十二:混沌(二)

 年甲斐も無くひとしきり海で遊び終え、疲れ果てた僕達は、大きな大浴場が三階に亘って付いている大きな宿へと泊まることに。こういうのは、流浪者には出来ないことだな。姫に感謝せねば。……と思ったのもつかの間。


「はい?」

「だからな? 私達は金が無いのじゃ。だから、その分一生懸命今日一日働く! 泊まらせてくれい!!」


へこへこと頭を下げる姫の後ろ姿に、顔が引きつったのは無論、僕だけでは無い。店員の女性が顔を引きつらせながら、他の店員に声をかける。恐らく、お偉いさんだろう。その人が首を横へ振ると、店員は、「申し訳御座いませんが……」と姫を見た。


「おねーさん、金持ってきてないんですかい? そりゃねーぜ。……アネゴ?」


アランが困った様に眉を下げて微笑みながら、アズキを見る。アズキもニコッと笑うと、二人は懐から財布を取り出そうとする。それはいかん、だったら僕もお金を出さねば。慌てて腰元に手をやったその時であった。


「お支払いはこれで頼むよ」


 僕とアズキの間を割り込んで入って来たのは、赤髪の目鼻立ちのしっかりとした男。姫の隣に立つと、男はフロント台一面に金をばら撒いた。え、何事?


 店員も、目の前に急に現れた大金に驚いていた。そこからきっちりと正しい料金を受け取ろうとすると、男はその手をギュッと掴む。店員が頬をほんのり赤くして男を見る。


「余った分は、チップとして受け取ってくれ」


男の言葉を聞いた瞬間、女性は薄紅だった顔を真っ赤に染め上げ、「は、はい」と頷いた。そりゃあ、イケメンに手掴まれてそんなこと言われればなぁ。姫は、対照的にそのクサいセリフに嫌悪感を感じたらしい。此方を向くと、「誰かおならした?」と、皮肉を口にした。確かにクサいが、お金払ってもらってるんだから。


 ロビーから離れ、人気の無い場所へと移動した所で、僕とスパイ二人は男に礼を言った。


「で、そなたは何者じゃ?」


一人だけ、宿泊料金を払ってもらっているのにそれを無視して尋ねる姫。僕達が言っているからまぁ良いか。ぶしつけすぎる姫に、男は爽やかな笑顔で答えた。


「貴方と近しい身分の者ですよ、イリス姫」


おや。姫のことを分かっていたのか。それに、近しい身分ってことは、もしやこの国の……王、とか?


「これは失礼致した。ポイペ王、ではありませぬな。ポイペ王は歴代で青い髪だと執事から聞いている」


 位を知ると、姫は口調を正して受け答えをする。何だ、あの時の勉強は寝てばかりだと思っていたが、執事の話聞いていたんだな。確かに、執事はポイペ国の王族は皆、海のように青い髪だと言っていた。


 しかし、だとすればこの男はどこの国の者なんだろう。


「ふふ、俺を知らないとはやはり奇天烈な姫だ。俺の名前はラネットって言うんだ。どうぞよろしく」

「知っとるか?」


姫は、僕を見る。どうしてこう、彼女は僕に嫌な話題を振るんだ。


「申し訳御座いませんが、私(わたくし)はつい最近まで流浪していたような世間知らずな者で……」


僕は小さく首を振った。


 ラネット、か。王の名と情報はある程度執事から聞いているし、ちゃんと覚えているつもりだ。彼は若さからしても王子と予想しても良さそうだが、絶対にそうだとも断言出来ない。帰ったら執事に聞いてみるとしよう。


「いいさ、気にすることは無い。それよりイリス姫、宜しければ俺と温泉に入りませんか?」

「結構。混浴は好かぬのです」


 素早く断りを入れる姫。しかも、言葉遣いがキツ過ぎるぞ。確かにお金をばらまくようないけすかない男ではあるが、折角の好意を……。だが、ラネット王子はその笑顔を崩さない。


「そう言わず。混浴と言っても、専用の衣服を着用する風呂なのです。是非、そこで二人きりで話をしたい」


そうか、ラネットは元々姫と二人で話すことが目当てだったのか。ムネモシュネ王も姫への興味があったみたいだし、またその類なのだろう。姫は男に不信感がありそうではあったが、同じ位の人間の誘いに、きっぱりと断るのも迷っているようだった。だったら、二人きりにするのも悪く無いな。


