第17話 大成への道
シリウス砦の一角、他の部屋の家具よりも豪奢な机を運び入れた部屋にその男はいた。
大柄な体躯で肘掛け付きの椅子にふんぞり返り、顎髭をなぞりながらため息をつく。
「まったく、アルタイルには呆れる。次はスピカにでも手をつけてみるか」
そうして男は立ち上がった。
今やこのオリトン国を支配しているとも言える者──カンザ司令官である。
カンザは人気のない部屋の中をうろうろと歩きまわりながら独りごちた。
「だがスピカには王の弟ポルックスと娘のアストラエアがいたな。あれは厄介だぞ……」
スピカとは国境に一番近い砦だ。唯一女性隊員を採用している隊でもある。
王弟ポルックスの娘は、スピカ隊長を夫とし、母となってからも夫婦共に戦場を駆けたという。
国境沿いとあって警戒心が強い。だから後回しにしたところもあるというのに。
田舎寄りのアルタイル隊は自由を取り戻してしまった。残る手駒はこのシリウス隊のみ。
部屋の角、
中には土が入れてあり、そこに湾曲する刃が美しい紫色の斧が刺さっていた。
いつかの戦いで見つけた戦利品なのだが、いくら持って行こうとしても誰にも抜く事ができなかったのだ。まるで地面に縫い付けられたかのようにびくともしない。
拒絶するような斧の態度に、誰の言葉だったか──それは『神器』ではないか、という発言に興味を持った。
使い手を選ぶ武器である神器は、認めた相手にしか名前を伝えないのだとか。
カンザは何としても自分の物にするため、周りの地面を掘り起こし、強引に土ごと持ち帰ったのだ。
そんな折、ルマイトに不思議な力を持つ少女がいるという噂を聞いた。
人の心が聞こえる──その力があれば神器の名も聞き出せるのではないか。
心を読む能力。神器の力。それらを利用して国を変える計画を立て、時間をかけてここまで来た。
「あとはリンディ・ラミラを捕らえ、シリウスの女神に力を奪わせればいいだけなんだが……上手くはいかないものだな」
その時、カンザの部屋の扉を叩く音が聞こえた。
入室を許可すると一人の兵士が無表情で入ってくる。ボイドに付けていた護衛の一人だ。
地下に侵入者あり、との報告だった。
*
コツコツと数人の足音が地下に響く。
後ろ手に拘束されたボイドの側で、黒い刀を向けたままのカイトスが先を促す。ボイドの腕を縛った縄は、近くの物置にあった資材を拝借した。
エバンはボイドを挟んだカイトスの反対側を警戒しながら歩みを進めていた。
「この先の突き当たりを右です」
静かな声はエバンの隣を歩くリンディである。その前にはゼノが、最後尾にロイルとレウナが続く。
現在一行はシリウスの女神が移動された場所へ向かっていた。
ボイドへ問い詰めたものの、当然口を破らず、致し方なくリンディが心を読んで案内しているのだ。これなら嘘をつかれる心配もない。
「そもそも、どうやってシリウスの女神なんて作り出せたんだ?」
「ふん。説明したところで、あなたには理解できないでしょうね」
「精霊と神器を掛け合わせたのね。それも、国王陛下の神器を……」
エバンの問いに鼻を鳴らすボイドを横目に、あっけなくリンディがタネをバラす。
そんな少女に老人は歯を剥き出したが、黒い刃を喉元に突きつけられ唇を噛んだ。
「シリウスは元々精霊か……それならレグルス様の力で元に戻った後、僕が契約を交わせば再び利用されずに済みそうだ」
「それは問題ないとして。陛下の神器なんてどうやって手に入れたんだ?仮に陛下に会うことが許されたとしても、周りには常に近衛兵やら臣下やらがいるだろうに」
一人頷くロイルの隣で、さらにレウナが疑問を投げかける。その答えも、いとも簡単にリンディの口から語られた。
「陛下がこの砦を視察しに来られた事があるみたいです。その際、目を盗んで持ち去って……。気付いた陛下が追いかけて入った部屋に、完成した偽女神がいて、そのまま陛下はシリウスのカギをかけられた……」
「神が使っていた武器を手にする事で、精霊が擬似神へと昇格する……という事だろうか。最初の被害者が陛下だったとは。これで国内の騒ぎが黙認されていた訳がわかったよ」
嘆息しつつロイルが言う。
前を行く腰の曲がった老人は無言のままだった。どう足掻いても包み隠さず明かされるため、抵抗する事さえ諦めたらしい。
それからロイルは今まで歩いてきた後方を見やる。追手は来ていない。フリックの仲間である男を筆頭に、正気に戻した兵士たちに足止めを頼んであるのが功を奏しているようだった。
ボイドを囲んだ一行は、やがて広い空間にたどり着いた。薄暗いため中の様子がわかりにくい。
ただ、淀んだ空気が心身にまとわり付いてくる。まるで、何かに囲まれて見つめられているかのようだ。
「なんだ……この部屋。気色悪いぞ」
先頭のゼノが立ち止まり、空いた手で二の腕をさすった。
「ここに偽女神がいるのか?」
「ええ。そうみたい。この部屋の先……」
エバンに頷きを返し、リンディが歩みを進める。
先程の廊下より靴音が響き渡る。その音でかなり広い部屋だという事がわかった。
さらに目を凝らしてみると、左右の壁が檻になっている。中に蠢くものを感じ、鼓動が早まる。
まさか──と、息を潜め、エバンは拘束された老人に小さく問いかけた。
