五:独占(二)

 イリス国からクレイオス国へと移動するその車中、実の無い会話が続いた。何だか無理に仲良しアピールをさせられているようだが、別にそんなに見せかけを仲良くしなくても良いのでは無いだろうか。仮に友達と言う存在が僕にいたとしても、僕の友達は僕とそんなに喋りたいとは思わないだろう。彼はどうやら話が続かないと落ちつかないタイプらしい。


 適当に話を合わせていると、馬車が止まった。国がどこにあるかは知らなかったが、案外近かったのだな。彼や姫の態度を思えば、国が近いからこその口調だったのかもしれないな。おおよその時間からイメージすると、イリス国から二つ隣と言ったところだろう。


「こっちだよ」


 馬車を降りて、クロノ王子が手を引いて走っていく。その顔だけを見れば、あどけなくて純粋そうな少年なのだが。民は反応する間もなく走っていく僕達を唖然と見ていた。気を抜いていた門番も、僕達の姿に気付くと、シャキッと姿勢を整えて敬礼した。クロノ王子は気にせず僕を引いて行く。突然戻ってきたメイドや執事からは、どよめきの声が上がっていた。階段の踊り場へ来た時にメイドの方を見てみると、メイド達は何やら渋い表情でひそひそと話し込んでいた。唇の動きが見られないだろうか。手が少し邪魔だな。手を、手をもう少し退けないか。一人のメイドが口元に覆っていた手を移動させた瞬間僕は目を凝らす。その言葉は、か・わ・い・そ・う・に。……可哀想に? クロノ王子が? それとも僕が? 疑問は残ったものの、クロノ王子に引っ張られ、僕はその場を後にした。


 … … …


 てっきり、王にでも挨拶をしてから行くのかと思っていたが、部屋に直行か。それも、お付きの者達が入ってくる様子も無い。扉を閉めると、クロノ王子は内鍵をした。何だか嫌な予感しかしないのだが。クロノ王子は僕の手を引き、大きくてふかふかなベッドに座らせる。え、やっぱりソッチなの? 実は彼はホモだったの? 可哀想にって、そう言うこと!? 僕は気持ち全力で、「僕はホモじゃありません!」と必死に顔に書いた。エロス様なら即気付いてくれるところだ。彼は賢そうに見えるのだが、どうだろう? 見えているのだろうか。クロノ王子はニコッと笑うと、顔を近づける。じりじりと近づいてくる距離。顔が近い! 近い近い近い!!


 僕が顔を避けようとしたその時、頬に強烈な痛みが飛んできた。バチンと張りのある音がした。これは……。目を見開き顔を上げると、クロノ王子の表情は、悪魔にとり憑かれたような狂気に満ちていた。隣にあったおもちゃ箱から手錠と鎖を取り出すと、まず手錠を僕の手首に付け、僕を逃げられないようにと手錠と鎖を結びつけ、鎖の先を柱に固定する。そして僕の方へと戻ると、再度強烈なビンタを食らう。何だコイツは。クロノ王子を睨んだ。


「良いの? そんな顔して。僕は今、お父様やお母様に国を任されている。僕の命令で、イリス国を狙うのなんて簡単なんだ」


あんな国なんてどうでも良い。と言ってやりたいが、あの小さな国にも、沢山の人が住んでいる。国を狙われると言うことは、その人々の身を危険に晒すと言うこと。そんなことをどうでも良いと片付けることは出来ない。ましてや、あの国の兵士になってしまった僕ならば。僕は静かに目を閉じる。すると奴は嬉しそうに鼻歌を歌いながら僕を甚振った。


 あれから一時間は軽く超えているだろう。ヤツは平手でおさまらなくなると、拳や道具を使って痛めつけてきた。眼鏡は彼の足元で潰され、鼻からの出血が止まらない。これ、下手をすれば死ぬぞ? それだけはゴメンだな。だから僕は、誰かの前で死にたくないのに。口から血の塊を吐き出すと、また拳が飛んでくる。もうそろそろ怒りも限界だ。目を瞑ると、真黒な視界の中に、一本の赤い糸が張っていた。その視界は、殴られる度に大きく揺れる。


