第19話 戦場
「……エバン」
どこか遠くから呼びかけられているような声が聞こえた気がした。
「エバン……エバン!」
懐かしい声。
優しい声。
いつも自分を支えてくれる、寄り添ってくれる声。
「エバン、起きて……!」
そんなあたたかな声に何を返してあげられるのだろう、といつも考えてしまう。
どうしたらその心に感謝を伝え切れるのか──
「エバン!」
「……リン……ディ?」
目を開くと潤んだ瞳の幼なじみの顔が視界に飛び込んできた。
「よかった……よかったわ。目が覚めて……」
しゃくり上げて今にもこぼれ落ちそうな涙を、そっと指で拭ってやる。
いつもより緩慢な動きだが、動かせないほど疲弊はしていなかった。
「リンディも、よかった。正気に戻って」
「ごめんなさい。私、エバンに剣を向けたわ」
「気にしなくていい。あれはリンディの意思じゃないんだから。それに──信じてくれただろ?」
カンザの思惑を断ち切る事を。
こうして無事に目覚める事を。
「ええ、そうね。私、初めて会った時からあなたを信じているもの」
目を見開くと、リンディはエバンの手を自身の熱を持つ頬に添えて、柔らかく微笑んだ。
緑と赤の瞳が見つめ合う。
ぬくもりと柔らかさに返す言葉も見つからず、手のひらを通して鼓動が伝わってしまうのではないかと心配してしまった。
「あー。いい雰囲気の所悪いんだけど、今はそれどころじゃないって事思い出してほしいね」
突然割って入ってきた声に現実に引き戻される。
リンディに支えられながら体を起こすと、部屋の入り口から外の様子をそっと伺っているレウナの背中が見えた。
「体の方は大丈夫かい?」
「ち、ちょっとだるいけど、なんとか。えっと……今の状況は……?」
視線を巡らせると、偽女神が居た部屋に仲間が揃っているのが確認できた。
という事は、今のやり取りも全員に見られていたのだ。今更ながら体中から火が上がりそうだった。完全に二人きりの世界に入っていた。
「部屋が金色に光った瞬間に戸が破られたんだ。それで魔物たちが一気になだれ込んで来て……でも、偽女神が消えたからか、一瞬あいつら動きが止まったんだ。その隙にこの部屋に逃げ込んだってところだな」
ゼノが気絶している間の情報を伝えてくれる。物音が続いている事から、魔物たちの脱走はまだ終わっていないと察せられた。
「偽女神が消えた跡にはこれが落ちていた」
振り返ると、カイトスが銀色の長い杖を持って見せた。先端には折り畳まれた翼のような装飾が施されている。
「ボイドの心から聞き出した、女神を造る媒体にされた一つ……国王陛下の神器ですね?」
「おそらく。そしてこれがもう一つ」
リンディの言葉に頷き、人工泉に向かい合っていたロイルが立ち上がる。その手には拳大の小さな青白い光が浮かんでいた。
「精霊シリウス。今は力が弱まってこんな姿になってしまっているけど……。再び利用されないように僕と契約してもらったよ。回復したら力を貸してもらえるって」
「そうか……よかった」
シリウスはロイルの周りをぐるっと旋回してから翠樹の中へ吸い込まれていった。その様子を見てエバンは胸を撫で下ろした。
「偽女神はもう居ない。……あとは」
「魔物の大群は大方外へ向かっただろうが、俺たちが進んできた内部の方へも散っている可能性がある。まずそれを片付けるのが優先だ」
いつの間にか魔物の足音は遠ざかっていた。行動を決めかねているエバンにカイトスが指示を出す。
操られていた兵士も、目覚めたら魔物に囲まれていたとあってはひとたまりもないだろう。誰からも異論は出なかった。
「それからこれを兄さんの仲間へ渡さないと。陛下も正気に戻られているだろうし……」
銀の杖を受け取ったロイルが言う。
国中に混乱を招いた者は、国王に罰せられるべきだ。
「魔物を倒して、カンザとボイドを捕まえる。それでいいよな?」
仲間はそれぞれに短く応え、頷いた。
「カンザは私の心を読む能力を奪っているわ。出会ったら十分気をつけて」
リンディの忠告にエバンも頷きを返し、金聖を拾い上げる。
「……行こう!」
*
砦内は混乱の只中であった。
