十二:混沌(一)

「と言うことで、此処の国は……」


 僕と執事と姫、三人だけの部屋で、僕は執事の眠たくなるような低音ボイスをひたすら聞かされている。

 

 何故だ。何故、姫の国の歴史の勉強に、僕まで付き合わされている?


 … … …


 あれから無事、イリス国はムネモシュネ国と同盟を結ぶこととなった。コイオス国やクレイオス国とも比較的良好な関係だし、ウラノス国もまだ油断は許されないものの、距離的には悪く無い場所にいる気がする。こうなってくると不安なのが、どこかで天下統一を考えているような、困った国の王が現れないかと言うことで。その為にも今、姫と僕は国の勉強をさせられている。


 そうだな。確かに僕にも必要なことかもしれない。だから、それは百歩譲って良いとしよう。だが、どうして隣で姫が寝ているのに、執事は起こさず僕だけに国の歴史や情報を教えるのだ!! 肝心の姫が全然覚えないぞこれじゃあ!!! 姫の頭を平手で叩くと、姫は寝ぼけ眼でこちらを見る。


「殴った?」

「殴りました。すみません。ですが姫、大事なお勉強で御座いますから」


 僕が立ち上がると、よだれを垂らす姫の顔を、強引に黒板の方へと向けた。グキッと多少ヤバい音が聞こえたが、知らない知らない。


「ん~要するに、ポイペ国はお下劣な国だってことじゃろう?」

「そんなこと一言も言って無いですよ」


と言うか、お下劣なのは姫の方だろうが。出会った当初のことを思い出しながら、心の中でツッコむ。姫が首をずっと少しだけ傾けながら言っているが、決してさっきの僕の動きが悪いワケじゃ無い。そうだ、僕は何も悪く無い。


「でも、従者が鼻くそを服にこすりつけておったのだろう?」

「いや、それはムネモシュネ王の愚痴でしょう? ポイペ国全員がそんな無頓着じゃないですって。怒られますよ?」


姫は依然首を傾けたまま話す。……首、動かしてあげた方が良いだろうか。


 ポイペ国と言えば、ムネモシュネ王がポイペ国の従者をぶん殴ったのが有名なエピソードとなってしまったが、あそこはもともと、海沿いの魚がよく獲れる水産国である。コンビでお笑いエピソードを持ってしまったムネモシュネ国とは以外にも遠く、その間にウラノス国、ヒュベリオン国、テイア国等、他にも山林や細い川を挟んでいる。


 実は、僕もポイペ国には数回足を運んだことがある。あそこは海が本当に美しく、太陽に反射する様は、まるで神から授かった宝石のようであった。その海岸沿いを通る民の姿。それは何気ない姿のはずなのに、画としても最高の芸術であった。僕に絵の才能があったら、あの姿を描き残したかったものだ。


 対照的に、僕の住むこの国は、辺りを森林が埋め尽くす小さな国。川や小さな湖こそ見えるものの、あそこまでの広く、美しい水は存在しない。ああ、少し前までなら、好きなタイミングであの国へ行けたのに。今思うと、姫や民が使用する城内温泉より、あの海の方がよほど綺麗だったな。この国のクオリティの低さを改めて痛感する。


「なんじゃ、面白そうなこと考えてそうな顔じゃなぁ」

「いえ、そんなには。ただ、ポイペ国の海は本当に綺麗だったな、と」

「ほぉう。行ったことがあるのか?」

「ええ。良い国でしたよ。海産物が美味しいですし、きっと温泉も此方より効能があるかと」


なんて思い返すと、つい微笑んでしまう。そんな僕をじーっと見つめる姫。あまりにも見つめられたことで、流石に僕も我に返って顔を逸らした。すると姫は突然立ち上がる。


「行こう!」

「と、言いますと?」


姫を見ると、姫はニヤリと笑って僕の方を見る。嫌な予感。


「ポイペ国へ行って、魚介を食べて、温泉に浸かるのだ!!」

「え、良いなぁ……」


姫の提案に、思わず執事が呟いていた。そんな執事を姫が一見。その後、静かに首を振る。


「セバスよ、これは遊びでは無いのだ」

「こ、これは失礼致しました!」


執事が頭を下げたも空しく、姫は背を向けて僕の手を掴んだ。


「となると、アズキやアランを連れていかねばな。あやつ等は前に世話になった。クロノ王子も後でバレると面倒じゃからなぁ~仕方ない、ムネモシュネ国の時は世話になったし、連れていくとするか。で、モモロンは当然連れていくとして~」