 揺れる、揺れる、揺れる。その度に、糸がほつれていくのが見えた。


 揺れる、揺れる、揺れた。真っ赤な糸は、呆気なくプツンと切れた。


 殴られた瞬間、起き上がってクロノ王子に頭突きをしていた。華奢なクロノ王子が簡単に倒れ込むと、手首に力を込めて外側へと引っ張る。繋がれていた鎖はいとも簡単に外れた。縛られていた鎖も破壊し、クロノ王子へと歩み寄る。この手のタイプは怯えて泣きつくと思っていたが、僕が近寄り胸倉を掴んでも、奴は眉を下げなかった。それどころか、表情はどこか精悍だ。


「殴りたければ、殴れば良い」


その言葉を聞いて理解した。奴の真意を。


 僕は掴んだ胸倉を上げ、彼を立たせる。そして勉強机の椅子に座らせた。きょとんとするクロノ王子。僕は腕で血を拭うと、隅にしまってあったホワイトボードを引っ張り出した。年頃的にも、家庭教師が来るのだろう。ホワイトボードにはうっすらと数式が残っていた。その跡を消すと、僕は字を書いていく。


「何のつもりだ」

「その様な態度では、何時か国から見放されると思いましてね。一つどうです? 友達の作り方なんて話でも」


僕の問いに、クロノ王子はケッと呆れ笑った。僕はホワイトボードに字を書いていき、会話の方法や、心の開き方などを書いていく。クロノ王子は面倒そうに頬杖をつきながらも、真っ白なノートに文字を埋め尽くしていった。


「余談になりますが、貴方様が僕を連れ去って行く時、メイドは可哀想だと言っておりました。これは、誰に対して言っていると思いますか?」

「そりゃあ君にだろうさ。メイドどころか、使いの者達は殆ど知っているからな。僕が良い性格ではないことを」

「私も、そう思いました。ですが、多分違ったのではないでしょうか」


クロノ王子は眉間にしわを寄せ、首を傾げる。


「恐らく、彼女達はこう言っていたのだと思います。彼は、どうしてあのような性格になってしまったのか。とても可哀想だ、と」


僕の答えに、クロノ王子は笑った。そんな答えなはずが無いと。しかしそれは、本人にしか分からないだろう。かけていた鍵を外し、扉を開けると、先程下で話をしていたメイド達が此方に倒れ込んできた。クロノ王子は思わず立ち上がる。


「聞いていたのか!?」

「も、申し訳ございませんクロノ様! しかし、また貴方様が人をいじめているのではと思うと、いてもたってもおられず……」

「では、何故止めようとしなかった」


冷静なクロノ王子に睨まれ、メイド達は頭を下げた。だが、頭を上げると再度口を開く。


「王子は、以前から同年代の知り合いがおりませんでしたし、人とも距離を置かれがちでしたので、私達もどう接したらいいかと迷っておりまして……。王や女王ともあまり共に行動しておりませんでした。なので、王子が新任の兵士を苛めているのは、寂しさの裏返しだと分かっておりました。その度に国を離れる兵士を見て、王も女王も何も言わなかったこと、大層お辛かったでしょう。私達はこの地位を退かされることを恐れ、叱ることが出来ませんでした。申し訳ございません」


 そう。彼は孤独だったのだ。それは同様に、イリス姫のように親から愛されなかったと言うことにもなる。メイドの話からしても、恐らく目に見える愛情が注がれることは無かったのだろう。


 だから、どうしたら良いか分からなかった。良い子のフリをしても、当たり前のように思われるだけ。褒めてくれる人もいなかっただろう。それじゃあ良い子のフリをしていても意味が無い。誰かに理解してほしい。でも誰にも理解されない。その葛藤は、やがて彼の心を蝕んでいったはずだ。