正気を取り戻した兵士たちは、何があったのか自身の記憶をたどるよりも先に、外からも内からも魔物に攻め入られたのだ。
「どうしてこんな事に!」
「カンザ司令官は!?」
「とにかく魔物を倒せ!内部を優先に、外は門が壊されないよう弓矢隊が牽制しろ!」
司令塔が不在のシリウス隊だが、最高位の次に当たる隊長が騒ぎ立てる部下に指示を飛ばした。
「オリトン国一のシリウス砦が魔物に陥落させられるなど言語道断!他国へ付け入れられる口実を与える事になるぞ!」
檄を飛ばしつつ己も剣を振るう。
しかし、建物内で魔物と戦った経験など誰一人もない。狭い空間で陣形も作れない。当然苦戦を強いられた。
「隊長!」
呼びかけられて振り向く。目の前に専念するあまり、接近していた他の魔物に気付くのが遅れた。
まずい、と思った時には遅かった。後ろ足で立ち上がった魔物の爪が襲いかかってくる。
かろうじて身を低くするも、致命的な攻撃を食らう事は必須──
「走れ、蒼槍!」
の、はずだった。
突然、蒼い衝撃波が言葉通り隊長の上を駆け抜けた。そしてあんなにも手こずっていた魔物を一撃で仕留めてしまう。
「俺たちも手伝います!」
唖然として体を起こすと、数名の兵士と見知らぬ少年少女が砦の最奥から現れた。各自様々な色を帯びた武器を手にしている。
「君たちは、一体……」
「突然すみません。今は時間がないので事情は後回しにしてください」
丁寧な言葉遣いの少女がそう言って頭を下げた。
猫の手も借りたい緊急事態だ。敵対するつもりもないように見える。ならば、と隊長は「助太刀感謝する」と感謝を伝えた。
「よし。まず中の魔物たちを倒そう!」
かくして、魔物の大群とエバンらの戦いが始まった。一体どれほどの魔物を隠し持っていたのか、シリウス兵たちと共闘しても一向に数が減らない。
さらに、閉じ込められ、自分の意思すら奪われていた魔物は、全てのものに激昂している。自由な事が当たり前だった魔物たちは、辺りの人間や物に当たり散らして暴れ続けた。
魔物を放った当人の行方はわからない。ただ目の前の魔物を確実に倒していくしかなかった。
「これ以上砦に魔物を近づけるな!何としても食い止めろ」
呈黒天を振りかざしながらカイトスが叫ぶ。
舞台は野外へ移っていた。砦内の魔物は粗方片付き、後方から援護射撃をしてもらいつつ外の魔物と対峙しているのだ。
「謳え翠樹!切り裂け、ドゥーべ!」
ロイルの呼びかけで熊のような召喚獣が戦場を駆け回る。
翠樹を両手で掲げるその横顔には汗が浮かび始めていた。
「くそ、キリがねぇぞ!!」
「情けない事言うんじゃないよ!口より手を動かしな!」
肩で息をしつつ、ゼノとレウナは声を掛け合った。そうでもしないと気が滅入りそうなのだ。
一方でエバンは詠唱するリンディに魔物を寄せ付けまいと立ち振る舞っていた。
「さすがに数が多すぎるな……」
「ええ。でも、偽女神を消した後でよかったわ。闇雲に襲ってくるだけだもの。もし操られている場合だったら……考えたくもないわ」
統一性のある兵士のような戦い方をする魔物など、想像を絶するものだ。そうなれば、今のように一丸となって立ち向かえていなかっただろう。
誰もが必死に応戦している内に、戦場に斧を持つ人影が乱入してきていた。近寄る魔物をひと振りで蹴散らし、確実にエバンらを目指して歩いてくる。
エバンが異変を感じ取った時、その人影は顔が確認できるほど近くにいた。
「おまえらの相手は、俺だ……!」
「……おまえは!」
不敵な笑みを張り付けながら、カンザは紫色の斧を振り上げた。そのまま力一杯地面へ叩き付けると、地震のように大地が揺れ、周囲に地割れが広がった。
エバンはその場から飛び離れ、カンザから距離を置く。
「その、武器は……」
「ふん。見ての通り、神器『
髭を蓄えた顔がにやりと歪む。
カンザの右手にあるのは毒々しいまでの紫に染まった斧だ。同じ神器だというのに、全く神聖な雰囲気を感じられない。むしろ真逆の存在にさえ見える。
「私の力を利用して神器の名前を引き出したのね。なんてひどい。本来の姿はそんな禍々しいものじゃないはずだわ……」
神器にさえ痛ましい眼差しを向けるリンディに、カンザは反吐が出るとでも言いたそうな顔をした。
