五 千代姫の呪い


 先触れが来ていたのか、アカルと夜玖やく弥山みせんの宮に入ると、すぐに若い武官がやって来て大屋根の高殿に案内してくれた。


 高殿のきざはしを上ると、開け放たれた扉の奥に、立派な渦巻き模様の織り布が見えた。

 鮮やかな朱色の織り布を背にして、西伯さいはく王の青影あおかげが座っていた。両脇に若い武官を従え、葦製の丸い円座に胡坐をかいている。


(この男が、西伯さいはくの王か)


 青影あおかげの左目には縦に走る大きな傷跡があった。

 白髪交じりの壮年の男だが、大国の王というよりは一族の長といった方がしっくりくるような、筋骨逞しい戦士のような男だ。


「遠路はるばるよく来てくださった、巫女殿。夜玖やく殿も」


 アカルと夜玖やくが挨拶を終えるなり青影あおかげは重々しい口調でそう言ったが、余裕のある表情はすぐに消え去り、困ったような顔で身を乗り出してくる。


「まずは一息ついて欲しいところだが、そうも言っていられなくてな。案内するからすぐに、今すぐに千代姫を見てやってくれ!」


 唾を飛ばしながらそう言うと、青影あおかげは立ち上がった。


 夜玖やくの予想した通り、アカルはすぐに千代姫が住まうという別棟の宮へと案内される事になった。

 予想外だったのは、青影あおかげが自ら案内役を務めてくれた事だった。


「済まぬな。この宮の者はその……怖がって千代姫の宮には近づかぬのだ」


 アカルの前を歩いていた青影が、少しだけ振り向いて申し訳なさそうな顔をした。


「怖がって? 千代姫の呪いは病だけではないのか?」

 アカルは首を傾げた。


「ああ。ほとんどは眠っているか苦しんでいるのだが、時おり何やら恐ろしいものになる」


 そう言う青影の顔もわずかに青ざめていて、恐ろしい左目の傷も情けなく歪んでいる。


「それは初耳だな」


 夜玖やくも首をひねっている。何度も来ているはずの彼にも、正確な病状は知らされていなかったようだ。


「ふーん。どうやら呪いっていうのは間違いなさそうだね」


 アカルたちが歩いている渡り廊下の先に、庭に面した美しい離れ宮が見え始めた。ただ、ほかの宮とは様子が違い、そこだけ黒い霧がかかっているように見える。

 そこから漂うおぞましい気配に、アカルは顔をしかめた。


「わかるか、巫女殿?」

 青影が振り向いて、アカルの表情をじっと窺う。


「ああ、わかる」


 アカルが短く答えた途端、離れ宮からキャーという女の悲鳴が聞こえて来た。間髪を入れずに戸が開け放たれ、年かさの女官が二人ほど駆け出してくる。


「青影さまっ! 千代姫さまが……」


 女官たちは渡り廊下に身を投げ出して、助けを請うように青影を見上げた。


「お前たちは下がっていろ」


 青影は女官たちの間をすり抜けて、どんどん離れ宮に近づいて行く。

 アカルも青影の後に続いた。


 開け放たれた戸の向こうで、敷布の上からゆらりと少女が立ち上がった。

 長い髪も、身に纏った白い衣もわずかに乱れている程度だが、黒髪に縁どられたその顔は、およそ人の子のものとは思えなかった。


「なっ……なんだこれは! これが、千代姫さまなのか?」


 後ろから夜玖やくのつぶやきが聞こえて来る。

 千代姫の顔は青黒く染まり、悪鬼のような形相で牙をむいていた。


 グルルルルルー グルルルルルー


 獣の唸り声のような声が、千代姫の喉から漏れる。


「千代姫……」

 さすがの青影も戸口に立ったままで、部屋の中には入ろうとしない。


「失礼、入るぞ」


 アカルは青影を追い越して部屋の中に入ると、薄緑の長衣ながごろもを後ろにさばいてその場に胡坐をかいた。懐に手を差し入れて取り出したのは、小刀と短く切った木の枝だった。


 シュッ シュッ シュッ


 木を削る規則正しい音が聞こえ始めると、恐る恐る近寄って来た夜玖やくがアカルの手元をのぞき込んだ。

 アカルが手を動かすたびに、木の皮をはいで剥き出しになった白い木肌が、クルクルとねじれて可憐な花びらの様になってゆく。


「お前は……何をしているんだ?」


 呆気にとられたような声だった。


「削り花を作っている。姫に憑いているのは、神だ」


 答える間も、アカルは作業の手を止めない。


「神だと? だからって、なんでお前はお供え物なんか作ってるんだ! そんな事より、千代姫さまをどうにかしろ!」


 夜玖やくは千代姫を指さすと、恐怖と怒りの入り混じった声でアカルに命令する。

 その刹那、指をさされたことに怒った千代姫が、夜玖やくに飛びかかった。


「ギャー!」


「ひぃっ!」


 夜玖やくは変な叫び声を上げて後ろへ跳んだ。お世辞にも武人らしい身のこなしとは言えなかったが、一瞬で宮を囲む廊下へ逃れたのはさすがだった。


「神も苦しんでいるんだ。今はとにかく、神を鎮めなくてはならない」


 アカルは動じることなく削り花を作り続ける。

 夜玖やくを仕留め損ねた千代姫が、すぐ横に座るアカルに標的を変えた。


朱瑠あかる!」


「グルル……ガァー!」


 夜玖やくの叫びと、千代姫の咆哮が重なった。


「ごめん!」


 立ち上がったアカルが、飛びかかって来た千代姫の前に左手を振り上げる。

 手にしていた削り花と千代姫の額がぶつかった途端、勢いを失くした千代姫の体がどさりと床に落ちる。


「おお! 千代姫の顔が……元に戻っているぞ!」


 青影は床に倒れた青白い千代姫の顔を見てから、その横に平然と立つ若い巫女に視線を移した。


「呪いは……消えたのか?」


 呆然としたまま青影が尋ねると、アカルは首を振った。


「鎮まってもらっただけだ。この呪いは神にも苦しみを与えているらしい。まずは千代姫から神を出さねばならない。全てはそれからだ」


 アカルはそう言うと、何事もなかったように同じ場所に座り込んだ。


「千代姫を寝かせてあげてくれ。それと悪いが、私は今夜ここに泊まらせてもらう」


「ああ、わかった。巫女殿の良いようにしてくれ。食事もここへ運ばせる」


「いや、食事はいらない」

 青影の言葉を、アカルは遮った。


「おおいっ! 休みもせず、食事もなしで大丈夫なのか?」

 夜玖が口を挟んだ。

「千代姫さまも落ち着いたみたいだし、今夜はゆっくりしたらどうなのだ?」


 情けない顔をしている夜玖に、アカルはちらりと視線を向けた。


「昨日の温泉地でゆっくり休ませてもらったから、私は大丈夫だ。それに、千代姫をこのままにしておけば衰弱するばかりだ。急いだほうがいい」


「そうか……では俺も、一晩ここで警護につこう」


 夜玖やくは腹を括ったように、立っていた回廊にどっかりと胡坐をかいた。


「では、わしもつき合おう。今宵は警護の者にこの宮を囲ませる」


 青影はそう言って、遠巻きにしていた女官たちを呼び戻した。


「お好きなように」


 アカルは再び懐から木の枝を取り出すと、静かに削りはじめた。

  

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