3


 朝からシャワーを浴びたのなんて、いつ振りだろうか。


 おはよう世界。おはよう地球。おはよう太陽。


 森羅万象におはよう。グッドモーニング。脱ぼっちをして、いよいよ目覚めた僕が、朝をお知らせしよう。


 朝だぜ! いえーい朝だぜー!


 ということで本日は休日。休日の朝である。清々しい朝である。


「およ。お兄ちゃんおはよー」


 僕がリビングで、モーニングシャワーを浴びた謎のテンションでシャドーボクシングをしていると、目をこすりながら愛すべき妹が起きてきた。


「やあ妹よ。素晴らしい朝に、そして今日という日に感謝を込めて、僕は愛すべき妹におはようと朝の挨拶をしようではないか。おはよう」


「朝からどしたの……? こんなこと言うのも変だけど、わたしよりキャラ濃くなってるよ?」


「そうでもないさ。これがお前の兄で、これが本来の僕だ」


 そう。これが僕だ。ぼっちだった過去の僕にサヨナラを告げた、新しい僕。ニュー僕。これが本来の僕である。ありのままのぬま詩色しいろだ。あるいは、ありのままの葉沼詩色マークツー。もしくは、ありのままそのままの葉沼詩色マスターエディションなのだ。


「てか……お兄ちゃん。まだ朝の五時だよ? 休日の朝五時だよ? 超早朝だよ? どうしてそんなに元気なの? なんでどうして超早朝超絶好調なの?」


「どうして、って。それは僕のコンディションが良いからとしか言えねえな。ベストコンディションのお兄ちゃんはどうだ? 最高だろう?」


「消える寸前のロウソクみたい」


「おい」


「こんな早くからシャワーも浴びたの? 本当にどしたの? 病院行く? 救急車呼ぶ?」


「やめろよ。僕が朝から元気だと、救急車呼ぼうとするなよ」


 普段の僕は、いやさ、過去の僕はどれだけ朝に元気がなかったんだよ。


 しかしまあ、このテンションを継続するのもなかなか難しい。てか、いきなりキャラ崩壊したみたいで、さすがに無理がある。あと単純にそろそろ恥ずかしい。


 ということで、ここからは普段通りの僕に戻ろう。ぼっちは卒業したので気持ち的に。


「で? どうしてお兄ちゃんは、朝の五時からそんなにテンションが高いの?」


 昨晩は、ご飯を食べてから風呂入ってすぐに部屋に戻ってラインしながら寝てしまったからな。と言っても、フウチが寝るまで粘ったが。なので、しぃるは僕が元気な理由を知らないのだ。


 しぃるからの問い掛けに、普通に理由を話した僕。今日は午後から無鳥とタブレット端末を買いに行って、その後フウチのお見舞いに行くことを、しぃるに伝えた。


「ほへー。フウチ先輩、風邪引いちゃったんだー」


「うん。だから今日、お見舞いに行くんだよ」


「なるほどなー。だからお兄ちゃんは舞い上がっているのかー。そっかー。風邪引いてたからだったのか。なるほどなー」


「ん? なんだその言い方? 風邪引いてたからなるほど、ってなに?」


「いやね? フウチ先輩がお兄ちゃんに抱きついたのは、単純に風邪引いてて寒かったんだなー、って。風邪引くと甘えたくなる気持ちわかるもん」


 わたし風邪引いたことないけど——と。しぃるは言いながら、キッチンに向かった。風邪引いたことないくせに、風邪引いた人間の気持ちを理解できるらしい。


 あー。そうか。そうだったのか。


 しぃるが言ったように、ホラームービーを鑑賞したときのフウチは、風邪を引いて熱があったから、僕を暖房代わりにしたということか。風邪を引かずに、僕はその熱だけをおめでたい感じで頂戴したということか。なるほど。


「……………………」


 くそう。そうやって言われたら、実はあのときからずっと、僕のこと好きなんじゃね? って思っていたことが、いよいよ本格的に勘違いだと判明してしまった。わかってしまった。その愚かな勘違いをしないように注意していたのに、でも抱きつかれたら好きなんじゃね? って思っていた自分がむなしい……。


 ちくしょう……。


 まあ、少しばかりテンションは下がったけれど、本音を言えばかなりテンションは下がったけれど、勘違いだとわかったからいいか。勘違いをし続ける愚かな僕になる前に気づけて良かった——と。そう思うことにしよう。


 良かった(……しくしく)。


 良かった良かった(ぐすん……)。


「ところでお兄ちゃん」


 キッチンで朝ごはんの準備を始めたしぃるが、炊飯器をセットしてから、冷蔵庫を開けながら僕を呼んだ。


「なんだ?」


「んとね、わたしからしたら単純な疑問というか、普通に気になることなんだけれどね」


「なんだなんだ?」


「お兄ちゃんさ?」


「なんだなんだなんだ?」


「なに着て行くの?」


「oh……」


「おおー! すごく発音良かった! もっかい言ってー?」


「oh……」


「きゃははは!」


 いや、ウケるなよ。僕の発音でツボるな。


 しかししぃるの言葉に僕は、深く動揺していた——まずい。やばいやばい。


 まずいやばい深く不覚だ!