「姫、折角のお声かけですし、御用の際はすぐに駆けつけますから。どうぞご二人で」


一時でも、肩の荷が降りるし。と思ったのはここだけの話。不満げな顔を向けた姫の背を押し、ラネット王子の下へ連れていくと、ラネット王子は嬉しそうに微笑んで姫の手を掴んで温泉へと向かった。恋の予感もあったりして。


 などと思っていた僕とは対照的に、僕へと不満げな顔を向けるスパイ二人。


「モモロン様、何故姫とあの方を二人きりに?」

「そうですぜ? よりによって、あのカオス国んトコのあんちゃんとなんて」


――カオス国。

 

 その単語に、心臓がドクンと跳ねる。


 そうか。あの男が、カオス国の王子。


 僕の表情が余程酷かったのか、怒り気味だった顔つきを不安げなものに変え、二人は僕を見る。


「大丈夫?」

「おい、何かあったのか?」

「ああ、少し。でも、他愛もないことだ。それより、カオス国って、国の中で一番大きくて、発展している国だよな?」


 話を逸らした僕を見てアズキはいぶかしげな顔をしたものの、「ええ」と答え、話を続ける。


「その分、他国との親交も一番多い国なの。それ自体は良いことなのだけれど、王は領土を得る為に手段を選ばない人でね。ラネット王子のことは顔ぐらいしか明るみにしていないの。素性がハッキリしないからこそ、ちょっと二人きりにさせるのは不安ね」

「そんな相手に姫を差し出したなんて。申し訳ない」

「いや、俺達も素性を明るみに出来ない身分だから、素直に王子だと言えなくてな。しっかし、こんなところでばったり会っちまうとはなぁ。そりゃあこっちも予想しないぜ。ま、敵国でどんぱっちやる程おかしなヤツじゃ無いだろうさ。俺達も温泉浸かりながら、姫様を見守ってやろうぜ」


フォローしてくれたアランへの礼もこめ、僕は深く頷いた。


 一旦アズキと別れ、僕とアランは三階の男用更衣室で温泉用の水着を着用し、肌が見える程薄い衣をまとう。個室のシャワーを浴びた後で大浴場へと移動すると、アズキと合流した。僕達は姫とラネット王子を探して周った。すると、見覚えのある黄緑色の髪と、真っ赤な髪が見える。良かった。姫は無事らしい。


 ある程度距離を置いて座り、僕達も話し始める。聞いたのは、アズキやアランの今までのことだ。


 アズキは、元々辺境の里に住んでいたが、その持前の素早さを生かすべく、スパイになることとなったそう。まるで忍者のようだ。一方、アランはスパイと言うかっこいい響きの仕事に惹かれてイリス国のスパイとなったとか。アズキと仲が良いとばかり思っていたが、彼には妻と子供がいるらしい。どおりで、アランが褒めても動揺しないわけだ。


「さぁ、私達のことは話しましたよ。モモロン様、貴方様のことも」

「前々から思っていたのだが、僕に対して様は要らないぞ? アランのように、呼び捨てで構わない」

「ですが、私よりお強い人を呼び捨てだなんて」

「アネゴ、俺はアネゴより弱いから呼び捨てだったんですかい……」


アランはがくんと項垂れる。本気で落ち込んでいるようだった。確かに、以前の戦い、アズキの方がキレがあったような気はする。体もアズキの方が幾分も軽そうだし、何より辺境の里で育てば、嫌でも動かざるを得ないだろうな。


「そんなことは気にしなくて良い。様と呼ばれるとむず痒いし、慣れない」


それに、様と呼ばれると少なからず注目をされる。城の者達に、「あ、アイツ女に様付けされてるよ。全く良い御身分だよなぁ」と言った感じの目でこの先見られかねない。いや、既にそう思っている者がいるかもしれない。だとすれば、芽を早い所摘み取らねば。


「そうですか? では、モモロン。で」


 アズキはにっこりと微笑んだ。真っ赤な花とは違い、淡色の花のような柔く可愛らしい笑みだ。


 友達に始め君とかちゃんとか付けて呼ばれていたものの、途中から、「呼び捨てで良いよ」と言うような流れも終えたところで、アズキはその可愛らしい笑みを消し、表情をキリッと整えて僕を見る。


「で、モモロン。貴方の話も聞かせて貰えるわよね?」


クッ。彼女、しぶとい……。裁判官の如く顔を近づけて僕を追い詰めるアズキの後ろから、僕をニヤニヤと見るアラン。どう返事をしようか迷っていた時のこと。


――バチンッ!!


 その音は姫のもとから聞こえてきた。姫の方を見ると、姫が眉を釣り上げてラネットにビンタをしていた。

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