「貴様も、魔物どもも操られていないらしいが……一体何をした?」
その言葉に、リンディはカンザの顔から目を放さず言い返した。
「その理由も……シリウスの女神が消滅した事も、あなたは知っているでしょう」
「能力を失ってなお人の心を読んだような発言をする。恐ろしい娘だ」
うっすらと笑みを浮かべたカンザは不気味に見えた。表情とは裏腹に、瞳は一切笑っていない。
その時、横から魔物が飛びかかってきたが、カンザは見向きもせず一撃を食らわせて始末した。
「魔物は使えん。だが力は手に入れた。……となればここを片付ける事から始めるとするか。その前に──」
再びカンザが斧を構える。エバンも、いつ攻撃が来てもいいように金聖を握りしめた。
「最も邪魔者なを叩き潰してからな!」
「……っ!」
「砕け、剛紫破!」
紫の斧が地面に叩きつけられ、その衝撃波が仲間を襲う。周囲にいた魔物をも巻き込まれて吹き飛んだ。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
「また計画を壊されてしまっては困るからな。神器の使い手は早々に排除しなければ」
倒れ込んだ体をすぐに起こさなければ魔物の標的になってしまう。
寄ってきた魔物を斬り伏せ、エバンは改めてカンザと対峙する。
「なんとか、守護する精霊だけでも……」
立ち上がろうとしていたロイルだが、ついに膝を付いてしまった。
「ロイル!」
「ごめん……これ以上は、詠唱できそうにない」
「もういい!あんたはあたしが守るから!」
肩で息をするロイルの側でレウナは赤月を構えた。さらにその周りでゼノが蒼槍を振り回す。
「魔物の事は気にしないで休んでろ!」
「ごめん。ありがとう。レウナ、ゼノ」
翠樹にすがり付いたまま、ロイルは頼もしげに二人を見上げた。
二人はなるべくエバンらの周りにカンザ以外の敵を寄せ付けないよう戦い続けた。さらにリンディは邪魔をさせるまいとゼノたちを掻い潜って来た魔物に目眩ましを食らわせる。
「おまえとは決着を付けなければならないな」
「いいだろう。まとめて始末してくれるわ」
いつの間にかエバンの隣にはカイトスが並び立っていた。
「吠えろ、呈黒天!」
黒い刀がカンザを襲う。しかし予知していたかのようにかわされる。すかさずエバンも続いた。
「吠えろ、金聖!」
「力勝負で俺に勝てると思うな!」
立ち向かったエバンだったが、先に動いたカンザのひと振りで吹き飛んだ。
カンザの肩書きは名ばかりではない。自身の腕前でのし上がってきた実力者だった。
「これはいい。面白いように動きがわかる。これが心を読む力か」
そうして大層満足げに笑みを浮かべる。
「くそっ……全然歯が立たない」
エバンらの周囲でも、シリウスの兵士たちが必死で戦っていた。
一向に数が減らないのは、砦が捕まえていた魔物の他に、野生の魔物も紛れ込んでいるからだろう。
兵たちの疲弊もつのり、誰もが絶望し始めた頃だった。
突如として鬨の声が上がった。
「何だ!?」
声の出どころを探してカイトスが辺りを見回す。
「まさか!」
街道の向こうから武装した集団が近付いて来ていた。その中で上げられている旗を見てエバンが目を見張る。
勇ましい大鷲の横顔が描かれた旗。
それはまさしくアルタイル隊の隊旗だった。
「親父!」
自身の父の姿を認めたゼノが叫ぶ。
その父親は、戦場の様子を見て驚きを通り越して呆れた。兵士が使っている普通の槍を担いで呟く。
「シリウスと戦う羽目になるかと思えば、何だこの現状は」
「何であろうと加勢するより他ない。皆、行くぞ」
「おお!」
隊長の指示により、アルタイル隊は魔物の駆除に取りかかった。
「アルタイルだ……」
「助かった……」
「我らも負けてはいられないぞ!」
先程までの意気消沈はどこえやら、シリウス隊もまた声を張り上げた。
不思議なもので、エバンの顔には少しだけ笑みが浮かんだ。
「大丈夫。きっと無事に乗り越えられる……!」
エバンの声に答えるかのように、金聖が一度まばゆく煌めいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます