六:承認(一)

 何処かの誰かが、人間には五段階の欲求があると言っていた。一つは食欲などの生理的欲求、二つは平穏に生きたい安全の欲求、友達が欲しい所属と愛の欲求、自分を評価してほしい承認の欲求、そして最後に、自分らしさを求める自己実現の欲求だ。


 こんな僕でも、一応食べないと生きていけないし、排便だってしなくてはいけないので、生理的欲求はある。それに、出来れば平穏に生きたいので、安全の欲求もある。僕に足りないものはここからだろう。僕は、友達や仲間と言う親しくなりうる存在は必要無い。と言うか、欲しく無い。となると、僕の中にあったかもしれない所属と愛の欲求が、安全の欲求に全精力を注いでしまったのかもしれない。これに続き、知人を必要としない僕には承認の欲求も無い。多分、此方は自己実現の欲求になってしまったのだろう。僕の望む僕。それは、誰にも触れられないような遠い存在。


 だったら孤島に住めって? 五年くらいはそれもやったのだが、やはり魚や山菜ばかりでは飽きる。時には美しい赤、黄、桃の花々だって見たいし、多少の雑音も欲しくなる。人と関わりたくは無いが、人ごみが嫌いなわけでは無い僕。さぞかし面倒なことだろう。


 しかしだ。幾ら言葉をここで連ねようと、実際にはこうは上手くいかない。何故ならば……。


「モモロン、何故ウサギや象は小躍りをしないのであろう?」


 隣に、こんなクソみたいな人物がいるからなのだ。いいや、僕にクソを食わせようとしたのだから、もうクソだ。僕は彼女にこれくらい言っても良い人間だろう。いや、いっそのこと言ってみようかな。この際。


「知りませんよバカ」


 どこかの殿様なら、この言葉をきっかけに刀を持ちだす所である。姫はケラケラと笑い、「言うのぉ~」と両手の人差し指を僕に向けた。バカな上に超ウザい。


「のうモモロン。お主は特技と言うものはあるか?」

「特技? いえ。特には」

「そうかぁ。もし特技があれば、此処で見せてほしかったのだが」


仮に僕の特技が、箸で豆を運ぶなどと言う道具を必要とするものだとしたらどうするつもりなのだ。この姫は突拍子もないことを四六時中言う。


「まぁ良い。モモロン。ならば、一週間後までに特技を習得しろ!」


また始まった。姫の無茶ぶりだよ。当然、僕は首を横に振った。


「笑えない冗談言わないで下さいバカ」

「冗談じゃないぞ? それに結構面白くなると思うのだがなぁ~特技大会」


 え? 今何て言った? 僕の耳が正しければ、特技大会とか言ってなかったか? 大会って言うと、大人数で行う規模の大きいイベント的な物なんじゃないのか? しかも、それを姫が言う辺り、もしや城中を巻き込んでのイベントなのでは無いか? 沢山のハテナが僕の脳内を襲う。


「バカ。ああいや違った。姫、特技大会と言うのは?」

「ああ。以前の戦争で、傷の癒えない民も多い。辛いことを乗り越える方法の一つに、笑いがあると思うのだ。だから、様々な面白い特技を持った芸人をコイオス国や、クレイオス国の民も交えて此処の国で披露する場を設けたらどうかと思ったのだ。もう準備は進めておる」

「それは、逆に怒りを買うことは無いのでしょうか」


 僕の言葉に、姫は一度視線を逸らしたが、すぐに戻して微笑んだ。


「行動せずとも、人は傷を癒すことは難しい。なれば、何かしら行動した方が良いと思うのだ。私にはこれしか出来ないのだ」


 姫の言葉は尤もだ。あの戦いから、もう一カ月は経過した。一カ月で傷を癒すことは出来ないが、逆に百年経っても傷が癒える保証は無い。だったら、少しでも心がよそ見を出来る場所があれば。僕ならば、安心出来るかもしれない。


「成程」

「それでだ。お前も民の為、面白い特技を」

「嫌です」


 結論を言われる前に、僕は答えた。言いきられてしまえば、絶対に彼女のペースだからな。


「おいおい。私の為じゃ無いのだぞ? 民のだぞ?」

「それとこれとは話が別です」


姫は不服そうな顔をする。姫には悪いが、僕は僕が一番大切なのでね。大衆の前で技を披露するなどと言う拷問行為、絶対にしたくない。第一、僕みたいな地味な奴が一つ特技を身につけて披露したところで、絶対にスベる。スベってそそくさと退場するなんて絶対に嫌だ。


「……な~んて嘘だよね、モモロン君っ!」


 背後から僕の手を引き、そのまま僕の腕を抱き寄せたのはクロノ王子であった。


 ボコられた一件以来、彼はよくこの国に来るようになった。前のようにボコられることは無くなったが、僕は決して彼を人として好んではいない。もっと言えば、嫌いなタイプだ。正直来て欲しく無いのだが。そう言えばエロス様が言っていたな、犬嫌いな人間程、犬が寄って来ることがあるって。犬が嫌がるような香水は無いのかね。あ、犬じゃ駄目なのか。


「モモロン、これは君だけの問題じゃない。この国全体の問題なのだよ? 君は一人の兵士として、この国に、そして今も必死に前を向いて生き続ける彼等の為にパフォーマンスで楽しませようって意気込みは無いの?」

「僕が特技を身につけて披露したところで、駄々スベりの空気が予想出来ますから。いない方が、大会は楽しく進められるんじゃないですか?」

「いやいや! 君だってやれば出来るさ!!」


君だっての言葉に違和感を覚える。


 それにしても、二人とも嫌な言い方をする。勿論彼等が正論なのだがね。この、学校とかの行事でやる気無さそうな奴に、「みんなで頑張ることなんだから!」的なことを言う奴。ウザいんだよな。けれどこんなこと言われたら僕だってやらないワケにもいかなくなる。


「……手品とか勉強すれば良いですか?」


 根負けした。僕は小声で言った。それを二人は聞き逃さなかったようで、表情がたちまち明るくなる。そんな顔されると、何だか胸が痛む。この流れじゃ参加する他無いじゃないか。ついため息がこぼれた。


… … …


 それまでの経緯をエロス様に話すと、エロス様はしとやかに笑った。


「そりゃあ大変だね。君は目立つのが嫌いだろうに」


 人と関わるのが嫌いには嫌いなのだが、此処で暮らしている以上は、それなりな話し相手も欲しい。


 ちょっとした愚痴程度は姫の兄である彼に相談することも増えていた。駄目だな。これでは普通に溶け込んでしまう。それ自体は悪いことでは無いと思うのだが、一生此処に身を置くのは大層恐ろしいことだ。エロス様は、あくまでもイリス姫やこの国が落ち着くまでは僕を離さないそう。なので、この国が安定するまでの間は此処にいることを決めた。と言うか、どうせそれまで逃がしてはくれまいだろうし。


 そうだな。だとすれば、僕が消えるまでの間は此処で演芸の一つでもやっておくか。思い出したくも無い、ある種良い黒歴史になるかもしれない。


 僕が密かに気持ちを固めていると、エロス様は微笑んで僕の肩に手を触れた。


「時には何時もと違うことをするのも良いことさ。息抜きぐらいにでも思ってやってくれ」


息抜きねぇ。僕が、「はい」と頷くと、エロス様は女性達の元へ戻り、僕は一人部屋へと戻った。


 … … …


 手品なんて適当に言ってしまったが、よくよく考えればかなり目立つ特技にしてしまったな。手品となれば、人とのふれあいが確実に問われる。今からでも変更しようか。いやしかし、僕の発言後、姫はすぐに、「それで登録しておくぞ!」と走って行ってしまった。姫の後をクロノ王子がついて行ったから、恐らく記入ミスなんてことも無いのだろう。此処は腹をくくるか。部屋から出ると、城の図書室へと向かった。


 この図書室はとても広く、本も膨大な量が敷き詰められている。あるのは大抵魔術やこの国の歴史についてが多い。手品などと言うジャンルが存在しているのだろうか? ゆっくりと見て周る。


 それにしても、図書室と言うのはやはり落ちつくな。人が多くとも、皆それぞれの世界に没頭していて、僕の存在に気付くものはいない。皆、これくらい無関心だったら丁度良いのだが。図書室に来ることはそうそう無かったが、今度別の場所へ行った時にもたまに来てみるとしよう。

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