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「げ——っ!!!」


 午前十時を少し過ぎた頃。


 僕としぃるは最寄駅の駅ビルにやってきた。駅ビル内部の服屋にやってきた僕たち兄妹である。


「ん? お兄ちゃん、今なにか言った?」


「いや、僕はなにも言ってないよ」


 明らかに『げ——っ!!!』って聞こえたけれど。でもそれは知らない振りをしよう。知らんぷりをしよう。


 なんか店内の奥の方に、見たことのあるツインテールが居るみたいだけれど、僕は何も見ていない。そういうことにしよう。


「よーし! お兄ちゃんの服を選ぶぞお!」


「よししぃる。任せるぜ」


「とりあえずお兄ちゃん! これとこれとそれとそれと、こっちとこっちとあっちとあっち、あとあれとあれを持って、試着室へゴー!」


「こんなに!?」


 しぃるから早速、色々な服を渡された僕。選ぶというか、手当たり次第、って感じで手に取った服を渡された。


 渡されてしまったので、それらを持って試着室に入る僕。


「お兄ちゃん着替えたー?」


「まだなんの行動もしてねえよ」


 どんなスピードでの着替えを期待されてんだよ。僕、換装魔法とか使えねえからな?


 内心でそんなことを思いながら、僕は試着室にて、試着をする。着替えが完了したら、しぃるが試着室の外から見て、採点してくれるシステムのようだ。


 てなわけで、採点。


「んー。三点」


 低い。いや低すぎだろ。いくらなんでも低すぎだろ。この低さからわかるように、たぶんしぃるは本当に手当たり次第で、適当に近場にあった服を手に取って渡して来たのだと思える。


「よしお兄ちゃん、次ー!」


 シャー、と。試着室のカーテンが閉められた。どうやら、僕に意見する時間を与えないつもりらしい。まあ、ファッションのことなど何もわからないので、意見も反論も出来ないのだが。ここからは完全なる着せ替え人形と化した僕である。


 およそ、一時間。服屋のオープンから、一時間という時間を使って、結局僕の格好は、白のカットソーに、グレーのジャケット。ベージュのチノパンという、なんだかありきたりな格好に決まった。


 買った服に試着室で着替えて、いよいよ僕は、ジャージ野郎からの脱却である。お世話になったジャージは、服屋の紙袋に入れ、無事ミッションを終えた——と。僕は思っていた。


 だが、ミッションはまだ終わっていなかった。


 次にしぃるに連れて来られたのは、なんと。


 なんとなんと、美容室だった。


「予約してた葉沼はぬまでーす」


 試着のし過ぎでぐったりし始めている僕の腕を引き、しぃるは美容室のカウンターで言った。


 予約してた葉沼です? いつの間に予約してやがったんだ? 僕が着替えをしているときにしてやがったな……。


 てかなに? 僕、ヘアーカットまでするの?


 そこまでするの? お見舞いにドレスコードとか、そうやって悩み始めたのは僕で、しぃるを頼ったのも僕だけれど、いやいや。さすがにことを大袈裟にし過ぎではないだろうか。だってお見舞いだぜ?


 普通居るか?


 お見舞いのためにヘアースタイルまで本気で挑む奴。そんな奴居る? 史上初だったりしない?


 そんな風に突っ込みたいけれど、どうせ言っても妹の性格的に無理だと判断した僕は、美容師さんに案内された椅子に座る。文句を言うもなにも、しぃるは空き時間でどこか買い物に行ってしまった。兄を置き去りにして。


「げ——っ!!!」


 隣の席の客が僕を見て、言った。


 明らかに見覚えのあるツインテールが、ツインテールを解いてなにやら、トリートメント的なやつをやっているみたいだが、僕は見ていないことにして、雑誌を手に取る。


 てか、しぃる。僕に髪型を選べというのか?


 流されて着席してしまったが、僕に髪型をリクエストしろと? いやいや。僕、美容室とか初めてだからな? なんとなくのイメージで知ってるけど美容室というのは、美容師さんと会話をするんだろう? 美容師さんと会話をしたくないから、ずっと避けていた場所なんだぞ?


 んー。美容師と話すなら。


 美容師と話すなら、まだしも隣に座っているわけのわからない奴と会話する方がマシかな?


