第6話 不況の中で



 張雲峰様

先月は、マヨネーズとカレーのルー、それに婦人服のサンプルを数着お送りしましたけど、いかがでしたでしょうか。まだ返事をいただいておりません。ご意見をお聞かせください。

尚、今月は歯間ブラシのサンプルを送らせていただくつもりです。これは歯の間に挟まった食べ物のカスをとるための道具で、日本では今大変人気があり、多くの人々が愛用しております。中国でも、これからはもっと歯の手入れに対する関心も高まり、人気が出るのではないでしょうか。

是非輸入をご検討ください。

             浅井達夫


その頃、私は中国の張さんに様々な日本の商品をサンプルとして送りつけていた。

急成長を続けていた中国の経済市場で、何か人々に好まれる日本の商品はないか、もしそれを見つけられれば、私はまた「ヨッ、社長さん!」と、羨望の眼差しを向けられる身分に返り咲けるのではないか、と甘い幻想を抱いていたのだ。

しかし、所詮私のような小店主が、張さんのような大きな企業に相手にされるはずもなかった。

段通の注文はほとんどせずに、むやみやたらに商品を売ろうとする私に、張さんも困惑していたに相違なかった。

その頃は中国の物価もまだまだ安く、近年の爆買いのように、中国の人々が日本製品に飛びつくようになるには、まだまだ時期尚早だったのだ。


いよいよ貧しさが身に染みる季節がやってきた。開店してから4年以上が過ぎ、その間子供も生まれたが、それは嬉しい反面、私の不安を助長した。

開けっ放しの店の入口からはいよいよ木枯らしが吹き込み、凍えながら、殆どの時間をレジの後ろに座って過ごす1日が終わって店を閉めると、私はいつも鼻水を拭き拭き、うなだれて、ポケットの中の僅かな売り上げ金を握りしめながら、住宅街の路地をとぼとぼと家へ向かうのだ。

20分ほど冷たい夜風に吹かれながら歩いて、築40年のアパートの前まで来ると、深呼吸をし、笑顔をつくる。

「ただいま」

と、笑顔がひきつらないように気をつけながら中へ入ると、

「あら、パパおかえりなさい。たっくん、パパだよ、ほうら、パパ帰ってきたよ」

と、妻とたっくんが迎えてくれる。たっくんも、もう生まれて半年。

「ほうら、だっこしてあげよう。きょうは何したの?楽しかった?」

と、たっくんを抱き上げて語りかけながら、ああ、この子は、オレとオレの家族の将来は一体どうなるんだ、と思い、たっくんをだっこしたまま妻に背を向けると、つい視界がうるみ、鼻水がでてくるのだった。

ちらと食卓に目を移すと、サンマの塩焼きとたくあん、それに味噌汁といかにも安そうなミカンが置いてある。妻もやりくりに苦労しながら、あえて私に文句を言うまいとしているのだろう。

妻は分かっていたのかもしれない。もう、私はどうにもならない状況にあるのだということを。もし店をたたんで仕事を探すとしても、改装した店を大家さんに返すために元の状態に戻すだけでも随分お金がかかるのだ。しかも抱え込んでしまった150万円分もの在庫は、一体どう処分すればいいのだろう。

その時、テレビでは、その頃人気があったJリーグの試合を放送していた。サポーターとかいう人たちが客席を埋め尽くし、大きな旗が振られ、紙吹雪が舞い、ああ、なんて華やかなんだろう、こんなに沢山の人から、1人1円ずつでも貰えたら、ずいぶん優雅な生活ができるだろうに・・・。

私は、たまには店を休んで、どこかに小旅行でも行こうかなどとどれほど言いたかったかしれないけど、言えなかった。妻と子に何かしてやりたい。せめて1度くらい、温泉にでも連れて行ってやりたい。そう思っても、そんなお金などあるはずもなく、むしろ今行ったら、何だか一家心中に行くような気分になりそうな気がし、それも一家心中ならまだしも、私のような気弱な人間は、妻と子だけ死なせて、自分だけ死ねずに生き残りそうな気がして、それももっと悲惨だなあと思うのだ。

「そのうち、良くなるわよ」

妻が、そう言った。その、妻の言葉だけが支えだった。

親子3人、川の字になって、なんの会話もないまま、静かに布団に入った。心の中で、何度も妻に謝りながら。


店の大家さんから慌てふためいた電話が入ったのは、その晩遅く、というより、明け方に近い頃だった。

その頃は携帯電話などないから、家の電話のベルで目を覚まし、今頃なんだろうと不審に思いながら受話器をとると、

「あ、浅井さん、あんた、ティエンダが、店が燃えてる!」

大家さんの声だ。

「えっ?どういう事?」

「2階から火が出た!早く、とにかく早く来て!」

妻も何事かとあわてて起きてきた。

「どうしたの?」

「いや、まだ分からない」

私はズボンを履き、パジャマの上からセーターとコートを羽織ると、家を飛び出し、一目散に店へ走った。

およそ、4、5分走り続けると、ようやく明け始めた空に、遠くから、灰色に濁った煙が立ち昇るのが見えてきたのだ。

『燃えてる!』

私は全身から血の気が引いていくのを感じた。やっと店の前に辿り着くと、何台もの消防車が消火に当たり、時折、煙に混ざって黄色い炎が2階の窓からちらちらと見えた。

「あっ、大家さん」

「あっ、浅井さん、大変だよ、こりゃ!2階だよ、2階。あんたの店も、こりゃもうめちゃくちゃだよ」

私の店の真上の2階が燃え、床が落ちて、私の店の中も灰と水でいっぱいになっているようだった。私はどうする術もなく、ただ呆然と、その様子を眺めているしかなかった。


間もなく火は消え、あたりがすっかり明るくなった頃、消火活動を終えた消防士たちの慌ただしい現場検証が始まった。いつの間にか警察のパトロールカーも何台か来ていて、刑事らしき人たちが、店の中に入り、写真を撮ったり、何やらあれこれ調べまわっている。

「2階に住んでいる方はどうしたんですか?」

1人の消防士が大家さんに聞く。

「いや、2階の人は学生でさ、学校が休みに入ったってんで、昨夜田舎に帰ったばかりだよ。一体何が原因なのかね」

「いや、今調べてますので」

私は自分の店の中に入ってみる。段通も、小物、置き物、布製品も、全て水浸しになって、あちらこちらに散乱し、灰と火の粉によると思われる無残な焦げ跡が、壁と床のあらゆるところに見受けられ、南スペインは見る影もなかった。

ただ店の中に佇んで、ぼんやりと自分の苦闘が残骸と化したその光景を見ていると、

「2階の人、こたつの火をつけっぱなしにしてたんじゃないですかね」

と話す消防士の声が、大きな穴の空いた天井の上から聞こえてきた。

「こたつだな」

「うん、こたつだよ、こりゃ」

そう、話していた。


と、突然私の視界から残骸の光景が消えたかと思うと、珍しく頭脳が明晰に回転し、様々な商品の原価や、その在庫数、内装や棚などの備品の価格が一瞬の間に脳裏を駆け巡った。

『全部で保険金が400万、どんなに少なく見積もっても350万は入る。それで店を綺麗にして大家さんに返して、商品は全て破棄して・・・』

落胆と希望の混ざった複雑な気持ちになり、急に意識が朦朧として、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。

『そして最初から出直そう。肉体労働でも何でもいいじゃないか。妻と子のために、ちゃんと1から出直そう』

ぼんやり、そう考えていた。


                 へんてこりん店主(完)

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へんてこりん店主 レネ @asamurakamei

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