仕掛ける子供のような笑みを浮かべている。


「まぁマンティス王国の魔導士ってかなりの美女揃いっていうからね。オチカヅキになりたいっていう騎士君の想い、分からなくは無いよ」


 ポンポンと続けざまに二度肩を叩くスバキ。


 一拍の沈黙が場を支配する。次第にスバキの言葉の意味を理解したルハナの耳はじわりと赤みを増していく。羞恥が沸点を超えたのか、己を律したばかりだと言うのに彼は思わず大声を出す。


「違う! 私はっ……! 私は決してそういう邪な意図ではなく!」

「あやや、これは失敬失敬」


 両手を上げて、スバキは軽い謝罪の言葉を口にする。果たして本当に悪いと思っているのかどうか怪しい程の軽い態度である。それでも一応は理解を示したスバキの言葉にルハナは胸を撫で下ろした。彼が油断しきったところですかさずスバキは次なる攻撃を仕掛ける。


「一夜限りの夢の方をご所望でしたか、騎士君は!」


 耳のみならず顔全体が茹りあがった蛸の様になるルハナに、硬派そうな顔してやるねぇとスバキが追い打ちをかける。間違いなく彼女はその状況を楽しんでいた。


「誓って! 違います!」


 ルハナの悲痛とも言える弁明は、豪快に笑うスバキの笑い声と共に草原に木霊した。

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