 ということで僕は、隣に偶然居合わせた後輩。わけのわからない後輩、矢面やおもて仁尾におに話しかけた。


「それ、トリートメントしてるのか?」


「は? ちょっとなに話しかけてきてんすか?」


「きみ、僕の存在に誰よりも先に気づいてたじゃねえか。服屋で結構距離があったのに、きみの声響いてたからな? 『げ——っ!!!』って。つかさっきも響いてたからな?」


「なんすか? 文句あんすか?」


「なんで偉そうなんだよ。そんな頭にターバンみたいにタオル巻かれた状態で、どうしてそこまで偉そうにしていられるんだよ」


 頭の上で、よく知らない輪っかの機械回ってるし。


「別にぼく、偉そうにしてませんけど? まあ、先輩から見たぼくが偉そうに見えるなら、ぼくが偉いんじゃないっすか?」


「偉くねえよ。どう考えてもきみは偉くねえよ」


「つか先輩……。さっきの女、先輩の女っすか?」


「しぃるのことか? あいつは僕の妹だよ」


「……え? 先輩って、あの女の兄だったんすか……? まじすか……? あの女の……?」


「あの女って言うなよ。てかなんだ? 僕の妹と面識あるのか?」


「いや……面識はないっす。でも有名っすから」


「僕の妹有名なのか?」


「知らないんすか? あの女の兄なのに?」


「僕の妹はどんな悪評で有名なんだ?」


「自分の妹の名前の広がり方を、まず持って一番最初から悪評だと見抜くところはなかなかの先輩じゃねえですか。さすがっすね。鬼畜っす」


「もっと違うところで僕にさすがって言えよ」


 鬼畜って言うなよ。これでも先輩だぞ。


「さすが、元ヤンすね」


「……きみ、僕のことも元々知ってやがったのか」


「そりゃあ先輩、三中でも有名でしたから。なんでも無言の視線だけで二中全体をシメた伝説があるらしいっすね」


「そんなことがあったら、たしかに伝説だな」


 本当に伝説だな。それ。僕の評判、嫌な広がり方したんだな。噂におヒレつきまくりじゃねえか。無言の視線だけで二中全体をシメた、って。それどんな目ヂカラだよ……。


「なかったんすか?」


「ねえよ。あってたまるか」


「お待たせしました。本日はどのようになさいましょう?」


 やべえ。美容師さん来ちゃった!


 やべえやべえ。リクエストを求められてる。


 やべえやべえやべえ! なんて答えればいいかわからない!


 混乱混乱。パニックパニック。


「え……と。ですね……え……」


 僕は混乱しながら、雑誌をめくる。


 ダメだ。雑誌をめくっても、ただめくるだけで、髪型の参考にならねえ。まずい。


 このままでは、美容師さんのリクエスト要望を無視する感じになってしまう。ここに着席しているくせに、それはマナーが悪すぎるだろうし、なんか一応後輩の前だから、そんな情け無いのも嫌だ。


 けれど、僕にリクエストを求められても困る。


 だって僕、こんなところに来るつもりなかったんだ。ここに着席する予定は、本日の僕にはなかったんだ。本日どころかこれから先、永遠にないはずだったんだ。なのにどうしてこうなった?


 それは元を辿れば、僕の自業自得なのかもしれないが、しかし、納得できるか!


 僕が目を泳がせながら、雑誌のページをめくるだけ、みたいになっていると、


「その人」


 と。矢面が言った。


「なんかその人、今日勝負のデートらしいんで、今のベースのまま、バシッと決まる感じにして欲しいらしいっすよ」


 ビシッと決まる髪型で、って。さっき言ってましたよ——と。矢面は言った。


「それでよろしいのですね?」


「……は、はい」


 本当は勝負のデートなんかではなく、単なるお見舞いなのだが。


「かしこまりました。では、トップを軽くして、毛先を少しだけ切る感じでどうでしょうか?」


 美容師さんは言いながら、僕の髪を触ってくる。


「そ、そ、それで!」


 よくわかっていないが、同意。


 髪を触られて、緊張がマックスに突入した、あわれなコミュ症。それが僕だった。


 僕の言葉に美容師さんは、「かしこまりました」と、言ってハサミを入れていく。


 どうやら美容師さんは僕が話すことが苦手だと見抜いたらしく、それ以降は僕に話しかけて来なかった。中学時代。こうやって僕の通り名のひとつに沈黙の殺意とかいうのが追加されたんだろうなあ、と。そんな風に思いながら、カットとセットを終えた僕。


 美容師さんが「完成です、どうですか?」と。最後の同意を求めてきたので、僕は無言でうなずく。こくり。


 美容師さんがお会計カウンターに向かったのを確認して、僕は矢面に、


「ありがとう。助かった」


 と。言った。


「別に、助けたつもりはないっすよ。まあ、先輩が誰かに格好いいと思われたいようでしたので。ぼくも無鳥先輩に可愛いって思われたいので、同じですし」


「きみ、なかなかいいやつじゃねえか」


「悪い奴って決めつけてたんすね? まあ先輩が格好いいと思われたいその誰かが、無鳥先輩だったら、ぼくは今すぐに、先輩の髪の毛引きちぎりますけど」


「無鳥じゃねえよ」


 無鳥ともこの後会うけど。


 まあ、それは秘めよう。だって、髪の毛引きちぎられるかもしれないし。


「とりあえずありがとうな、矢面」


「うーい」


 でも矢面、いつまで頭の上で機械が回っているのだろうか。熱いのかなあの輪っか。


 性能を知らない輪っかの機械に思いをせながら、僕は美容室を出たのだった。

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