「あ、あの~姫、遊びでは無い……のですよ、ね?」

「おう、もちろんじゃ!!」


確認の為に聞いた執事に対し、姫は満面の笑みで答えた。こりゃあ、完全に遊びだな。


「それじゃあセバスよ、早速ポイペ国のことを教えてくれ!!」


 席に着くと、姫は執事にキラキラと輝く瞳を向ける。この無垢な瞳は、男には辛いな。案の定、執事は言い返したい言葉をぐっと堪えると、姫と僕にポイペ国のことを詳しく説明してくれたのだった。これじゃあ、勉強と言うより、旅行へ行く前に下調べするようなものだな。


 … … …


 翌日、姫、アズキ、アラン、僕の四人でポイペ国を目指すこととなった。クロノ王子は流石クレイオス国の王子だけあり、今回も仕事なのだそう。強がってはいたものの、名残惜しそうに、実はすごく行きたそうな顔をしていた。


 本来なら馬車で移動したいところだが、そうなるとイリス国からポイペ国は遠すぎる。姫がそう何日も国を離れるわけにもいかないだろう。少々だるいが、あの美しい景色の為。僕、アズキ、アランの三人は木々を飛び越え、自らの足でポイペ国を目指した。姫? 姫は当然僕かアランの腕の中だ。アズキが、「私も……」と気遣ってくれたが、流石に女性に力仕事は任せられないだろう。姫は食べる分それなりに重い。


 人一人を抱えながら、自らの足で遠い地を向かうのは想像以上に苦であった。始めは、アランへと姫を丁寧に受け渡していた僕であったが、途中からめんどくさくなり、姫を投げ渡す様になった。普通の高貴な方なら怒られるだろうが、姫の場合はそうじゃない。アランとアズキが驚く中、宙に放たれた姫は、アトラクションにでも乗っているかのように楽しそうにはしゃいでいた。キャッチしたアランは、その様子を見て面白くなったらしく、「ほいっ」と若干回転を入れて僕へ渡したりする様に。アズキはその間でオロオロしながら見ていたがしばらくその光景は続くこととなった。当然だが、僕達は特別な訓練を受けている。よい子は僕達の真似をしないように。


 途中休憩をはさんだりもしたが、馬車を利用して行く予定時間より、三時間も早くポイペ国につくことが出来た。スパイの足は侮れないな。


 にしても、この長い旅には僕達も疲れた。アランや僕は汗だくだ。アズキは真っ白い肌に、額に数滴の汗だけ。胸でも締め付けているのか? と言わんばかりの汗の少なさに、若干熱中症を疑ってしまう。


「アズキ、大丈夫か? 汗が全然流れて無いが」

「ええ、大丈夫よ。よく言われるわ」

「アネゴ、こんだけ外に出てるのに、いつも真っ白なんですよ。俺くらい焼けてる方が安心なんですけどねー」

「それはそうね。でも、焼けないものを焼けと言われても」

「いいや、そんなつもりで言って無いっすよアネゴ。アネゴは白い方が綺麗でお似合いだ」


簡単に女性を褒められるって凄いよな。それを言われるアズキも褒め慣れているらしく、「あらどうも」と軽く返事をする。同じ男女でも、僕と姫とは全く別世界に思える。姫もこれくらい女性らしさがあればな。と姫を見ると、姫の姿は僕らより遥か前、海の方へと向かっていた。


「きれーじゃー!!」


そりゃあそうさ。姫の目の前に広がる海は、僕が太鼓判を押す程の代物なのだから!


 姫はアズキの手を引いて海へ駆け出した。生真面目そうなアズキは突然のことに戸惑っていたが、姫が足先でアズキに水をかけると、「まぁ!」と声を出した後、手で水をすくって姫へとお見舞いした。楽しそうにじゃれあう美女の図は、やはり画になるな。


 しばしその様子を見届けていたかったものだが、アランに背中をバシッと叩かれた直後、アランに腕を引かれて僕も強引に海へとダイブさせられた。


「お、おい! 僕は兵服なんだぞ!?」

「まぁまぁ良いじゃねぇか、たまには肩の力抜けよ、おにーさん!」

「そうじゃぞ! 私みたいにゆるゆる~っとするのじゃ~」


姫が体をくねくねと動かすと、アランはげらげらと笑う。この人、間違い無くゲラだ。


「力を抜けと言われましても……海に入った所為で、逆に服が重たくなったのですが」


 僕は別に笑いを取ろうと思って言ったわけでは無いのだが。アランや姫、そして何故かアズキまで僕を見て笑った。先程の言葉は訂正。この人では無く、この人達、間違いなくゲラだ。

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