 そして彼は、とうとうやってはいけない行動に出てしまった。まだ地位の低い兵士を連れ込み、力で忠誠を誓わせようとした。だが、本心は違う。彼はただ、間違っていると言ってほしかっただけなのだ。本当の意味で、愛情や優しさを感じたかったのだ。


 しかし、彼のやり方はあまりにも間違っていたことだろう。きっと、「それじゃあ仕方ないね」なんて言葉では片付けられない方が大半なはずだ。「そんなわがまま通じるか!」と怒る者達が大半だろう。それは事実であり、正しいのは怒る人々である。だからこそ、まず彼の間違いを正さなければならない。彼に後悔を覚えさせ、反省させることはその後からでも出来る。彼の何が間違っていて、彼がこれからどうしたら良いのか。それは優しさである必要ではない。怒りを通してでも良い。それでも彼に伝えなければならなかったのだ。


 クロノ王子は俯き、ズボンの膝元をギュッと握りしめると、行き場の無い感情が涙となって現れた。涙はボロボロと頬を伝い、手の甲に落ちる。か弱い少年を、メイド達は温かく抱きしめ、頭を撫でて包み込んだ。それじゃあ、僕の役割はもう終わったな。少し傾斜のある場所に城がある為、高さ的には四~五階はある窓を開ける。察しの早いクロノ王子は、ハッと涙まみれの顔を上げた。


「姫が帰って来いとうるさいのでね」


僕はニヤリと笑うと、手を振ってその窓から飛び降りて逃走した。飛び降りた先の窓から、「奴を捕えろーっ!」と、クロノ王子が叫んだ。兵士を惑わすその表情は、わがままなただ一人のクソガキのあどけない笑顔だった。しかし、あの命令をされては僕も追々捕まえられるな。さて、どう逃げようか。辺りを見渡す。


「……ろん、モモロン!」


 この声はまさか……。声の聞こえた方を見ると、黒装束を纏った姫が手招きをしていた。


「姫、どうしてここに!?」


駆け寄って尋ねると、姫は頬笑み、強引に手を引いて走った。着いた先には馬車があった。


「話はあとじゃ。追手が来ておるのだろう? 早く乗れ」


姫に押されて乗り込むと、そこには足を組み、僕に、「やぁ」と手を振るエロス様がいた。イリス姫が乗り込んだ瞬間、馬車は急発車する。大きく揺れると、姫が僕にしがみついた。それを、エロス様はニヤニヤと見つめている。


「随分やられたんだね。眼鏡も顔もボコボコじゃないか」

「お、本当だ!」


エロス様に言われ、姫は僕の顔を見る。さっき顔見たろうが。今頃気づいたんかい。経緯を言うべきか否か悩んでいると、僕を察したエロス様が先に口を開いた。


「気にすることは無い。以前から、彼の素行の悪さは噂になっていたんだ。だから、こうなることは予想して来ていたのだよ」

「そうだったのですか? ……え、姫、知ってて僕を止めなかったんですか?」

「そりゃあそうじゃろう。止めたらアヤツに国ごと目を付けられる!」


そうだった。彼女はアホだが、妙な所だけ賢いのだったな。つまりは、僕を売ったと言うことか。姫を疑いの目で見ると、姫はその顔を指差して大爆笑していた。エロス様も合わせてニコニコと笑っている。姫は徐々に笑いを抑えていくと、言葉を続けた。


「それに、お前は子供に好かれそうな気がしておったのだ」


 姫の言葉に、エロス様も僕を見て頷いた。子供に好かれる? いや、こっちは子供そんなに好きじゃないし……。僕が顔をしかめていると、姫とエロス様はまた笑った。


「犬嫌いな人間なのに、気付けば犬が寄ってくることがあるだろう? 君は、そう言うタイプなのだと思うよ」


 エロス様が分かりやすく例えてくれたが、それはつまり、人嫌いの僕に限り、人が寄ってくると言うことか? いいやそんなことあるはずが無い。僕は、何時も影を忍んで歩くような人間なのだから。和やかに笑う二人を、僕はほとほと呆れて傍観するばかりであった。

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