「この檻の中……もしかして」
「ようやく気付いたのですか?」
声に反応したのか、部屋全体の圧迫感が跳ね上がる。
薄闇の中、ボイドがにやりと口角を上げた。
「私の研究の成果。手懐けた手駒たち。この檻を解放したらあなたたちはひとたまりもないでしょうね」
身じろぎする音が、低い唸り声が、檻の向こうから聞こえる。いくつもの赤い光が、エバンらを見つめてくる。
「赤い、目の魔物──」
どっ、と冷や汗が噴き出るのを感じ、こわばる体を動かして金聖の柄を握った。
「大丈夫。今は檻を開けられないわ。開閉機は部屋の先にあるから」
「そ、そうか。そうだよな」
魔物が襲って来ないとわかっていても、声が硬くなるのは抑えられない。
緊張が解けないまま部屋を進み、重厚な横開きの戸をくぐる。ゼノと協力してその戸を閉めてやっと肩から力が抜けた。
「ここよ」
リンディが立ち止まったのは檻の部屋を抜けた先の右手側にある扉だった。
見張りがいない事以外、元の位置であった物置部屋とたいして変わりなく見える。
しかし、今度こそ本物だ。
エバンは深く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。次第に鼓動が落ち着いてくる。最後に瞑目し、覚悟を決めた。
「開けるぞ」
ドアノブは問題なく回った。鍵もかけず兵士も置かず不用心な、と思うものの、この魔物だらけの施設に入り込む者などいないのだろう。
部屋の奥へ開く扉を慎重に開ける。隙間から銀の光が溢れ出してきた。
「これが……シリウスの女神」
開き切った部屋の奥、人工的に作られた小さな泉の上に鈍い光の根源が静かに佇んでいた。
見た目はレグルスの女神と瓜二つだ。違うのは輝きの色、それと、銀色のせいか冷たく見えるような表情。
この偽物を消滅させれば全てを解決できる。
部屋の壁一面に下げられた銀のカギも確認して、慎重に一歩を踏み出そうとした時だ。
突然、剥き出しの剣がエバンの行手を阻んだ。
驚愕し、後ずさろうとする右手首を大きな手のひらで掴まれる。次の瞬間、抵抗する間もなく体を反転させられた。
「ぐっ……!?」
背中にねじ上げられた腕に苦痛を漏らしながら後ろを取った人物を見上げようとするも、喉元に剣をあてがわれて身動きが取れなくなる。
「エバン!!」
少女の悲鳴に視線を上げれば、仲間たちの周りを武器を持つ兵士が取り囲んでいた。
一瞬にして頭が真っ白になる。
部屋に見張りがいなかったわけではない。元々図られていたのだ。
「案内ご苦労。ボイド博士。後の始末は任せろ」
「カンザ司令官!来てくれましたか!」
呈黒天を突きつけられたままのボイドが歓喜の声を上げる。カイトスはそんな老人に舌打ちした。
「……密告していたのか!」
「侵入者を見つけたらシリウスの前に連れて行く決まりになっているんですよ。あなたたちに声をかける前に、護衛兵の一人に司令官まで伝令を頼んでいたのです。そこまで読まれずに済んで安心していますよ」
「とりあえず諸君。各々武器を下ろしてもらおうか。それからボイド博士を解放してもらおう」
そう言って男──カンザはエバンの首に刃を押し付ける。ぷつりと薄く皮が切れた感触と、わずかに血が滲むのを感じた。
人質を取られて周りも敵に囲まれているとあっては下手に動く事はできない。
カイトスは呈黒天を納め、背負った鞘ごと床へ下ろす。同じくレウナとゼノがそれに倣い、ロイルも長い杖から手を離した。
「司令官、リンディ・ラミラがおります。そこの赤い髪の娘です。おまえも武器を下ろすのですよ。先程はうまく隠していたようですが」
「なんだと?」
口を引き結んだリンディが胸元のブローチを外す。
その間にボイドは兵士たちの後ろへ逃げ込んだ。
金のカギを握りしめたリンディをカンザはまじまじと眺めた。薄闇の中でも赤みがかった髪。この状況でも凛とした瞳は気品を感じる。
カンザは満足げに不敵な笑みを浮かべた。
「よくぞここまで来てくれたものだ。ようやく機会が巡って来たというところか」
エバンを前に歩かせ、銀の部屋の中から出る。そしてカンザはリンディに向かって部屋の方向へと顎で指図した。
「部屋に入ってもらおうか。リンディ・ラミラ。おまえにはもう用はない」
言ったと同時に背中を蹴られたエバンが呻き声を上げながらその場に倒れ込む。さらにカンザの足が背中を押さえつける。
「やめて!エバンに乱暴しないで!」
「そう思うならはやく部屋に入れ。こいつが苦しむ時間が増えるだけだぞ」
「だ、だめ……だ、リンディ……」
うまく呼吸ができない。体も動かせない。
仲間たちも同様に武器を向けられて手助けする事も叶わなかった。
自分には不可能なのだろうか。奥歯を噛み締める事しかできないのか。
拳を握りしめ、己の非力を呪うエバンの上から、鈴の音のような声が降り注いだ。
「エバン」
一番近くで、一番聞いてきた幼なじみの声だ。
「信じてるわ」
表情は見えない。しかし、そう言われたら──
「ああ。信じてて」
地面に貼り付けられながら、声の持ち主の姿も見る事ができないまま、それだけははっきりと伝え切った。
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