 確かにしぃるの言ったように、僕はなにを着て行けば良いのだろうか。違う違う。というか僕、なにを着て行くとか悩む以前の問題で、そもそも私服らしい私服なんて持ってねえ。


 だってほら、僕ってインドア派だし。休日とかずっと家にいるから、ずっとジャージだし。それに昨日までぼっちだったから、休日なんてコンビニに行く、くらいしかしてこなかったし。そうやって日々を過ごしてきたから、お出掛け用の服とか持っていない。


 服なんて、年単位で買っていない。最後に服を購入したのは、いつなのかも思い出せない。


 部屋のクローゼットには、ジャージが二着。黒と黒の二着。つまり、僕のクローゼットは黒一色である。Tシャツくらいはあるけれど、変なロゴのダサいTシャツしかない。『ガッデム』とか『人生』とか『躍動感』とか。そんなプリントがされたやつ(だせえ……)。


 お見舞いにドレスコードなんてあるのか——などと気にしていたら、またぞろアホみたいに時間を掛けて悩むことになりそうなので、じゃあそれはしないでおくけれど、だが、ジャージ。


 ジャージで良いのか……?


 いやまあ、そこまで気にする必要はない……と言えば、ないのかもしれないけども、僕これでも高校二年生じゃん?


 見た目に自信があるタイプじゃあないけれど、そんな僕でも、高校二年生。思春期。


 果たして好きな女の子のお見舞いに行くのに、なかなかダサい黒一色のジャージで良いのだろうか? そりゃあ、イケメンが着ればなんでも格好良いのかもしれないが、僕にそんなアドバンテージはないから、お世辞でも格好良くはならない。果たしてそんなジャージコーデで良いのだろうか?


 否——良くない。


 別に僕の外見なんて、着飾ったところでたかが知れているのだが、でも、好きな女の子のお見舞いに行くのだから、それなりの格好で着飾りたい。見栄を張りたい。


 周りからぼっちというレッテルを貼られ続けた僕でも、見栄を張りたい。レッテルというかラベルと言うべきか。貼られたというか、僕自身が貼った感も否めないし(貼ったつもりはなかったんだけれど……)。


 どちらにせよ、レッテルだろうがラベルだろうが、そんなのどっちでもいい。レッテルだろうとラベルだろうと、今の僕はそれを剥がしたのだから、そんなのどうでもいい。


 どうでも良くないのは、僕のクローゼットがジャージしかなくて、そしてこのままだと、イケメンでもなんでもない僕が、そのジャージでお見舞いに行かざるを得ないことだ。悲しいことに、脱ぼっちしてもイケメンになるわけじゃあないからなあ……。


 無鳥との約束は、午後から。午前はフリー。


 現在の時刻は、朝の五時半。午後まではまだまだ時間がある。


 ならば——そうだな。この午前中のフリータイムを有効活用して、有効に活動するか。


 具体的には、服を調達しに行くか。


 服屋が何時からオープンするのかすらわからないけど、だいたい十時くらいにはオープンしてるだろう。服屋がどこにあるのかくらいはわかるしな。


 ふむ。では具体的に、僕がなにをすれば良いのか。


 それはつまり、


「うわーんしぃるたん! 服選び手伝ってー」


 と、最愛の妹に泣きつき、スタイリストになってもらうことだった。


 兄の情け無い姿に、妹は胸を張って、


「ふふん」


 と。胸を叩き、言った。


「つまりお兄ちゃんは、わたしとデートがしたいんだね? もー。素直に言えば良いのにー、照れちゃって可愛いんだからっ! よし任せて! よしよし任せなさい! この世界すらもコーディネートしたと噂される創造神のしぃるちゃんが、お兄ちゃんをプロデュースだ! 安心して、お兄ちゃん。わたしがコーディネートした服でお兄ちゃんをコーティングしよう! あっという間にインスタ映えするお兄ちゃんに変身させてあげる。魔法使いしぃるちゃんにまっかせてー!」


 果たしてしぃるは、創造神なのか魔法使いなのか、どっちなのかわからないし、そのどっちでもないけれど、僕の妹でしかないけれど——残念ながら僕は、不安を感じながらも。本当に残念なことに、そんな最愛の頭の悪い妹に頼るしかないのだった。


「任せたぜしぃる。でも僕、インスタ映えを狙ってないからな? そんな奇抜なスタイリング望んでないからな?」


「だいじょぶ! 見た目に自信がないお兄ちゃんでも、だいじょぶ! わたしがコーディネートするんだから、お兄ちゃんはもう無敵だよー。向かうところ敵なしだよ。やったねお兄ちゃん! これできっと、六兆イイねはいただきだあ!」


「だからインスタ映えを意識しないで?」


 やべえ。不安だ。てかイイね、ってそんなにもらえるの? 六兆って……。僕、インスタやってないからわからないけれど、たとえもらえたとしても、六兆もいらねえ気がする……。イイねが何のために必要なのかも知らないし。


 そもそも、僕が欲しいのは、知らない誰かからの六兆のイイねなんかではなく、知っているたった一人からのイイねなのだから。


「ふうー! カッコイイお兄ちゃん! いや、カッコイイね! お兄たん!」


「僕の心を読んで茶化すな!」

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